二十ノ九、地の神の座(くら)
「ここが段階弐の扉か……まさか、こんな場所でさっきみたいな大事が起こるとかいわないよな?」
ようやく軽口の戻ったライオネルが、扉の前へと降りてくる。長いスロープの先は、一部屋ほどの平地になっている。
ただし天井の高さは巨人用ではなく、ノア族のサイズだ。
「ライオネル」
レアムが静かな声で呼び寄せる。
「お前なら、ここにある文字が読めるだろう」
「んー、何の文字だって?」
レアムの指し示すプレートに近寄り、常人には絵にしか見えないその文字を確認する。
途端に険しい表情に変わった。
ライオネルは、普段から装着している眼鏡状の魔法具、ギミック・グラスの弦に手をやる。指先を微細に動かしグラス越しに表示される翻訳を再度確かめた。
「……龍、座……」
龍座。直訳するなら神龍が鎮座する岩座というところか。扉の先に何がしかの龍、それに類する者が在るということだ。
「レアム」
ライオネルの声が低くなる。
「お前、知ってて私をここに連れてきたのか」
「……いいや。私もここまで潜ったのは初めてだ」
レアムは首を横に振って否定する。
「だが……予想はしていた」
そこへ、ようやくダルデたち三人が追いついてきた。
ダルデはその場で座り込み、ロロラトにも疲れが見えた。
「頑張るなぁ、あんたも」
ライオネルは平静を装って声をかける。
龍人族の常で、親しみの感情から気遣ったり励ましたりしているわけではない。ただ帝国の代表としてノア族の村長と居る手前、多少の演技をすることは厭わない。
レアムは間髪を容れずロロラトを呼んだ。
「ロロラト、ここに。貴女ならこの扉を開くことが出来る」
「……はい」
ロロラトは夫から離れ、呼ばれるままに扉の前へと立つ。
「あの……これでどうせよ、と?」
ドアノブも、鍵穴もない巨石を前にしてロロラトは尋ね、レアムは言葉の代わりに手でその場所を指し示す。
僅かに窪んだ枠があり、その大きさは大人の手の平が収まるほどの大きさだ。
「こう、かしら?」
戸惑いながらも枠の中に手を重ねる。
なんの反応もない? とロロラトが再度強く押さえると、ふっと周囲の空気が変わったのが感じられた。
巨石は押されるままに数センチ下がり、そのまま横にスライドして開いた。
ほとんど音もなく、重さも感じなかった。
果たしてその奥には、もう一つ部屋があった。
同じぐらいの広さ、そしてその先には扉はおろか、窓もない。
「これは……」
ロロラトは狼狽したが、ライオネルとレアムにはこれが何なのかすぐに理解できた。
「どうやら歩くのはここまでで済みそうだ」
ライオネルは振り返ってダルデにそう声をかけた。
レアムは何かを用心し中に入る前に手をかざしてみたが、予想に反して何事も起こらない。長男がダルデを中に運び、ロロラトとライオネルも続いた。
「起動させる」
部屋に入ったレアムは、すぐに壁に刻まれたレリーフにに気付いた。
浮き彫りの円形の紋章が壁に描かれている。明らかにギミックの操作盤である。
レアムはこれに近寄って手を触れた。そのまま暫く目を閉じて様子を伺っている。
「……どうした、トラブルか?」
「ライオネル、紋章に手を」
レアムは協力を求めた。
「ほう、花の紋章のようだが……古い意匠だな」
ライオネルは、浮き彫りの花の一輪に手を添えた。
「アレウの花か。その謳われるところの詞に由れば――『迷わしの森にてその花を辿れ。蕾がその名を知る時、扉は開いて正しき道を示すであろう。汝、正しき言葉を識る乙女なり』……」
ライオネルは龍族の歌の中から古典的な詩を読み上げた。
レアムも同じ解釈をしたか、頷いてみせる。
「紋章に向かって、先ほどの言葉を――プレートの文字だ」
龍座。龍の御座とも訳そうか、ライオネルは一息吸うと丁寧な発音で、古い龍族の単語を声に出す。言葉が、物理的な質量を持つかのように紋章へと吸い込まれるのを感じた。
「――見つけた」
目を閉じていたレアムが短く言うと同時に、円形のレリーフの模様が複数の輪に割れた。同心の輪はそれぞれに動いて、やがて一つの模様を作るとまた一枚の紋章に戻る。
「『花の紋章の部屋』、アレウ=ホワ・クライス――なるほどリフターとしては面白い仕掛けだが……少々手間だな」
ライオネルは、今の奇妙な感覚の残る手の平を見ながら言う。
「ふ。私を連れてきた理由がこれか?」
ライオネルはそうレアムに絡んだが、レアムは答えない。
「まぁ、いい――扉が閉まったら揺れるかもしれない。気をつけたほうがいい」
ライオネルが促し、ロロラトが内側にある枠に手を触れると、ようやくそのギミックは動き出した。
「あの、これは何です?」
感じるのはかすかな振動と、少しばかりの方向感覚の違和感。自分たちが、この箱ごと高速で移動しているとは露とも思っていなかった。
「あとで説明する。貴女がたはこれと似た仕掛けを見知っている」
レアムは説明を避けたが、その言葉も終わらぬうちにギミックが止まった。
「この速度、この安定性……随分と良く出来たギミックだ。いつ頃に作られた物かはわからないが」
ライオネルが軽口でなく感心する。
もしロロラトが古龍族の言葉を知っていれば、それで事足りた。それが適わなかったためにライオネルを使い、レアム自身が直接ギミックの機構に干渉して、やや強引に岐点をスウィッチしたのだ。
ただ傍目に見ていた者には、その労苦は伺えない。
ロロラトが紋章の枠に手を当てると花の紋章が二つに割れ、扉のように左右に開いた。
その先に長い通路が延びているのが見える。
「どうやら終着か」
ライオネルが外の安全を確認し、先に通路へと出――。
「待て! 部屋から出るな!」
数歩といかないうちに、ライオネルが片手で制するようにして声を上げた。ロロラトとダルデたちはその一声でその場に立ち竦む。
レアムは制止の声を無視してライオネルの横に立ち、確認するように周囲を見回した。
「なるほど、これはまずい」
ロロラトたちには何も見えなかったが、龍人族の二人はすぐに気付いた。
「なんですの?」
ロロラトは尋ねながら、喉に異変を感じてか手を口に当てている。
ライオネルは、指で上を示しながら答える。
「通路の内側に、龍晶石が発現している……あんたら流にいうと、ジェム原石とでも呼ぼうかな」
わずかではあるが、壁や天井の隅に結晶柱が張り付いている。
「月魔が出現していないのが不思議なくらいだ。魔素が通路に満ちようとしている」
ライオネルの言葉に、ダルデは思い出した。
「もしや、『生きた石』か」
「そうだ」
レアムが答え、ダルデは部屋の中から目だけ動かす。
「やはりか。このような地下深く、いずれ当たるのではと恐れていたが……」
「地の神の坐す窟であったか……静謐を妨げてしまった」
ダルデは沈痛の声音で呟く。
「地の神、ねぇ」
ライオネルはサドル・ノア族の伝承に対して、その言い回しの妙には感心している。『聖地』で土を掘り返すこのへの禁忌、地表に唐突に現れた龍晶石への対処法など、危険を避ける方便としては中々気が利いていると思った。
「しかし、まぁここまでだな」
「私たちはもう少し進めるが、あんたたちには無理だ。ここで扉に隠れて大人しくしていることだ」
サドル・ノア族の三人を残し、ライオネルは先に進もうをする。