三ノ一、ジグラッドとセルピコ
第一部 ドロワ
三、ドヴァン砦
夜が明け、午前が過ぎた。
空が暗い。
もう正午に近いというのに、ドヴァン砦の周囲は夕方より暗かった。
雨はない。
空にはただ、雷が轟いている。内圧のせいか耳が痛く、ときおり雷の轟音が響くと、兵士たちは心身ともに苦痛を味わった。
幸い、レアム・レアドはまだ姿を現していない。
ドヴァン砦は、いつにない規模の軍勢に囲まれていた。
片方は黒の装束に身を固めた、ドロワの第二騎士団。
その衣装から「黒騎士団」とも呼ばれる。団長はアストール・セルピコという、年配の寡黙な男だ。
もう一方はファーナム第三騎士団。
遊撃隊と同じ、オリーブグリーンの肩章やマントを身につけている。団長はジグラッド・コルネスといい、格好の良い髭を自慢にしている豪快な男だった。
今回の作戦では、どちらも竜騎兵の数は少なく竜馬は後方に下がっていた。
本来の竜騎兵は、竜筒と呼ばれる兵器を装備し火力は弓隊を上回ったが、突撃や移動を得意とする兵種でもあり、砦攻向きではない。
従って双方とも前面には弓隊を展開させ、左右には井欄を配備し、さらに投石器を動員していた。
ジグラッドは怒鳴った。
「まだ抜けんのか!」
傍らの中隊長が首を振る。
「急ぎませんと……砦の守備隊が体制を立て直してしまいます」
ジグラッドは唸るしかない。
「うむ……このドヴァンの揃い橋は、百年前の戦の時もレミオール越えの難所だったらしいな」
そして背後の兵に怒鳴る。
「北側の橋を攻めているドロワの騎士団は!」
「まだ! 依然膠着状態のままです。橋を進めません!」
そこへ駆けつけた伝令が伝えた。
「団長! 遊撃隊が間もなく到着とのことです!」
ジグラッドは少しばかりの笑みを浮かべた。
「バーツめ! ようやく来たか! ……議会の連中、待たせおって!」
ジグラッドはドロワでの事情を知らない。ファーナムの議会がバーツの出陣の是非で揉めたのが、遅延の原因だと思っている。
バーツは以前、視察としてこの現場に来たことはあるが、ガーディアンとして実戦に参加したことはない。ファーナムでも、レアム・レアドというガーディアンがいるこの戦場に、新たなガーディアンを投入することを躊躇する向きがあったのだ。
「奴が到着次第、雷光槍とやらで門を破る。よいな!」
ファーナム騎士団は、城壁の前で布陣を修正した。
ドヴァン砦の南角、その鋭角な城壁には三つの塔があり、機械式の強弓が配備されていた。また砦側の橋の上下や河の中洲にも簡易な砲床があって、投石器や弓隊が配置されていた。
橋を通ろうとしても河を渡ろうとしても、砦側からは自在に攻撃できるのである。
一方、ドロワの黒騎士団が狙う北の橋は、その北側に絶壁があり滝からの水が河に流れ込んでいた。セルピコはまず、この絶壁の上にも兵を配置した。
高さの上では、城壁から射てくるドヴァン側の弓兵と同じ位置を保つことができるが、当然ながら崖を上下に移動するのは困難を要する。かなり後方まで滝側の傾斜は延びていて、ドロワ騎士団も前後に伸びていた。
誰かが叫んだのはその時だった。
「現れたぞーっ! 北の門だーっ!」
セルピコはじめ、ドロワ騎士団は見える限り、門を注視した。
門の前には、敵の弓隊の姿だけがある。視線を城壁へと移した時、雷の音が一際高くなり、光の柱のような一撃が城壁に落ちた。
落雷の衝撃は、セルピコたちのいる地面にまで伝わり、その雷光は辺りを一瞬白くする。セルピコは手を翳しながら、城壁の上部、雷の落ちた辺りを見る。
そこには逆光になった人影が見えた。
城壁の上で、人影はいかずちを身に纏い、平然と立っていた。
遊撃隊は、森の中から再び街道に戻り、ドヴァン砦へと急いでいた。もう竜の背からでも砦の城壁が見え、投石の音や轟音が聞こえている。
「何だよ! この辺りだけ空が真っ暗じゃねぇか!」
バーツは竜を駆けさせながら、辺りを見回して叫ぶ。
アーカンスが砦を指差した。
「バーツ隊長! 北側の門付近に落雷! もしや……?」
遊撃隊一同が驚愕する。みれば真上の空には雷雲が低く立ちこめ、稲光が中で蠢き、裂けるような音を立てる。
「……チッ。やべぇ、もう出やがったか!」
バーツは速度を上げて、アーカンスの前に出た。
アーカンス以下、遊撃隊も続けて速度を上げる。
この落雷は、森の中を行くイシュマイルにも見えた。
「……雷?」
まさか、と背筋を冷たくし、それでも砦へと駆け続けた。
南の橋側、ファーナム騎士団。
報告の兵がジグラッドに叫ぶ。
「出ました! 北側の門に、レアム・レアド確認!」
「ぐ……」
ジグラッドは痛恨の表情を浮かべたが、すぐに鼻を鳴らして虚勢を張った。
「ふん! ガーディアンといえど所詮は一人! 手柄はドロワに譲ってやるわ!」
そして左右に怒鳴った。
「我々は南の門を抜くぞ!」
傍らの中隊長が叫ぶ。
「攻撃!」
控えていた二段目、三段目の弓兵が一斉に構えた。