十八ノ八、メッセンジャー
アリステラ聖殿を後にし、イシュマイルは一人港街を歩いていた。
ようやく面倒な手続きからは解放されたが、重たく暗い気分が残る。
あの後もフォウルは養子になれ、と繰り返した。
フォウルとしてはバスク=カッド家の家督はタイレス族に継いで貰いたい。イシュマイルの存在は、生い立ちといい容姿といい、彼の思惑にとって都合が良かった。
フォウルの思想はともかく、イシュマイルにもその誘いに揺らぐものはある。
(ガーディアンにならなくても、暴発は防げる。ロナウズさんがその例だ)
ガーディアンに成りたくないわけじゃない。
サドル・ノア族の村を捨てるつもりもない。
ただ目の前の道に、新たな選択肢が広がった気がした。
ふと立ち止まって、今歩いている港街を眺め見る。
少し前までなら、夢にすら見たことのない街並み。今は当たり前のようにその中にいて、それがとても体に馴染む。
(レム、いやレアムもそうだったのかな)
レアム・レアドが十五年の空白のあと、ドヴァン砦に現れたのは生まれ故郷であるノルド・ブロスに戻り、考えに変化があったからだろうか。
(タイレス族の中にいたら、僕もいつか……)
そう考えて、その思いを振り払う。
(いや、広い世界を見ないと。ギムトロスにもそう言われた。レアムの見た世界と、同じ世界を見ないと――)
ひと時、過去に思考が遡っていたイシュマイルに、近付いて来る人影があった。
人数は三、四人という所だが街の大人ではない。
「――いつまでそこにいるつもりだ」
少年の声がした。
イシュマイルはすぐ近くで聞こえた声に気付きはしたが、何も反応は返さない。
「おい、旅行者!」
声を張り上げられて、やっとイシュマイルは自分のことかも知れないと思い視線を向けた。
目の前には同じ年頃か少し下くらいの少年がいる。
「……」
他にも似たような風体の子供らがいる。
「お前だよ! おい、俺が確かめてやるから身分証見せろよ」
話しているのは最初に声をかけた少年で、見ればグループのまとめ役らしく一人、前に出ている。
「身分証?」
またその話かとうんざりしたが、相手が子供であるのを見て「大人しく」対処しようと考える。
「身分証は持っていないよ。僕はサドル・ノア族だから」
「サドル、ノア……?」
少年達の顔が「ナニ言ってるんだ?」と言わんばかりの表情になる。
だがすぐに反論しなかったのはオヴェス・ノア族が当たり前に居る街だからか。
「今日は聖殿にその手続きに来たから、今はないんだ」
イシュマイルは淡々と説明した。
「……わかった。信じるよ」
「ありがと」
少年は割合あっさりと引き下がったが、まだ何か言いたそうにしている。
離れていた残りの子らも近寄ってきた。少年二人と離れて少女が一人。
この合わせて四人組は、先ほどからイシュマイルの後をつけてきたメッセンジャーの子供達である。
「昨日、妙な格好してたのはそのせいか」
「でも今日は昨日と違うわ」
「お前、名前は?」
口々に言いながら近寄ってきたが、うち一人がイシュマイルの後ろから手を伸ばす。
「おかしな格好」
イシュマイルは、ラナドールに結って貰った髪を隠すのに大き目の帽子を被ってきていたが、それがクラシックな服装とはあまり合っていなかった。
子供の手が帽子にかかるより一瞬早く、イシュマイルは背中に目がついているかのようにそれをかわした。
その動きにリーダーの少年が気付いて、手を伸ばす。
が、これも避けられた。
「――!」
「えっ待ってよ、きみ――」
もう一人も腕を掴もうとし、イシュマイルもこれは厄介なことになりそうだと察して、一足で柱飾りの上に跳んで逃げる。
「……」
四人は驚きの表情でイシュマイルを見上げたが、子供らしく感嘆の声を上げた。
「すげぇ、どうやったんだ?」
「ウソ!」
「いま何したの?」
「どうって――」
返答には困った。術や技能ではなく当たり前の動作をどう説明していいのか。
「これは、そう訓練してきたから」
「サドル・ノア族ってみんなそうなのか?」
「サドル・ノアってどこにあるの?」
「――おいお前らもちょっと待てよ」
「そこから降りられるの?」
「……」
さすがに面倒になってくる。
「いいから黙れってば!」
リーダーの少年が繰り返して仲間を制した。
「いいから降りて来いよ。話にならないだろ」
「うん」
この少年だけは話が通じそうだな、とイシュマイルは感じながら飛び降りる。
帽子を押さえつつ、少年らの輪に戻った。
「あなた、女の子みたい。髪の毛を結うなんて」
少女が帽子の隙間から見える金髪に目聡く気付く。髪を伸ばす男性はタイレス族にもいるが、大抵はバーツのように何もせず流したままでいる。
逆に女性は髪をきつく纏めるのが古くからのスタイルで、この少女も祖母などから口喧しくそれを躾けられてきたので、イシュマイルの姿に堅苦しさを感じた。
「そういえば昨日見た時は違ってたな」
「サドル・ノア族も髪長いんだね」
「そうだね」
鸚鵡返しに答えてから、今度はイシュマイルが訊き返す。
「オヴェス・ノア族も?」
「昔はそうだったって聞いたよ。今は違うけどね」
移住したオヴェス・ノア族が、タイレス族風の習慣として真っ先に取り入れたのが短髪だ。
イシュマイルも少年らの言葉には、色々と疑問が沸く。
「――昨日僕を見たの?」
「あぁ、俺達は街の目だからな。」
リーダーの少年は急に誇らしげな顔になり、他の三人も続いた。
「ボクらはメッセンジャーをしてるんだ。伝言を運ぶ運び屋なんだよ」
「私たち、旅行者や見慣れない人を見つけたら大人に報告するのも仕事なの」
「怪しいヤツなら一発でわかるね」
「へぇ……」
イシュマイルは聞いたことのない仕事を漠然と理解した。
「俺はスタックって呼ばれてる。それからスワン、ホロゾ、カートだ」
「僕は、イシュマイル」
手短に、そう自己紹介した。