十九ノ一、姿見えぬ敵
第二部 諸国巡り
十九、バスク=カッド邸にて
イシュマイルが屋敷に戻ると、いつも通りエミルが出迎えた。
「お早いお帰りですな。バーツ殿も先ほどお戻りです」
「バーツが?」
レニの話と違い、すでにバーツが戻ってきていると聞いてイシュマイルは驚く。
居間に通されると、確かにバーツが室内にいた。
「――よう。なんだ、一人で戻ってきたのか」
バーツは窓際で凭れるようにして飲み物を飲んでいる。
窓の外を見ていたらしかった。
「……バーツ。レニが四辻を通ってないって言ってたけど、どうやって戻ったの?」
「四辻? あぁ、別の道を来たからな」
バーツは至極明快な答えを返した。
「四辻の周囲の地勢を確認してきたんだ」
「どうだったの」
「……レニはやっぱり俺を見落としたか」
「?」
バーツは、イシュマイルの問いには関係のない言葉を返してきた。
「どういうこと?」
「……」
バーツは何事か考えているのか、窓の外を見たまま中々返事をしない。
「レニの弱点は……ノイズだな」
「ノイズ……雑音?」
「あぁ。四辻も渦も流れも、結局のところ濁流なんだけどな。それと同じ物が俺達全員、体の中にもある」
そういってバーツは、自分の胸元を親指で指差した。
「感情、とか?」
バーツは肯定の代わりに鼻で笑って言う。
「未熟なレニ坊は、その乱れがわからない」
「……」
イシュマイルにもよくわからない話だった。
「まぁその話よりも――イシュマイル。こっち来てみな」
バーツは話題を変え、イシュマイルを窓際へと誘った。
「見てみるといい。お前も辿るかも知れない道だ」
バーツは外を指し示し、イシュマイルは従うように身を乗り出して庭を見る。
――ロナウズがいた。
庭先で一人、黙々と双剣を振るっている。
鬼気迫るといおうか、ピリピリとした緊張感が伝わってくるようだった。
「今のロナウズはよく見とけ。もしかしたらお前も同じ道を行くかも知れんしな」
「……どういう意味?」
イシュマイルが振り返ると、バーツは視線をカップに戻して言う。
「お前の、今は眠ってる力のことだよ。師匠の言う通り、ガーディアンになるってのも暴発を防ぐ一つの手だが――」
「でもロナウズみたいな例もある。レアム・レアドやハロルドと同じ道を行く必要はないってことだ」
「そう、だね……」
バーツは、もちろんアリステラ聖殿での祭祀官フォウルとの会話は知らないはずである。偶然なのか、何か見透かしての発言なのか。イシュマイルは心苦しそうに声を落した。
「ま、それはそれだ」
バーツはいつもの声音に戻る。
「得物が違うとはいえ、お前も同じ双剣使いだ。色々と参考になるだろ」
「うん……でも何だか、日々の訓練にしては凄みがあるね」
イシュマイルはまた庭を覗き込む。
普段と違い軽装のロナウズだが、汗でその金髪が肌に張り付いているのがここからでもわかる。
深く踏み込む重い剣筋が、まるで目の前の敵を切り払うようだった。
「あぁ、ロナウズらしいっつうか。……視えてるんだろうな、目指す相手の姿が。今も」
バーツは独り言のように付け足す。
「死人に勝てるわけ、ねぇのにな」と。
イシュマイルは、バーツのわずかな声の裏にハロルドの気配を感じた。
ロナウズにとって最大の目標であり乗り越えることの出来なかった壁は、兄である故ハロルドだと、イシュマイルは随分前に察していた。
「ロナウズさんには目標があるんだね……」
イシュマイルもそう呟く。
イシュマイル自身も自分が追っている者の正体を掴みきれないまま、ただ鍛錬に励んできた。だからロナウズに対しては憧憬にも似た親近感を抱いている。
「ガーディアンとガーディアン適合者の差ってなんだと思う?」
バーツが不意に問いかける。
「え? それってエルシオンに一度でも入るか入らないかだって、以前バーツも言ってなかった?」
「あぁ、その通りだけどよ」
バーツは言葉を付け足した。
「俺は確かに一度エルシオンに上がって儀式も受けた。だが正式にガーディアンと認められる為には、ある程度の成果を上げないといけねぇ。それは何でだと思う?」
「うーん……」
「エルシオンに上がる前、つまり修行時代。そしてその前の騎士団の頃から、自分では相当鍛えてたつもりだったんだがな」
「うん」
「エルシオンの儀式を受ける前と後では確実に違うものが存在する……俺の中に、刻印を通じてセットされた何かがある」
「……刻印? セット?」
イシュマイルは言葉を問い返すしかない。