二十一ノ六、かしまだち
大陸の北西部に、オヴェス・ノアという街がある。
水の宮アリステラからはほぼ北に位置し、バーツとイシュマイルはウエス・トール王国を目指す道すがら、まずはオヴェス近郊の港に寄る運びとなった。
イシュマイルは出航の準備の合間に、まずは公営厩舎に預けている二頭の竜馬の様子を見に行く。
アリステラ滞在中の規則もあって、バスク=カッド邸に置くわけにも行かず竜馬たちはずっとそのままだった。
「こちらは支障ありませんよ、竜たちも馴染んでいますしね」
厩舎の係員はそう言って延長の手続きを快く受ける。
「むしろ助かっていますよ。訓練の行き届いた竜馬が居てくれると、他の竜たちも落ち着くんです」
そういうものなのか、とイシュマイルは思いながらしばしの時間二頭の相手をしてやる。
その後は、レニのいる四辻にも足を運んだ。
手にはバスク=カッド家から預かった差し入れの籠がある。果物だとか、野菜を挟んだ穀物のパンだとか、そういった軽い食事の類だ。
レニは菜食主義なのか、あまり肉類を口にしたがらない。
「意外だね。よくその体格が保つね」
イシュマイルから見ても、その量は極端に少ない。
「ここ(四辻)に居るってのも、理由の一つだな」
レニはひときわ大きい木の上にいたが、今は降りてきていて太い木の根に腰を下ろしている。バスク=カッド家の屋敷にはほとんど寄り付かないが、それで何も不自由はない様子だ。
「この四辻は龍脈の流れ、エネルギーが大量に流れててな。竜族ならここにいるだけで飲まず食わずでもやっていけるぜ」
龍人族であるレニは、竜族とまではいかないまでも多少その効果を得られるようだ。
「うーん。その龍脈ってのがよくわからないんだよね。渦とか流れとは違う物?」
「そうだな」
レニは、籠から果物を一つ手にして話している。
「渦はいわば記憶の流れ、意識体だ。対して龍脈は、大地の血流みたいなものだな」
「大地の?」
「あぁ。オレたち龍人族にとって大地とは一つの巨大な生き物で、同時に多くの生き物の集合体でもある。生き物が集まるところ、必ず生命の循環がある」
循環という言葉を聞くと、いつぞやのレコーダーを思い出す。
「循環がうまくいっている場所は繁栄があり、逆に淀めば月魔だの戦だのと異変が起こる」
「ふぅん」
レニは籠からもう一つ果物を取り、イシュマイルに投げた。
「ま、ここは正直良くもあり悪くもある。真っ先に異変が起こるのは、おそらくここだ」
レニは果物に齧りつきながら、先日と同じ曖昧な説明をする。
「……じゃあやっぱり、ウエス・トールには行かないの?」
「あぁ」
新鮮な果実はつい先ごろバスク=カッド家の農園で採れた物だ。歯を立てるつどにサクリと良い音がする。
「ついてってやりたいのは山々なんだがな。どうにもここに留まれっていう指令があってな……離れるわけにはいかねぇ」
「それ、初耳だよ」
「だな」
イシュマイルも、木の根に腰を下ろしてレニと語らう姿勢になる。
「なぁ。オレは、お前を守ると誓ったこと、破るつもりはねぇよ。ただな――」
「オレはレアムじゃない。オレの存在がレアムと思い出させるなら……それで苦しませるなら、そんなのはゴメンだ」
「……」
イシュマイルは果物を一口齧ったまま、驚いたように固まっている。
たしかにレニとレアムを重ねて見たことは何度かあったが、そのことでレニが思い悩んでいるとまでは思っていなかった。
「オレは、レニスヴァルド・アストラダだ」
レニは、改めて口にした。
「オレは、レアムの身代わりにお前を守るわけじゃねぇ。オレはオレの意思でお前に誓った。だが同時に、オレ自身の望みもあるんだ」
「望みって……どんな?」
イシュマイルはようやく声にし、レニの答えはイシュマイルの想像の外だった。
「オレの望みはアスハール家を再興することだ。百年前、レアムの代で途絶えたアスハール家を、オレは必ず復活させる。……手柄が必要なんだよ」
「アス、ハール……」
イシュマイルもその家名は何度か耳にしていた。
レアム・レアドのかつての名はレアム・アスハールであり、レニはその名に連なる親族でもある。
「アスハールの家は、ジラルネス・ラトエ・ルードの称号じゃなきゃ意味がない。戦い守るって意味の、称号がな」
アスハール家の祖先はかつて戦いによってその領地を得、戦いによってそれを守り伝えてきた一族である。この称号は、アスハール家がその土地の始祖であることの証である。
だがその領地も命も、ほとんどが百年前のレヒトの大災厄にて消滅している。
「オレはアスハールの家を再興して、同時にオレをここに送り出してくれたアストラダ家の人たちも守る。アスハール家を通してノルド・ブロス帝国の未来も守る。――お前はどうだ?」
レニは、ここにきてその胸の内を一気に口にした。
この数日、イシュマイルとの誓いと自分の望み、そして本国からの指示が綯い交ぜとなってレニの心を悩ませていた。
だが結局、レニの選んだ答えは本国からの指示と、その情報から導き出された。
「オレはここに残って、お前らがアリステラに戻るのを、待つよ」
「……うん」
イシュマイルにはまだ、レニが何を確信しているのかよくわからない。
代わりに、問われたことを口にする。
「僕も、同じことを考えてた。サドル・ノア族を守る……村を守り、ノア族の伝承と人を繋ぐんだ」
「そのためには、今は少し危険でも――」
「それが、レアムと衝突することになっても、か?」
「……」
少し考えて、言葉を繋ぐ。
「僕は、自分の記憶と気持ちを信じるよ。……少し前までは自信が無かったけど」
「……なにを?」
「レムは、レアムの往く道は、いつも一本だ」
なんの根拠も裏づけもないが、イシュマイルの中ではそう考えた方が色々なことが辻褄が合う。
「レアムは根っからのガーディアンなんだと思う」
「え?」
「……そう考えた方が、単純なんだ」
レムにしろレアムにしろ、立場や状況が複雑なだけで本人はそうではない、とイシュマイルは改めて捉えていた。
そして、レニに手を差し出した。
「レニの望みも、協力するよ。レアム・レアドが成しえなかったこと、レニならば出来るはず。僕はそう信じる」
「あ、あぁ……」
差し出された手を、レニは見よう見真似でとる。慣れない握手は、それぞれの誓いを再確認するかのようだ。
「まずはウエス・トールに行く。でも本当の僕の目的は、あくまでドヴァン砦だ」
「……あぁ」
レニはようやくいつものような笑みを見せた。
心配でないといえば嘘になる。それでも、一時離れることを決めた。
この時。
握手した手を通じて、レニの脳裏に赤い龍の姿が過ぎった。
レニに自覚はなかったが、それまで幼龍のままだったレニの龍相が、赤龍の相へと変化していた。
赤龍相は王者相であり、アスハールの家伝でもある。
それ以前はおぼろげに描いていた幼い望みが、いつしか現実の延長へとシフトする。