二十二ノ九、最後の一振り
酒場も兼ねるホールは、高い吹抜け構造になっている。
入り口扉を跨ぐように中央に階段があり、左右の二階三階へと上がる。ぐるりと巡る廊下からは酒場とホールが一望に見下ろすことが出来、天井に当たる四階は倉庫や貯蔵庫となっていた。
「二階はほとんど客室だ」
ロランに案内され、カルードたちも二階へと上がった。
年季の入った木の階段である。
ひと気のないホールに、重い足音だけが響く。木製の手摺越しに酒場のテーブルが並ぶ様が見て取れた。
目の前にキャンドルスタイルの灯りがある。
今は灯が消えているが、大きな鉄の輪が天井梁から吊り下げられていて、夜の酒場の雰囲気が窺えた。
ロランは廊下を進み、端にある扉へと案内した。
ロランが扉を開くと、中に入るまでもなくそれが目に入る。
「これは――」
レイモントも思わず唸る。
六振りの月魔の剣のうち、最後の一振りがそこにある。
――巡礼札が六人分、剣でもって壁に縫い止められていた。
「声明、か……」
この部屋に滞在していた何者かが、六人の巡礼者を手に掛けた証拠の品を見せ付け、自分が犯人だと名乗りを上げている。
六人が偽者の巡礼者であり剣士であることも、彼らが月魔に変化してしまったことも、この者は知っている――そう月魔の剣が訴えている。
月魔の出現の謎もあり、猟奇的な異常行動に戦慄する。
「この巡礼札の六人に覚えはありますか?」
「えぇ。月魔の現れた日の朝、早くに発たれたのです。宿帳にも名前があります」
六人は二階と三階の部屋に分かれて滞在していた。
客は大抵、朝に一斉に宿を後にする。
亭主も女将も、その時はこの六人が仲間であるとは気付いていなかった。
カルードは、話を戻す。
「……この部屋に居た者は?」
二階の端の部屋は、角にあるため少し変形していて広い。
大きめの窓から差し込む日光が、壁に突き刺さった剣を照らしている。
「ドヴァン砦から解放された、巡礼者の一団でした」
クレアが、やや混乱しながらも答える。
「うちの宿でもかなりの避難民を受け入れましたので」
「人数は?」
カルードは淡々と尋ねていく。
クレアは貴族的な問いには慣れていて、端的に訊かれたことだけを答えた。
「今朝発たれたのは四人です……。入れ替わりもありますので泊り客の数なら十人を超えますが……最後までこの部屋に居たのは四人です」
その四人のうち、最後に部屋を出た者の仕業だろうと想像できるが、それが何者かまでは宿側は目が届かない。
クレアは応え終わると、手招きして宿の娘を呼び寄せた。
さきほど扉の前で応対した娘だ。
「これは娘のディアヌです。部屋が空いた後に片付けのために入って……最初にこれを見つけたのは、娘です」
クレアは黒騎士団に知らせ、セルピコからカルードへと知らせがあり今に至る。
ディアヌと呼ばれた娘は、最初の勝気そうな声音とは違い小声になって言う。
「わたし……見てました。ここのお客さんが、他の巡礼の方々にしきりに声をかけて回っていたのを」
「内容を、覚えていますか?」
カルードが向き直って訊くとディアヌは一瞬その顔を見、少し言葉を詰まらせた。
「いえ……信仰のことで言い合っていたのを、一度」
「相手はその六人?」
月魔化したと思われる剣士六人。
「いいえ。色々な人に、です。ただ、私がその六人が仲間だと気付いたのは、その時」
「あの六人の巡礼たち、巡礼者にしては妙に整った服を着ていたから……変だとは、思ってました」
ディアヌが見たのは、巡礼者の衣の下に見えた服だった。
旅人を多く見てきたディアヌには、彼らの着こなしは旅慣れては見えなかった。
また普段目にする巡礼ならば、祭祀官のように裾の長いゆったりした服を着ているものだ。
長距離を歩いて渡るため、多くはドロワ市に着く頃には傷んでいて、ドロワの街で修繕したり買い換えたりしてから、聖レミオール市国に入るのが大方の廻り方だった。
けれど彼らはそんな様子もなく、酒場に出るわけでもなく、ただ熱心に祈りだけは捧げていた。
ディアヌは彼らを「こんなにお堅いお客がいるのかしら」と呆れて見ていた。
それも今回に限って、こんなに大勢――。
「ディアヌ!」
クレアが驚いたように娘を叱る。
「お前、気付いてたの?」
ディアヌは慌てたのか、いつもの下町の口調になって言う。
「ち、違うったら。お仲間の巡礼なんだって思っただけ。まさか剣士だとは思わなくって。剣士ってのはもっと――」
ディアヌは、剣を佩いたカルードを前に少し言葉を選ぶ。
「……もうちょっと、荒っぽいもんじゃない?」
六人組の正体は、ファーナムの聖殿騎士であると露見している。
ディアヌには、いつも宿に来る旅の剣士とはかなり雰囲気が違って見えた。
「まずいな……」
カルードは、壁に刺さったままの月魔の剣を見てつぶやく。
少なくとも四人の怪しい人物が存在し、それが今朝から行方がわからない。
「四人の顔や特徴が詳しくわかりますか?」
「あぁ、宿帳にも名前が」
偽名であるかも知れないが、外門を通った者との照合に必要だった。
わかっているのは、ドヴァン砦から解放された巡礼者の格好をしていてレミオールの巡礼札を持っていること。それだけだ。
「――レイムント」
カルードはレイムントに短く呼び、いつもの手振りで伝える。
「わかりました」
ロランたちはその動きに気付かなかった。
レイムントが自警団とセルピコらに知らせに走ることになる。
カルードは宿に残りさらに詳細を聞いたが、目的は応援が来るまでの間この親子三人を守るためである。
彼らは剣士ピオニーズ・ルネーの娘夫婦ではあるが、剣や武器とは全く縁の無い暮らしを送っている。クレアはおっとりとしており、ロランは強面に見えるが物静かなだけだ。
そもそも荒事も剣士も苦手である。
そんな彼らが剣士の集う宿屋をやっていけているのは、皮肉にも剣士ルネーの身内という看板があるからだ。




