十八ノ五、ラナドール
「じゃあ俺は港に行ってくる」
街の中央を飾る広場まで来て、ここでバーツは別行動になった。
長身を揺らして歩く特徴的な後ろ姿を見送りながら、イシュマイルはバーツがこの街に馴染んでいるように感じていた。
「では、私たちもアリステラ聖殿に急ぎましょう」
ラナドールが促し、イシュマイルも横に追いついてきて並んで歩く。
歩きながら、ちらりとラナドールの横顔を見た。
「……なぁに?」
ラナドールは子供に話しかけるように問い、イシュマイルは首を横に振って答える。
「サドル・ノア族とオヴェス・ノア族は、同じノア族でも違うなと思って」
「そう思うの?」
「うん。でもタイレス族もドロワとアリステラでもこれだけ違うんだし、そういうものなのかな」
イシュマイルは視線を港へと流したが、その視界に先ほどのメッセンジャーの少年らが居たことには気付かなかった。
彼らはイシュマイルと目が合う前にさっと隠れて、また頭を上げるとこっそりと後をつけはじめた。
「あなたはお利口さんね」
ラナドールはいつもの落ち着いた口調でそう呟いた。
「私達の前では、もっと気楽にしてくれていいのよ?」
「気楽……」
「なんだか昔のロナウズを見ているみたい」
イシュマイルは不思議なことを言われた気がして真顔になる。
「さっきまで、私とバーツが話していたことを聞いていてくれた?」
ラナドールは相変わらず微笑みでイシュマイルを見る。
「は、はい……ノアの遺跡とか、オヴェスの伝承とかの話でしょ」
バーツとラナドールは道すがらそんな話をしながら歩いていたのだが、イシュマイルはそれを少し後ろに下がって聞くともなく見ていた。
そればかりでなく屋敷でもふと気付くと二人は立ち話などしていて、その様子はイシュマイルから見ても難しい話らしいと見て取れる。
バスク=カッド邸に着いてからこちら、バーツがいつにない深刻な顔で考え事をしていることが増えたようだ。
「……実はさ。今の状態でウエス・トールに行くのは、バーツには負担にしかならないんじゃないかって」
イシュマイルは不意に気にかかっていたことを口にした。
ウエス・トール王国に行くことを提案したのはバーツだが、バーツの目的はあくまでドヴァン砦のはずだからだ。
「何故そう思うの?」
ラナドールは疑問ではなく誘導としてそう問うた。
「ウエス・トールには僕の生まれや、レアム・レアドとの謎がある――かも知れないってことがキッカケだけど。今はそれよりもファーナムじゃないのかな」
「そのファーナムと距離を置く、というのも目的の一つだから……そうではない?」
「それは――」
ラナドールは足を止め、イシュマイルに向き直るようにして優しく言う。
「あなたは、しばらくアリステラの子になるの。私達の家族になるのは、嫌?」
「い、いえそういう話じゃ――」
突然話の角度が変わってイシュマイルは慌てて否定したが、すぐに違和感に気付いて問い直した。
「アリステラの……子?」
「ウエス・トール王国から戻った後も、あなたの居場所はアリステラよ。ファーナムやドヴァンに行くことがあったとしても、あなたの活動の拠点はバスク=カッド家になるの」
そしてもう一度繰り返した。
「お気に召さない?」
「い、いえ。そういう話じゃ……」
イシュマイルは再度嫌ではないと首を振り、それを見てラナドールはにっこりと笑う。
「よかったわ。嫌だって言われたらあなたの頭を小突くつもりでいたから」
「……」
イシュマイルは経験で知っている。
おっとりして見える女性ほど怒らせると怖いことを。
「で、でも。それはバーツの行動の言い訳にはならないんじゃあ……」
「バーツは確かにファーナムの騎士団員でありオヴェス・ノア族だった事実はあるわ。でも今はガーディアンなの」
ラナドールは微笑みをおさめて言う。
「バーツが自由に活動できる中立地点も、ここアリステラなのよ」
「バーツやあなたが、ロナウズとドロワ市で出会い今こうしてアリステラにいる。これがエルシオンのお思し召し」
「……」
「だからアリステラ聖殿も力を貸してくれるの」
イシュマイルはラナドールの横顔に凛とした意思を感じたが、同時に疑問も感じている。
「なら……それならどうしてオヴェス・ノア族の話をバーツにするんです? 今のバーツの任務に関係のあること?」
「それは。そう、ね……」
「私には、バーツがノア族でガーディアンであるということも――必然であるように感じるの……」
「……」
自身が族長の孫というラナドールには、何かを読み取る能力もあるのかも知れない。イシュマイルをバスク=カッド家に預かるという話が上がった時も、ラナドールは何も聞かずに承諾した。
そうなる予感を、バーツたちが到着する随分前から感じていたからだ。
「な、なんだか……ごめんなさい」
イシュマイルは我知らず、謝罪を口にする。
「どうして謝るの?」
ラナドールは不思議そうに訊いたが、イシュマイルは答えなかった。
三人で歩く道すがら、バーツとラナドールの並んで歩く後姿がとても似合っていると思ったことを。
子供ながら、ロナウズの横に立つラナドールの姿を初めて見た時、違和感を覚えずにいられなかった。その理由はわからなかったが、バーツの横にいる時のラナドールにはそれがないように思える。
バーツの方も港の美女シンシアン・サグレスの前では舞い上がって動揺を見せたが、今は落ち着いているし普段より紳士的でもある。
けれど、そんなことを思ってしまうこと自体がロナウズに対してもラナドールに対しても失礼だと感じ、イシュマイルは黙っている。
ラナドールはそれを察したわけではないが、困ったように笑ってみせる。
「負担だなんて考えては駄目。あなたにはそんな余裕はないのよ?」
「え?」
「イシュマイル君、あなたはタイレス族でサドル・ノアの民……あなたが今のバーツの傍に居るというのも、意味のあることよ。――レアム・レアドと縁が深いということも」
イシュマイルはその名にはっと言葉を呑む。
「レアム・レアドとハロルドの縁もまた……今に繋がってるのかも知れないわね」
「――ラ」
「ほら、もうアリステラ聖殿が目の前」
イシュマイルが何か言うより前に、ラナドールは話しを変えてしまった。いつの間にか目の前にアリステラ聖殿の巨大な塔が聳え立っている。