十九ノ五、祭祀官
「ロナウズさんは、違う意見なんですか?」
「あぁ」
フォウルの見方も間違いとは思わないが、目的は複数あるのだろうと考えている。
「私が気にかかるのは彼らがそこまでして得ようとした、ノア族の持つ『何か』だ。今でもこの順応化を勧める動きがある以上、目的は果たされていないのだろう」
「伝承や言葉でない『何か』ってこと? ノア族が?」
イシュマイルには理解しがたい、または不可思議としか思えない話だ。
「それ……何か、形のある物なんでしょうか。手に入れてもタイレス族に使える物でなければ意味がない。でもノア族にとって大切なものは、まず形はありませんから――」
「少なくとも僕は信じません」
「それは、私もそう思う」
イシュマイルは呆れたように言い、ロナウズもその点は同意した。
「聖殿騎士団長のロナウズさんでも、それは何かわからない?」
「あぁ、遺跡や遺物の類なら聖殿騎士団も借り出されるだろうが……今のところは音沙汰ないな」
ロナウズはそう答えたが、旧貴族出身の自分にその役目が回ってくることもないだろうとは思っている。
「ふぅん……」
イシュマイルは興味があるのかないのか、不意に話題を変えてきた。
「でも、なんだか……意外」
イシュマイルは考えるでもなく、そう口にする。
「お二人の馴れ初め――ていうのかな。それが、なんだか」
ロナウズは予想外にイシュマイルの反応が薄いことに驚いたが、言葉を選ぶ様子を見て薄く笑う。
「いわゆる政略結婚、というやつかな」
「ハロルドはファーナムで名を挙げた騎士。私はアリステラ聖殿の祭祀官……それが一気に崩れたんだ。何が起ころうがどうでもいい、そんな頃だったな」
「祭祀官っ?」
イシュマイルは耳聡く訊き返した。
「あぁ。アリステラの祭祀官養成所に在籍していた」
「ますます……意外」
さすがにこれは信じないぞとイシュマイルは身構えたが、ロナウズは首を振る。
「嘘じゃない、祖父は古いしきたりに忠実な人だった」
彼はロナウズに対しては常に慎重でかつ厳しく、その気構えは執事エミルにも継承され、フォウルの過剰なお節介の原因でもある。
「考えてもみてくれ。聖殿の裏庭でこっそり模造刀を振るっていた男がいきなり聖殿騎士団という異世界に入ったんだ」
イシュマイルはその様子を容易に想像できて笑ったが、ロナウズは裏の苦労は口にしなかった。
――ハロルドは、ガーディアンになって一年と経たず謎の死を遂げた。
これによりバスク=カッド家も窮地に陥り、ロナウズの両親は揃って身代わり自決と呼ばれる責任払いを行った。
これは貴族社会に残る悪習であり、身内の罪をその身に引き受ける壮絶なものだ。
独り残されたロナウズは、両親が守ったバスク=カッド家を継ぎ、建て直しに邁進する。エミルたち古参の家人らが居なければ、今のバスク=カッド家は無かったかもしれない。
ロナウズが聖殿を出て騎士団に入団したのはこの翌年となる。
ちょうど二十歳の時で、他より二年も遅れての入団だった。元々浮いた存在でもあり、周囲を気にしている余裕もなかった。
またガーディアン適合者の資格も剥奪されたため、ガーディアンの掟からも解放された。
妻帯が許されたことによりノア族の長ラリックの末の娘との話が纏まり――それがラナドールというわけだ。
「考えれば、自分のことで手一杯だったな……」
懐かしむような口調だが、傍目に想像するほど穏やかな思い出ばかりではない。
「オヴェス・ノア族に関する収集を始めたのは割合最近なんだ。多くは度重なる混乱で散逸していたし、元々文書に重きを置かない文化だしね」
それは言われまでもなくイシュマイルも知っている。
「ラナドールも私も、長らくそのことには触れずにきた。だがこの数年の流れを見ると、避けては通れないものなのだろうな」
「……ロナウズさん」
イシュマイルにはロナウズのいう二人の距離感というものが、まだ理解できない。
今でもロナウズは、完全には払拭できていないバスク=カッド家の汚名を自らの手で濯がんとしている。家長としてだけでなくロナウズ自身の意地でもある。
同時にオヴェス・ノアで何がありアリステラがどうなるのか、厳しい現実にも目を向けている。
「なんだか、難しい」
イシュマイルは、ただロナウズの言葉を真正面から受け止める。
「難しい?」
「うん、なんだか……」
イシュマイルは言葉に迷った。
「僕はただこうやって話を聞いてるけど、ロナウズさんはそれを体験してきてるんだなって」
「……?」
話を聞き漠然と理解はするけれど、そこにはたくさんの感情や出来事が語られぬまま隠れている。イシュマイルにはその全てを知ることはないが、その情報量の多さに触れ圧倒される気がした。
「僕はね、もしかしたらその目的を――」
イシュマイルはそう言葉にしかけて、やめた。
フォウルの持ち掛けた養子の話をしようとして、どうしても口に出来なかった。
(今はまだ、バーツとレアム・レアドのことが先だ……)
バスク=カッド家に名を連ねることを想像した時、ハロルドの問題やオヴェス・ノア族の話なども自分の問題として見えてくる。
そうすると必ずレアム・レアドという存在に行き当たり、イシュマイルの感情や考えはそこで行き止まりになってしまう。
「なんだね?」
「いえ、やめておきます」
イシュマイルは神妙な面持ちでそう切り上げ、ロナウズも首を傾げるしかない。
「僕、まだやることがある」
イシュマイルがそう告げたのを、ロナウズは違う方向に解釈した。
「……そうだな。そろそろ切り上げて戻る頃合か」
ロナウズは立ち上がり、冷えてしまった筋を伸ばすかのように腕を動かした。
「あ、はい。じゃあ僕も部屋に戻り――」
「待ってくれ、散らかしているものを少しばかり中に運んでくれると助かる」
エミルは今バーツと二階に居り、他の使用人も出払っていて庭に出ていなかった。
「僕、双剣持ちます」
イシュマイルは飛びつくように言い、ロナウズはからかうように言う。
「こら、それは子供には持たせない決まりなんだ」
「む。僕はロワール武器の扱いには慣れてます」
イシュマイルの抗議を笑って流し、ロナウズ自身は衣服と水差しを取る。
「双牙刀と比べると数倍重いと思うぞ?」
「持つだけなら多少重くても……」
実際に振るうことを思えば大したことはないが、対の剣に丈夫な剣帯を合わせるとかなりの重量になる。
(これを身に着けてあの動きをしてたのか)
ロワールの剣は、他と比べるとずっしりと重い。
加えて剣帯は硬い皮で出来ており容易には変形しない頑丈さで、これを装着すると体の動きも制約されるのでは、とイシュマイルは感じた。
軽装俊敏のノア族に比べると、タイレス族の男というのは力強さに重きを置くのだろう。ノア族の中にあっては多少腕力に自信のあったイシュマイルも、ここでは子供の細腕の扱いだった。
「では戻ろうか」
「はい」
ロナウズがそう促し、二人は連れ立って屋敷への小道を戻っていった。