二十三ノ六、まだらの竜
旧市街の中ほどに、大型の動物を扱う商人の屋敷があった。
顧客はほぼ新市街の貴族。そのため新市街への近道となる場所に屋敷を買い、室内に秘かに「商品」を置いていた。
この時隠されていた飛び切りの商品は、ノルド・ブロス帝国か密輸入された鑑賞用の竜である。
形は竜馬に似てやや大きく、赤い鱗に鮮やかな模様が浮き上がった美しい外見に、宝石のような巨大な瞳。何より室内での鑑賞に耐える大人しい性質と、歌うような鳴き声。
何事もなければ、このままドロワ貴族の誰かしらに渡る手筈であったろうが、この日は凶事が発生した。
竜のいる部屋は、屋敷の中でも特に設えと調度品の良い客間である。
金柵の間仕切りの中で赤いまだら竜は座り込んでいたが、その美しい両の瞳は無残に潰されて鮮血を流している。くわえて硬い鱗の隙間、柔かい部分を狙って刃物傷が複数あり、赤い鱗が鮮血に濡れていた。
まだらの竜は苦痛にただ身を震わせて耐えていた。
呻く声は転がる鈴の如き音色で、荒い息に掻き消される。
一人の男が、血にまみれた巡礼服姿のまま床に倒れていた。
男は暫しの昏倒から目覚めて体を起こしたが、その周囲に倒れている者たちはすでに死んでいる。
男は手にしていた短い刃物を確かめると、今一度傷ついたまだら竜を見る。
「……忌々しい、六つ足めが」
男の周りで死んでいるのは全て屋敷の人間で、まだら竜の世話人や警備の者などである。巡礼姿の男がまだら竜を襲った時に、反撃のドラゴン・ブレスの巻き添えを食らって即死していた。
男は首から提げていたアイコンを取り出し、自らの唇に触れる。
「感謝致します……お助けいただいたこの瑣末なる命、必ずやお役に立てて見せましょう……」
祈りと共に口付ける小さなアイコンは、白い正方形である。
男はふらついた足取りながら、まだら竜を置いて屋敷の外へと歩き出した。
屋敷の外ではちょうど自警団の一隊が周囲に呼びかけに回っているいるところだった。
家屋に入れ、窓や扉を固くし外に出るなと声をかけながら、逃げ遅れた市民を探して路地の裏裏まで警戒していた。
そこへ、血に汚れた巡礼服の男が屋敷から現れ、鉢合わせたのである。
「待て、お前この屋敷の者じゃないな!」
「例の不審な巡礼者かも知れん。カルードに知らせろ!」
またたく間に巡礼服の男は自警団に囲まれた。
男は無言で、懐から細身の刃物を取り出す。
(見た事もない武器だ)
対する自警団の面々は訝しむ。
一見すると葦のペンのような、斜めに鋭い筒のような何か――。
護身用の携帯刃物であろうとは思われたが、何者かの血糊がべったりと付いた様からは、この屋敷内で凶行が行われたことを示している。
「この場では何も聞かん。ここは今、月魔が発生しており切迫している。ひとまずお前を連行し、自警団に身柄を預ける。良いな!」
小隊長が投降を命じるが、巡礼服の男は構えを解かなかった。
(あんな小さな武器一つで……?)
多人数を相手にまるで怯む様子のない相手に、自警団側の方がたじろいだ。
魔物ハンター部隊と違い、相手が闘い慣れているかどうかなど判断が付かない。
自警団側が、ここは多人数で取り押さえるしかないと身構えた時だ。
不意に、路地から団員の悲鳴が上がった。
「狼……っ! 狼だ!」
一同が悲鳴の上がった方に視線を向けるより先に、白い巨大な狼が飛び出し来た。
白い塊が、風のように路上の物体や自警団の間をすり抜ける。
一直線に巡礼服の男に飛び掛った。
「危ない!」
誰かが声を発した時には、すでに白狼は巡礼の男の腕に食らい付いて押し倒していた。
一方の巡礼服の男はというと、手にしていた武器で白狼の首筋を一突きにしている。
両者はしばしその状態で組み合ったままだ。
自警団の一人が、鉤棒を構え白狼に狙いを定める。
「む、無理だ……! こいつフェンリルじゃないのかっ? こんな棒なんかで」
「だからといってっ」
言い合う声は、突然の衝撃に中断された。
屋敷の扉や壁が内部からの爆風で吹き飛ばされ、外に居た団員や男、狼までも巻き込んだ。
屋敷内に居たまだら竜によるドラゴン・ブレスであったが、その場にいた者たちはそうとは知らない。一瞬にしてその周囲の家々も崩れ、団員らによる捜索網も崩れた。
隙を突いて、巡礼服の男はその場から逃げた。
白狼フェンリルも一度は食らいついた男を放し、別の方角へと逃げる。
あとに残るのは路上に倒れている団員たちと、壊れた家屋の住人。そして崩れた屋敷の瓦礫だけだ。
半壊した屋敷の奥では苦痛による怒りを溜めたまだらの竜が潜んでいる。
自警団の団員も聖殿騎士らも、誰もそのことを知らない。