十九ノ三、双剣の闇
執事エミルは、バーツを呼びに来たらしい。
二階にある書架の扉を開き清掃など準備をしていたのだが、それが済んだので知らせにきたのである。
「じゃ、俺はちょい調べ物があるから行くが、お前どうする?」
バーツは二階を指し示して遠まわしにイシュマイルを誘ったが、イシュマイルは首を横に振る。
「興味はあるけど今はやめとくよ」
「そうか……?」
イシュマイルは歯切れ悪く返事をし、バーツも気にはなりつつも問わなかった。
「じゃあロナウズの傍に居な。……なるべく一人にはなるなよ?」
「わかった」
バーツはエミルに伴われて退室し、イシュマイルはまた窓際に寄る。
窓の外が見える位置にある成人男性用の長椅子に浅く座って庭を見る。本来は少年が座るべき席ではないのだが、今は室内に誰も居ないのでこっそりと腰掛けたのである。
タイレス族にはこういった封建的な慣習が数多くあるが、サドル・ノア族のそれとは少し違いイシュマイルには馴染みにくいものだった。
「……」
今日の出来事を頭の中で整頓しようとして、自分でも知らぬ間にロナウズを見ていた。
スタックたち街の子供らと触れ合ったのも印象深かったが、祭祀官フォウルの話も重く頭に圧し掛かった。フォウルの考えはイシュマイルには新鮮な世界を見せたが、それは同時にバーツへの協力も即座に打ち切らんとしているようだ。
タイレス族の考える貴族への養子というものが、イシュマイルにはわからない。
今滞在しているこのバスク=カッド邸という屋敷の中に、家族として入るということでもあるが、その違和感がぬぐえずにいる。
色々と考え込んでしまう前に、イシュマイルはこの保守的な印象の長椅子から立ち上がり、庭に続く扉を探した。
年季の入った重い木扉を開けると、手入れされた低い庭木が目に入ってくる。ここからちょうど庭と小屋、そして裏へとそれぞれに続く小道が延びている。
庭を目指して掃き清められた石畳の歩道を進むと、先ほどロナウズがいた辺りから対の剣を振るうのが聞こえる。
だがイシュマイルが壁のこちらから顔を出すより早く、ロナウズは気配に気付いたらしい。音がやんだ。
ロナウズは姿勢を戻し、肩で大きく息をしながらこちらに視線を向けていた。
「あ、すいません。続けて下さい」
一瞬鋭い眼光に捉えられ、イシュマイルも慌てて両手を振る仕草で声をかけた。
「構わないよ」
ロナウズは特に微笑むでもなく、両手の剣を数回器用に回すとそれらをツンと鞘に納めた。
業物の剣は、僅かに擦れて放つ音さえも耳に心地好い。
(すごい……)
イシュマイルは双剣と、それを扱うロナウズの剣捌き両方に感嘆する。
「先ほどバーツといたようだが」
ロナウズは、バーツとイシュマイルが見ていたことに気付いていたらしい。それとなく尋ねてきた。
「エミルは何と?」
「あ、二階で調べ物があるって。エミルさんはバーツを案内しに」
「……ふむ」
ロナウズは鍛錬を切り上げたのか、剣帯ごと体から離して傍らに置く。
「オヴェス・ノアに関する書物だな。私にはノアの古文書は読むこともままならないが、バーツならば可能か」
そして付け足した。
「バーツの様子を見るに、ようやく何か探し当てたようだな」
「……僕も、そう思います」
イシュマイルも即座に同意した。
「そうか。力になれたのなら、喜ばしいことだ」
ロナウズはテーブルに用意されていた水差しの水をグラスに注ぐと、片手に持って少し離れた。
イシュマイルはその様子を何となしに見ていたが、ロナウズはそれを口に運ぶのでなくいきなり頭から水を被り、さらには頭を振るようにして水気を払った。
手を使って水を拭うでもなく、雫が滴るに任せて風を浴びている。
イシュマイルはその横顔を驚きの表情で見ていた。およそ今まで見てきたロナウズのイメージとは違っていた。
ドロワ市で初めて会った頃は拝殿騎士団の制服もあってスマートな印象だったのだが、今の重い双剣を振り回す様子や諸肌の隆々とした様からはいつもの穏やかなロナウズが感じられなかった。
(苛ついているのかな)
最初はイシュマイルもそんな感覚を持った。
だが入れ替わるようにイシュマイルの脳裏にかすかなイメージがよぎり、ロナウズの心のうちにある物と同調した。
――暗闇。
そして、炎。
(……重い、闇に紛れるかのような――揺らめき)
静かな闇の中で小さく揺れては蝋燭のように、大きく揺らめいては視界を焦がす。飼い慣らすことの出来ない危険な熱。
(まるで……レムだ)
イシュマイルの瞼の裏に残るレムのイメージはいつでも背を向けていて、炎の中に消える。それは村を焼いた大過の炎かも知れないし、レアム・レアド自身の炎かも知れない。
――今、ロナウズの中に同じ類の炎、そして暗闇を見た。
恐らくそれは、レニが初対面のロナウズから感じ取ったものと似た何か。
紳士的な立ち振る舞いの内側で、常に抑えこんでいる、何か……。
ただ一点異なるのは、僅かに覗けたロナウズの記憶には牢獄のような石壁が視えることだ。それは幼少期に閉じ込められた屋敷の壁かも知れず、あるいは胸の中にある堅い壁かも知れない。
暗い闇も揺らめく炎も、その壁の内側で誰の目にも触れることなくしまわれている……。
「ところで――」
髪先から雫を落としながら、ロナウズが向こうを向いたまま尋ねてくる。
「アリステラ聖殿ではどうだった?」
「あ……は、はいっ」
イシュマイルは我に返って返事をしたが、どこから答えるべきかで逡巡する。
「え、えぇと……」
「――フォウルに会った様だな?」
見抜かれたのか全て知ってのことなのか。
先に言われてしまいイシュマイルも頷くだけだ。
「構わない……言い難ければ今は言わなくてもいい」
ロナウズはようやく微笑みを見せ、布を取りにテーブルに戻る。
「あの男には言い切れないほど世話になったが、同じくらい迷惑もかけられている」
「はい……」
イシュマイルの返答を同意と解釈したのか、ロナウズは自嘲気味に笑うと髪と体を拭き始める。イシュマイルは見ているのも妙な気がして視線を逸らすと、台に置いてある双剣に目を止めた。
剣の柄や鞘に、見慣れない紋様が彫りこまれている。
双剣はアリステラで作られたものではなく、ノルド・ブロスから輸入したものだ。ロワールという町の刻印が施されている。