二十一ノ四、漆黒の花
司書は、周りを憚ってか声を落として言う。
「ニキア様は当初、エルシオンの支援を受け入れ協調するよう提示されたと聞いています。サドル・ムレスにあるラボと同じく、エルシオンの技術を用いればいくらか安全です」
「……」
「でもそうして得られたジェム、魔石はオリジナルの龍晶石に比べると、格段に威力が落ちる」
「しかもタイレス族に生産のラインを預けることにもなりますから、結局十分な理解が得られず、今稼動しているラボはレヒト聖殿かボレアー聖殿のみ……次に推奨されたのが、この植物を使う方法でした」
「具体的には?」
「はい。龍晶石はまず坑内で人の爪ほどの小片、龍鱗石に加工されます」
運搬は専用の魔術器に封印して持ち運ぶことになるが、これはドロワでシオンが月魔石をオペレーターに渡すまでの間、保管していた箱と似たものである。
「龍晶石そして龍鱗石の魔石化には、エルシオンの技術を用いるか、何がしかの生物の媒介が必要です」
司書はこの場にない二つのサンプルについて、手振りで説明する。
「生物を使う方法は現状で二つ。一つは龍鱗石を植物の組織内に移植して変質化成させる方法。もう一つは龍鱗石に粘菌等の変性体を着生させ、暴走生長させる方法です」
「変異に暴走か……なかなかに危ういな」
「えぇ、特に粘菌を使う方法は月魔とまでは行かなくても危険です。そこで、より安全な植物で行うよう指導されたのが、ニキア様です」
司書は再び月針葉の小鉢に持ち替えてカーマインに見せ、カーマインも司書の言わんとしていることに気付く。
「なるほど。その植物というのが、この月針葉とやらか」
「はい。月針葉を使うと、とても安全に月幽晶を取り出すことができます」
司書は人前での講義に慣れていて、カーマインの前でも淀みなく話す。
「他の植物なら龍晶石の毒性で枯れてしまいますし、組織内に混入すると硬結や形質転換を起こします。しかしこの月針葉の葉には特性があって、クチクラ層より深部に取り込んだ龍鱗石を化成、再結晶化させ、毒性や暴走を無くさせてしまうのです」
ちょうど貝に核を抱かせて真珠を作らせるように、肉厚の葉の中に龍鱗石の結晶を埋め込む。両者の違いは真珠は分泌液で核を包んで層を作るのに対し、月幽晶はほぼ龍鱗石と同じ大きさのまま変質を起こす。
今二人がいる植物園内のプラントなどは、そのささやかなものだろう。
タナトスが余暇の憩いにふと訪れて、その後の思いつきで始め、しばしそれに没頭していた。司書がここに通うようになったのも、ごく最近のことだ。
「ここのプラントでは月針葉を使って月幽晶を生成する試験をしていますが、それなりに危険も伴いますし、何よりあまり生産性が高くありません……今のペースでジェム・ギミックの使用が拡大したら、とても追いつかないでしょう」
そしてつい、ぽろりと口にした。
「このままではまた『牧場』に頼る結果となる、と――あっ、し、失礼致しましたっ」
司書は不適切な言葉を使ったことに気付いて慌て、カーマインはそれについては聞き流した。
牧場――俗に月魔牧場とあだ名された呪わしい施設のことである。
月魔石を取り出すために、故意に家畜や動物を月魔化させ、屠った。
龍晶石から確実に強力な魔石を取り出す方法として、月魔石という方法が選択されたのである。
一説には人を使ったとも噂されている。
一時期、帝国内で秘かに行われていた凶行で、レヒトの大災厄からの復興時、そして神官戦争中はやむなく生産されていたのだが、皇帝側はこれを禁止した。
ジェム・ギミックの開発以降、独自に魔石を生産する研究は延々と続いてきた。
しかしながら、現状どうやっても月魔石ほどの魔力を持つ魔石を生み出すことが出来ずにいる。龍晶石から生み出される数多の魔石の中で、月魔石は別格の存在だった。
唯一、代用の可能性があったのが月幽晶、アユール・ホワである。
タナトスの母・ニキアはどこからか持ち込んだこの植物と技術で、まったく新しい魔石を生み出し、その魔力は月魔石にも伍するものだった。
――実は。
先のドヴァン砦攻めでイシュマイルたちが見た月魔石も、本当のところはこの月幽晶のギミックである。
魔法陣も、ライオネル隊が使った龍筒のような武器も、また門など砦に仕掛けられたギミックの動力源はこちらの魔石だった。
その効果は実戦でも証明され、十二分な威力だと判断されるに至る。
「何が問題なんだ?」
「……月針葉の特性です」
カーマインは興味を持って尋ね、司書は棚に並ぶ月針葉の小鉢を見ながら言う。
「月針葉が龍鱗石を再結晶化するのには、日光と水と風……広い場所と時間が必要なんです。でも、我が国は魔素もあって穀物の耕作地すら厳しく、これ以上は――」
「なるほどな」
「月針葉自体も小さい植物ですし……手間の割には量が稼げません。多くの研究者は、プラントの拡大や収穫の効率化、そして用地の確保に専念しています」
「でも殿下は、独自に質を上げる工夫をなさっておられました。――みてください」
司書は棚からもう一皿、黒い魔石のサンプルを取り出してカーマインの前に置いた。
「そちらは殿下が生成されたもの、でも私が代わってからは」
「……見たところ、同じものに見えるが」
「いいえ」
司書は、テーブルに設置された照射器を起動させ、二種の月幽晶に光を当てた。途端に、はっきりとした差が浮かび上がる。