二十四ノ五、絶叫
頭に浮かんだのは疑問だけ。
悔しさ悲しさを押しのけて溢れる激情の前には、言葉は驚愕と嗚咽に詰まるだけだ。
カルードの視界の中で、剣に刻印された「カルード」の文字が一瞬滲んで見え、すぐに硬く目を閉じて耐えた。
見ている者には、カルードがその場で長い黙祷を奉げているように感じた。
周囲に居た皆が同じ気持ちになっていただろう。
この現実こそが月魔と戦うということ、帝国の旗の下で戦うということだと団員たちはようやく悟る。
誰も言葉が出ない中、静寂を破ったのはフェルデイナントだ。
フェルディナントは、先程まで胸がつぶれたように声を出せずにいたが、喉を裂く気持ちで声を上げる。
「――その者を離すな! 絶対にだ!」
妄信者の如き巡礼服の男は、まだ団員らに乗りかかられて地面に倒れ伏している。
フェルディナントは男が持っていた短剣らしき物体を指差して叫ぶ。
「それには触れるな! ――誰か! 聖殿騎士団とルネー殿に報告だ。下手人の一人を取り押さえたこと、そして……っ」
フェルディナントはカルードをちらと見て、わずかに迷いを見せる。
「……ダヒサ泉の自警団員は月魔により恐慌状態であり、至急の応援を頼む、と。旧修道院にて、二名が戦闘不能……以上だ」
フェルディナントの声に、直下の部下はまだ驚愕の表情でいたが、再度フェルディナントに名指しで命じられると、ようやく緊迫から解かれたようだった。
「わ、わかった、応援だな……?」
フェルディナントは続けて周囲の自警団員に声を高くして命じる。
「動ける者は動け! まだ獣型の月魔が潜んでいないとも限らん。ましてこの男の仲間がまだいるやも知れん。気合を入れ直して、市民の安全を確保しろ!」
ありったけの息を使い、出せる限界の大声で叫び続けた。
自警団員らはのろのろと動き出す。
肩を借りて歩く者もいて、彼らの覇気を奪ったのは月魔の咆哮だけではないのは見て取れる。
フェルディナントはとにかく自分を叱り付けて、体と頭を働かせた。
視線の先で、石畳に置かれたままの短剣のような物が見える。
誰も近寄るな、と周囲に手振りした上で、注意深く近寄った。
(短剣では、ない……筒?)
例えるなら、水草の茎を斜めに切ったような形状である。
筒状の物体は長さは手の中に入るより少し大きく、片側には持ち手、もう片方が斜めに鋭く、刃があるのが見える。
斜めに楕円になった刃には、まだジエルトのものらしき血が生々しく残っている。月魔化した全身は灰となっても、この血はそれ以前についたものだからだ。
(ジェム・ギミック……か?)
ギミックに詳しくないフェルディナントでも、そのくらいは見てわかる。
見た限り、筒状の刃物……そう見える。
(これを手にしていたあの男は月魔化していない……やはり、毒物の手合いでも塗られていたのか?)
フェルディナントは、懐から携帯していた聖布を取り出す。
自警団や聖殿騎士に配布されている聖具で、美しい光沢のある聖なる布である。聖殿であらかじめ加護の聖印と祝福が施されている。
通常はこれで月魔石を包んで聖殿まで運ぶ。
月魔石は、ジェム原石よりは安定しているとはいえ完全ではない。常に僅かずつ溶解しており、魔素と同じ毒を放っている。
この聖布やその類の袋というのは、そんな月魔石を安全に聖殿まで運搬するためのものだ。
フェルディナントは聖布を使い、この筒状の何かを包んだ。
布ごと手に取ってよく見ると、真新しい光沢の布に赤い鮮血が滲む。しかし筒自体は何の反応も無く、ただの道具だ。
フェルディナントは注意深く、その血を内側に織り込んで筒状の刃物を包んだ。
石畳の上ではまだカルードが一人、膝をついている。
剣も月魔石も、そのままだった。
「団長……」
フェルディナントは聖布を片手に、カルードに近付く。
「テラーボイスを食らったんですね。動けますか?」
カルードの傍らに同じように屈み、肩を掴むと確かめるように揺すった。
「団長……っ」
「……違う」
カルードは、ようやく言葉を搾り出す。
「カルード、怪我は? 動けますか」
フェルディナントは再度繰り返すが、カルードは首を力なく横に振った。
「……中、隊長が一人死亡……そして団長も行動不能……。もっと、詳細に伝えなければ、駄目だ」
カルードは、フェルディナントの伝の内容を正した。
「今の、自警団の指揮系は壊滅だ……立て直さなければ……」
「わかっております。俺がやりますから……」
カルードの状態を見て指揮は不可能と判断し、フェルデイナントはその姿勢のまま手振りで自分の手持ちの部下に呼びかけた。
その間にも、 カルードが聞き取れぬほどの小声で呟く。
「……ボイスは、食らってない……」
「食らってはいないが……剣が持てん……。何も、考えられん……」
「……」
カルードはまた目を閉じた。
「――だから何なんです!」
フェルディナントは努めて小声で、しかし上官を叱り付ける。
「……貴方は月魔の声の攻撃を受けて動けない、今はそれでいいんです!」
首根っこを掴むと耳に顔を寄せ、懇々と諭し続けた。
「まだ終わっていない、団員にこれ以上の不安を与えるな。確実に、安全に撤収させるんだ、それまでは――」
その時、白騎士団の一団が到着した。
ネヒストたちの中隊である。
伝令を受け取るより早く、ネヒストたちはこちらに進んでいたため他の隊よりも早く辿りついた。