二十三ノ四、短刀
「何かが、おかしい」
黒騎士団の厩舎でも、同じことが起こっていた。
かなりの数の竜馬が倒れ、そうでないものはぐったりとうずくまっている。
セルピコも未だ厩舎に居て異変の起こった竜馬を見ていたが、不意にあることに思い当たる。
「もしや、帝国からの竜馬ではないか?」
「異変を起こしているのはどちらの竜馬だ! 帝国か? 連合か!」
もしや帝国側が仕組んだことではないか、そう考えた。
「い、いえ……両方、です」
混線する報告をチェックし直しながら、補佐官が答える。
「むしろ連合産の竜馬の方が、昏倒している数が多いですね」
訓練士、そして獣医が厩舎に到着し、竜馬を看ている。
「例の、感覚共有とかいうものでしょうか」
竜馬たちの様子というのは、人間でいうなら集団ヒステリーのような反応だ。
「伝播したと?」
以前レニに聞いた感覚共有の話、それにしては反応が大きいようにも思える。
レイムントはこれを共鳴連鎖と呼ばれる状態かと考えたが、この場にいる帝国の訓練士たちはそれを口にはしなかった。
「セルピコ団長。ともかくも、竜馬抜きで出ましょう。旧市街で白い狼らしき獣が目撃されたとのこと」
「白い狼……。フェンリルとかいう、あれか」
噂に聞くところによると中々手ごわい狼のボスだという話だ。
「セルピコ団長。それとは別の報告ですが、飼育小屋で不審な男を見たという通報があります」
「ほう。ようやく不審者が見つかったか」
連想するのは自警団から知らされた四人の巡礼者の件である。
「なんでも、子山羊を短刀で刺したとか。家主に見つかってすぐに逃げたそうなので、家畜泥棒かも知れませんが」
「先程の、家畜や動物がどうやってか外に出て逃げ回っている件でしたかな」
方々から報告が次々に上がってくるが、ほとんどか動物に関するものだ。
「……何が起こっとるんじゃ……」
セルピコも難しい表情になる。
黒騎士団は、自警団への応援を増やす一方で、不審者に関する通報の裏を取るため一隊を向かわせた。
とはいえ、黒騎士団の厩舎からそう離れておらず、彼らはすぐに到着した。
オアゼ商会の飼育小屋は、旧市街の北部にある。
飼育小屋などが辺りに多く集まっているが自然の緑が多く残り、南部の過密具合と比べると随分と見晴らしは良い。城壁の向こうの山々が道行く人にも開放感を加え、旧市街の中でも美観とされる。
黒騎士団の一隊が、不審者が見られたという飼育小屋に行くと、すでに自警団が到着していた。
「や? 魔物ハンターたちか」
黒騎士団の問いに、自警団側からも一人進み出て応える。
「黒騎士団か。俺は自警団、ハンター部隊のジエルト・ヒューだ」
ジエルトは、数名の補佐を連れているだけだ。
黒騎士団の騎士がジエルトに問う。
「ここは確か、忍び込んで子山羊を刺した不審者が居たと聞いたが」
「不審者?」
黒騎士団の言葉に、ジエルトたちは訝しげな顔をする。
「その不審者と、件の滞在していた巡礼とやらの関連を調べに来たところだ」
「ほう」
ジエルトには未知の情報だった。
「どうやら、ちょっと下町に出ている間に何事かあったようだな。俺たちは警邏中に月魔の通報を受けて駆けつけたばかりだ」
ジエルトは、カルード達とは入れ違いになっていたため、宿屋での経緯など詳しくは知らない。
「俺たちが聞いたのは山羊が七頭、月魔化したって話だぜ?」
「月魔だと?」
驚きの度合いでは黒騎士団の方が強かった。
かなり情報が錯綜している。
「月魔七体は、すでにハンター部隊が追ってる。俺たちはここで調査をしてたところだ」
「……む。では、何か詳細が?」
「こっちだ」
ジエルトは黒騎士団を伴い、飼育小屋の中に戻る。
内部は動物小屋特有の臭気の他に、屠殺場のような血と臓腑の臭いが漂う。
「此処は子供の山羊が隔離されていた場所。数匹がここで死んでる」
敷き藁には無残にも大量の血が染みている。
「……死体は? 七体の月魔にやられたのか?」
「死体は、無かった。残っていたのは、灰と月魔石だけさ」
「……月魔石」
着いたばかりの黒騎士団は状況が掴めない。
「血糊のある敷き藁と無い敷き藁がある。月魔化した個体と、それにやられた個体がいると見た」
「……家主は?」
「俺は会ってない。今頃は、施療院のベッドの上だろうさ」
ジエルトは、部屋の中を奥へと進む。
成体の山羊がいたらしき場所は、内側から破壊されている。
「ここから逃げたのか……」
黒騎士団は、山羊とは思えない破壊力を前に呟く。
「ここで何が起こったのかは、大体察しが付いてる。自然発生する月魔と同じプロセスだな」
「どんな風だ?」
「最初の一体が、理由はともかく月魔化したとする。自然の状態だと巣穴なんかでこれが起こると、巣の中全体に魔素の影響が及ぶ」
「……全部が変化するのか?」
「それもあるが――狭い巣穴だと、まず起こるのが共食い……殺し合いさ」
黒騎士団は、血糊の意味を知って戦慄する。
「人型の月魔にはあまり見られないんだが、動物由来だとままあることだ」
「狭い場所や互いの距離が近いと、月魔同士でも攻撃し合い、噛み付き合い、消滅させ合う。残されてる灰と月魔石は、たぶんそうやって出来たものだ」
「より弱い子山羊由来の方が潰されたわけか……」
「そうだな」
飼育小屋の中は、月魔が連鎖的に発生する条件を揃えていた。
壁に深く残された蹄の跡を辿りつつ、ジエルトは言う。
「問題は、だ……最初の一匹がどうやって月魔化したか、だ」
「我々が受けた通報は、不審な男が侵入し子山羊を短刀で刺した、とのみ。関係あるだろうか」
「……短刀?」
「詳細は家主にもう一度訊くしかないが……何かわかりそうか?」
「いや」
ジエルトは、首を横に振った。
不審な男が子山羊を刺した現場を見たのは家主であるが、それを追って飛び出したのは家の者である。結局取り逃がし、その足で黒騎士団に通報した。
だが月魔が発生して家主を襲い、七体の月魔が町に現れるまでの空白は謎だ。
ジエルトは一先ず、飼育小屋を離れる。
「俺は施療院に行って、その家主とやらに話を聞いてこよう。月魔石と灰の方は、黒騎士団に頼む」
「了解した」
家主と家人が不在になったこの小屋を、黒騎士団が封鎖する。見張りを兼ねて留守を守るのも黒騎士団だ。