二十二ノ七、市警団と貴族と
市警団のいま一人の副団長レイムント・ホープは、竜馬の厩舎のあるドロワ城内を主な活動拠点としている。
市警団三百のうち百余りが竜騎兵であり、彼らはドロワ城内の詰め所にて、ドロワ城主のセリオ・リーデルス=ドロワの管理下にある。
しかしこの状況に対し、ドロワの貴族は良い感情を持たない。
そもそもセリオの所有する領地は未だに広く、場所も良い。
新市街のほとんど、貴族屋敷の立ち並ぶ一等地がセリオの土地で、世知辛い話ながら貴族らの邸宅の借地料はかなりの収入になる。
貴族というのは自分の所領に本宅を持ってはいるが、政務や社会的地位のためには新市街にも邸宅が必須なのである。
豊かな賃料がドロワ城の財源となる他、セリオはさらにドロワ市周辺の斜面にも耕作地を持っている。アリステラにも輸出されている果実酒などの醸造所、特産の織物工場などを旧市街に有しており、山の手には製粉所も持つ。
他にも神学校の寄宿舎や施療院など、公営の施設には多少の差はあれセリオの存在が関わっている。
ドロワ聖殿がまだドロワ神殿と呼ばれていた頃。
神殿はその直轄地を手放し、それを分配された守護者と呼ばれた衛兵たちがこれを所有するようになった。これが、今のドロワ貴族の祖である。
そして当時、神殿の荘官だったセリオの先祖が神殿周囲の土地の管理者となる。一族は代を重ねるにつれ、より多くの良地を買うようになり、これらを所有するに至った。
新市街などはそうして近年開発された区画である。
一時はそれらも解放し分配するよう貴族らが働いたことがあったが、もっとも反対したのは、他ならぬその農場や工場で働く労働者たちであった。
ドロワ聖殿やドロワ城主の元で働くという誇りと、貴族らに管理されるより軽い租税率などがその理由だ。そして、その問題は多少の燻りを残しつつも今に至っている。
今またドロワ城主が市警団――つまり兵という力を持つ。
これは貴族らにとっては不愉快なことであり、表向きは皆反対の姿勢で居る。
そんな中、ドロワでも名門の貴族ガレアン家は静かに状況を見守った。
カルード――ヘイスティングがドロワ市警団の団長に就いた一件は、ガレアン家と他の貴族の間にも余波をもたらし、当のガレアン家は三男ヘイスティングを勘当扱いにした。
カルード自身は、実家と距離を置くことでより団員らに溶け込もうとしていたが、その裏で透けて見える現実からは逃げ切れずにいる。
「――団長」
レイムントが声をかけた。
うっかり道を過ぎそうになって、カルードは我に返る。
「そっちじゃありません、カルード」
「あぁ、ぼんやりしてた」
「また何か厄介事ですかな? それともお疲れか」
カルードは返事の代わりに困ったように笑う。作り笑いというやつだ。
旧市街の奥から、槌の音が響く。
この西南の一区は先の月魔の事件でも特に破壊された場所だった。もともと町並みが老朽化していたこともあって、その被害も拡大した。
目の前の家屋にも、遠くに見える建物にも修理の為の足場が組まれ、職人が働いている。
「だいぶ……復旧しましたかな」
レイムントはいつもの穏やかな声で言う。
この辺りの復興に多額の資金を出したのは、ガレアン家の次男――つまりカルードの兄である。貴族としての義務の一つである慈善活動ではあるが、兄たちはもう少し推し進めて、事業を興そうとしているらしい。
ガレアン家は城主セリオとの関係を公にはしていないが、他の貴族よりは一歩抜け駆けているのは明らかだ。
そしてセリオが管理している自警団の運営にも、秘かにガレアン家の援助があることも。
「――行こう」
カルードは気持ちを切り替え、踵を返した。
「それで……セルピコ殿はなぜ、俺を現場に行かせるんだ?」
「仔細はわかりませんが、聖殿騎士では不都合があるからと。また自警団員にも行かせてはならぬそうで」
「……何だろう?」
セルピコにしては歯切れが悪い、そうカルードは訝しがる。
レイムント・ホープがセルピコとの繋ぎとなり、今日の供にも選ばれたのはその物静かな性格と、口が堅く信用のおける人物だという評の為だ。
自警団の中では年齢が高く妻帯者であり、竜馬の訓練士という異色の職歴の持ち主でもある。副団長という立場ではあるがカルードにとっては相談役にも近く、カミュの温厚さとネヒストの冷静さを合わせ、そこに剽軽さを足したような男である。
今は旧市街を二人、歩いて指定の場所を目指している。
ドロワの街はその周囲の山々から切り出された白い石材が多く使われている。
新市街の清らかな白さはその白壁と、取り取りの屋根瓦のコントラストで成り立っている。
反して旧市街では、安価な混成の干し煉瓦を積み、外側を粉砕した屑石を混ぜて塗りこむ。古い建物では丈夫な材木を組み、間を土と壁で固めてある。
経年劣化もあって、磨耗や黒ずみで町並みが灰色がかって見えるが、人々は窓や道の脇に草花などを飾って少しでも明るい色彩を保とうとしている。
特に店の建ち並ぶ区画には、外壁から天幕が引かれ、看板や商品などが並んでいて乱雑ながら賑やかな色彩に溢れていた。
暫くいくと、民家や食材店の向こうに一件の宿が見えてきた。
この通りは、古い時代の通りを一度潰して広げたため、旧市街地の中では広めの通路が南北に伸びている。
往来の角にあり、建物の大きさもあって良い立地にその宿屋はある。
「あの看板……緑の三葉亭――シャムロックか」
「そのようですな。指定された番地も此処で間違いは無い」
「まさか」
カルードは、この宿屋を知っている。