二十一ノ十、ララバイ
「あー……。少し横道に逸れても、いいかな?」
重くなった空気に耐えかねてか、ライオネルが片手を上げる。
「その、イシュとかイシュマイルとか言われてる少年だけど」
ライオネルは、話を今に戻した。
「その名前、誰がつけた?」
「……と、おっしゃると?」
「前々からちょっと気にはなってたんだよね、その名前」
レアムは言葉短く説明する。
ウエス・トール王国で赤ん坊を預かった時、村長を始めとした人々は皆その名で呼んでいた。
「あの子の母親だという女が、何度も口にしていた名前だそうだが」
「ふぅん……」
ライオネルは、またも癖で眼鏡の弦を触っている。
「何が言いたい?」
「いやぁ、お前の口から『イシュ』なんて言葉が出てくるのが意外だなーと思っててさ」
「どういう意味です?」
「――名前じゃない。かも知れない」
ライオネルは、確信はないながらも説明する。
「イシュマイル、というのはノア風に変化したものとして、元々のイシュという音だ」
「タイレス族の聖詩集には子守唄――ララバイがわりとあるんだが、その詩の中でよく出てくる単語と同じ発音なんだ」
「子守唄……」
「そ。タイレス族の神聖語、エルシオンとの共通語で、『この子』だとか『坊や』といった意味だ。詩の中では我が子への呼びかけとして繰り返し出てくる」
養母であるロロラトならずとも、その情景はたやすく想像できた。
「……その女、名を呼んでいたのではなく、赤子をあやしていたんじゃないか?」
ウエス・トール王国で、瀕死の状態で救助された女性は祭祀官のような装束で、その言葉使いも独特であったという。
避難民たちがオアシス村に辿り着いた時、村長が周囲に者に仔細を尋ねたが誰も彼女を知らなかった。避難の途中で合流したのだが、いつ頃どこでなのかも誰も知らない。
結局、その女性は何もを語らないまま数日で死んだという。
「まぁ、偶然であるかも知れないし、あくまで名前じゃないと仮定した場合」
ライオネルは前置して言う。
「だとしたら、だ。その女の正体も少しは絞り込める」
「この詩をよく知る者、この言語を日常で使用する者としては、高位祭祀官やオペレーター、天上界でエルシオンに仕える神官、またはガーディアンが上げられる。あとは私のような研究者の類だな」
さらに条件を絞ると――。
「まず地上世界にあって村人に接していたこと、女祭祀官のような衣服を着ていたこと、ガーディアンの中でその頃に死亡した女はいないこと……」
「十五年前といえば、オヴェス・ノア村が壊滅した時だ。またフレイヤール養成所近郊、ウエス・トールとの国境付近が特に被害が大きかったと記憶している」
フロント聖殿のあるフロント市にはフレイヤール養成所と呼ばれる施設があり、女性の祭祀官や見習いが多く学ぶ。
しかし、かつては魔女の棲家とあだ名される特殊な地勢だった。
フロント市が別名を『花の都』というのは、独特の土壌で育つ魔素を帯びた花々が咲く所から由来する。そのような場所であるから、月魔の発生も他所よりも多かった。
「なるほど……」
レアムは改めて、十五年前の自分の未熟さを認識する。
あの頃は、とにかくエルシオンに関わる物全てに激しい嫌悪があった。
ガーディアンを名乗らず、ハンターと偽ったのもエルシオンへの憎悪があったからだ。
「ま、頭に入れとくのも有りだね」
一方のライオネルはというと、ようやく自分の得意分野で切り込むことが出来、小気味良さを感じている。
今回の遺跡への探査で、何から何までレアムの掌の中であることに歯痒さを感じていたからだ。些細なことながらレアムへの意趣返しを果たしたという所だろう。
日暮が近付き、ライオネルは一先ず撤収を決めた。
ドロワ市側への配慮もあり、長時間この場に兵を置くことは避け、互いの調整役を取り決めた。
立場上サドル・ノア村は、ノルド・ブロス帝国の直轄として押さえられたことになる。
レアムの懇願により、ロロラトの協力も得られた。
今は、ライオネルがサドル・ノア村とイーステンの遺跡、両方を掌握する立場となる。
この上はノルド・ノアにある遺跡に赴く必要があるだろう。
「そういえば、あと一つのオヴェス・ノアの遺跡なんだが」
帰還する道すがら、竜馬車の中で改めてレアムに尋ねた。
「あいつはどうなんだ? あの新米のガーディアン」
「あいつ……? あのバーツとかいう?」
言われてレアムも、ドヴァン砦で一度戦ったノア族のガーディアンを思い出す。
レアムから見れば、戦闘型ガーディアンとしては全く未熟で、ファーナムが担ぎ出したにしては話にもならない戦力だった。
「バーツ・テイグラート。調べたところ、奴はオヴェス・ノア族だ」
「……ふむ」
「ファーナムがなぜ今、急ごしらえでガーディアンを仕立てたのか、その目的が気になっていた。しかし――」
ライオネルは、ロロラトの前では言わなかったことを一気に言った。
「ファーナムも存外に無計画でなかったのやも知れんな」
「――まさか、遺跡か?」
「無くはあるまい。遺跡に近付けるのは、族長の血筋かガーディアン。お前がそう言ったんだ」
レアムも、ライオネルの考えには得心がいく。
「ファーナムは失われたオヴェス・ノアの遺跡の在り処を知っている、と」
「考えすぎだろうか」
「いや……その判断で動くべきかも知れない。あのバーツとかいうガーディアン、確かに危険だ」
バーツの動きは未だ読めないが、ドヴァン砦でのバーツはガーディアンとしての振る舞いではなかった。
「……ドヴァン砦で、始末しておくべきだったな」
「……」
ライオネルは、あの戦闘でレアムがかけた情けには憤りを覚えている。
レアムはそのことに対しては、言い訳も反論もしなかった。
ただ気掛かりはある。
そのバーツが、今イシュマイルと共にあることだ。
「これもエルシオンの思惑のうちだとしたら……忌々しいな」
ライオネルは、腹の内はどうあれ口調だけは軽いままだ。頭の後ろで両手を組んで、座席の背凭れに身を預けている。
傍目には暢気に構えているように見えるが、その脳内ではこれまでに積み上げたプランをまっさらにして、新たな絵図を組上げる算段をしている。
ロロラト・サナン、オルドラン・グース、パルピナ・ハーモッド、セリオ・ルーデルス=ドロワ……全てが一からだ。
――問題は。
(……今のレアム・レアド、どこまで使える手札だろうか)
考えも感情も、表情に出ないという点ではオペレーターにも伍するライオネルである。
彼の日常は、常に気の緩む時がない。
タナトスの受ける暗殺未遂の数ほどではないにしろ、皇帝の第三子というものはわずかな風向きでも立場が危うくなる。
今までも、今も、常に綱一本で繋がっている命だ。