二十二ノ四、善意と悪意と
「それで、じゃ。残る三つ目の話とは?」
セルピコが、カミュを促した。
この件だけはセルピコもまだ耳に入れていない。
「ファーナムについての知らせ……ですね」
カミュは、カルードの顔色を見ながら話す。
「まず、第三騎士団については、予想通り。ジグラット・コネルス殿以下、降格等の厳しい処罰の上、軟禁または謹慎。その間の行動は出来なかったようです」
「ふむぅ。降格、か」
「それと遊撃隊ですが――」
反応を示したのは、今まで壁の一部のように沈黙していたツグルス・ネヒストである。カルードは硬い表情ながら、冷静に聞いている。
「遊撃隊は解散、それぞれ第三騎士団に散り散りに取り込まれたようです」
「解散とな。それはまた厳しい」
「――遊撃隊に関しては、もう一つ。一名が他騎士団に転属、一切の処分なども受けなかったようで……」
「転属? それはまた妙な」
カミュは、セルピコの相槌を無視して一息に言う。
「元隊長のアーカンス・ルトワ。転属先は、第四騎士団です」
「……っ」
カルードの顔色が変わる。それを隠すように他所を向いた。
「……なんと、それはまた……」
沈着なセルピコも、顔をしかめて思案する。
カミュ、そしてネヒストがカルードの横顔を注視している。
セルピコは空気を読むでなく、唸っていた。
「うむぅ、おかしな話じゃ。一人というのも奇妙であるし、潜入目的にしては素性も明らか過ぎる」
セルピコは、あくまでジグラッドの采配の線を考えている。
「……して、その情報は、どこから?」
「評議会のクライサー・オイゲンです。氏はファーナムに親族がおられるとかで、人を使って調べさせたようで……」
「ほう、確かな筋か」
「事が事だけに、評議会に出す前に私の方へ」
「……確かにな」
カミュは簡潔に答えたが、セルピコは含みのある声色である。
その時、向こうを向いて考えていたらしいカルードが、くっと喉を鳴らした。
そして堪え切れなかったように笑い出す。
自棄の嗤いではなく、楽しい或いは面白い話でも聞いたかのような反応だった。
カミュも、ネヒストもこれには驚きしかない。
「ヘイスティング……」
「し、失礼、最近大袈裟に笑う癖がついてしまって――」
カミュは面食らってその名で呼んだが、元部下の笑い声を聞いたのも初めてだった。
しばらく横を向いて笑ったのち、カルードはカミュに問う。
「俺、今どのくらいの時間考えてました?」
「……どのくらいといっても。僅かな時間だ」
「そう、ですよね」
カルードはまだ息が上がっている。
「さして考えるまでも無く、実に明快に辻褄が合ってしまった……。ファーナムが月魔の一件の黒幕ならば……遊撃隊が仕掛け人ならば、こんなに簡単なことはない――」
「そう結論づいてしまった自分の単純さにも、呆れただけです……」
カルードは笑いの原因をそう釈明した。
「俺は、もう何度もこの結論に達してきた。いまさら駄目押しされた所で、やはり結論は変わらない……」
「……大丈夫か? ヘイスティング」
「俺が、いつものように怒ると思いましたか?」
「あぁ、いつもならとっくに」
カミュにしては杜撰な返答だ。
笑いを収めたカルードは、打って変わって平静に戻る。
「俺にとってはあいつらに合わせて笑うことの方が難しい……けれど、怒ることをやめるのは、それよりは簡単でした」
「どういう意味じゃ?」
セルピコも、以前と違うカルードの様子を気に掛ける。
「今の俺には三百人もの師がおるのです。怒る所も笑う所も、全て彼らから学び直しているところです」
あいつら、とは自警団の面々のことだろう。
騎士は騎士然とあれ、で済ませていた事柄が市警団では通用しない。
カルードは話を戻した。
「俺は以前、同じ考え方をして失敗している。あの龍人族との戦いの時に――あんなのはもう、ごめんです」
ネヒストが、無言のままその硬い表情を変えた。
「単純過ぎて、もっとわかりきっていることに目を向けていなかった……」
カルードは姿勢を正して、きっぱりと否定した。
「遊撃隊やあの男に出来る芸当じゃない、豪胆なジグラッド殿はともかく」
そしてこうも付け足した。
「見るべきは、この情報を寄越した何者かの腹の内でしょう。我々とファーナムの疑心、離間を誘おうとしたのでしょうが、かえって白々しくなった。浅すぎます」
「ほう? それはクライサー・オイゲンのことか?」
「いいえ」
セルピコの試すような問いに、またもカルードは否定する。
「オイゲン殿の人が良い事は皆が知っている。彼は何の悪意もなく身内を案じただけでしょうし、そんな彼の善意の発言ならば大抵の者は信用します」
「けれどこの情報には欠陥がある。肝心な部分が有耶無耶で、この欠陥は作為的なもの――そう疑ってしかるべきです。……おのずと善意に隠れた悪意の主が伺えましょう」
「なんだと思うね?」
「この感情を逆撫でてくるやり口……まず、ライオネルの手口かと」
「おぬしもそう思うかね」
「えぇ。俺は今、まんまと乗せられて感情を乱しています。前回、密告を受けて遊撃隊とぶつかった時と全く同じだ」
「なるほど、のう……」
セルピコも否定せずに聞いている。
「そこまで言うなら、何故ファーナムの悪意は考えない? 何か確とした繋ぎでもあるのか?」
「よして下さい、ファーナム騎士と馴れ合う趣味はありません」
カルードは即座に否定する。
「確かに俺は今、ファーナムやアーカンス・ルトワには腹を立てています。それも、猛烈にね……」
「けれど、もう一度状況だけを並べてファーナムにとっての利を考えたのです」
「ほう?」
「ライオネルがあの優勢の中でもドロワを攻め落とさなかったように、ファーナムもドロワを壊滅させて利がない……」
セルピコも思う所は同じであるのか、笑みを浮かべた。
「ファーナムと帝国が手を組んだところで、都市連合が弱体化もしくは解体してしまっては自分も丸裸になるだけ、ファーナムに益はない。まして、その為に月魔六体を使うというのも変な話です」
「なにより、伝わってくるこの嫌な感覚。俺たちはもう何度も味わってこの気配を知っている」
「それがライオネル、か」
「えぇ。この情報を俺たちに寄越して、もっとも利を得るのはライオネル。となれば、十ある証拠が全て同じ方向を向いているのも不自然と思い至ります」
そしてカルードは同じ言葉を繰り返した。
「腹は立ちますがね」