十七ノ十、確執の芽
――アリステラ。
宵の四辻が、月の光に照らされる。
霊迷宮アユラ。死者の魂が彷徨い、生まれ変わるまでの永い浄化の刻を過ごす場所。
この四辻が本当に危険な場所であるのなら、青い月光の降り注ぐ今この時に、怪事が再び起こらないのは何故なのか。
ロナウズ・バスク=カッドは、四辻の中央に立ち尽くして夜空を見上げた。
その腰には、対の剣がある。
ドロワ市で二刀流を振るった時は、アリステラ騎士としてサーベルにブレイカーを佩いていたが、今は違う。
揃いの剣が、使われることなく鞘に収まっている。
(気配もない。魔は過ぎ越したのか?)
ロナウズは諦め、屋敷に戻ろうと踵を返す。
謹慎を破って武装で屋敷から出たことが知れると、少々厄介だ。
レニとバーツが、意識を失ったイシュマイルを抱えてバスク=カッド邸に戻ってきてから、さほど時間は経っていない。
今頃屋敷ではロナウズの妻ラナドールと、執事エミルなどがイシュマイルの介抱にあたっているだろう。
ロナウズには、気掛かりが二つある。
一つは、この辻でレニとイシュマイルを襲ったという何者か。
もう一つは、そのレニである。
バスク=カッド邸の玄関ホールで、ロナウズとレニは初めて顔を合わせた。
ロナウズは咄嗟に、イシュマイルらのことを忘れた。
ロナウズとレニ、互いが同時に感じたのは――強い敵意。
(これが……龍人族!)
初めて間近にそれを見て、ロナウズは危機感を覚えずにいられなかった。
ロナウズの頭をよぎったのは、レアム・レアドのことだ。
以前ドヴァン砦でその姿を見た時は、互いがとても遠くその人物までは見ることが出来なかった。
しかし。
(恐らく、レアムはこれ以上の能力を有しているはず)
ロナウズは一瞬でレニの潜在能力を看破し、そこから窺える龍人族の恐ろしさを肌に感じた。
一方レニはというと、ロナウズの顔を睨んだまま無言だった。
こちらを見据える紫色の瞳が、怒りで赤い炎をちらつかせていた。
(あのレニという龍人族……私を見透かしたと見える)
ロナウズはいつになく苦い思いをしながら、見慣れた道を自邸に向かって歩いて戻った。
屋敷に戻ると、玄関ホールでバーツが仁王立ちになって待っていた。
「……ようやく戻ってきたかい」
バーツはそれだけ言うと、不機嫌な顔をやめて苦笑いする。
「あんたが無茶なのは知ってたが。ちょっと姿が見えないと思って探してみりゃあ、これだ」
「あんたの部下は大変だな」
バーツは皮肉を言ったが、ロナウズは笑みを作るでもなく言う。
「辻には、もう何も居ない。安全だ」
ロナウズは歩きながら腰の二振りの剣を外す。バーツは、その鞘の装飾を見て口笛を吹く。
ロナウズに連れ立って歩きながら、その顔を窺い見る。
「イシュマイルは無事だ。――すまなかったな、騒動を持ち込んじまって」
「……」
ロナウズはちらりとバーツを見るだけだ。
「ラナドールがなんかの術で気付けてくれたのが効いたみたいだ。今は眠ってる」
「……そうか」
ロナウズは手にしていた剣を、とりあえず手近な棚に置いた。
置いたが手からは離さず、そのまましばらく考えている。
「ロナウズ?」
「いや、なんでもない」
ロナウズは振り返ると、バーツに釈明する。
「あの四辻が危険とは思わなかった。不可思議な地形であることは知っていたが……実際に異変が起こったのは初めてだ」
「しようがねぇよ。起こっちまったもんは」
「何があったのか、仔細を聞きたいのだが」
ロナウズは騎士団長の顔に戻ってバーツに問うたが、バーツは首を横に振った。
「悪ぃが、レニに聞いても今はだんまりだ。少し時間やってくれ」
「あの龍人族だな?」
ロナウズが声音を変えたが、バーツは構わずに答える。
「タイレス族風の挨拶に困ってるんだよ。それから、困ってる時にどうすればいいのかもわからなくて、困ってる」
バーツはその様子が面白かったのか、笑って答えている。
ロナウズの帰宅を察し、メイドの若い娘が廊下へと出てきた。
彼女は今日の仕事を終えて下町にある自宅に帰っていたが、異変を聞いて戻って来ていた。
メイドは二人を居間へと促し、ロナウズとバーツもそれに従う。
メイドは、執事のエミルを呼びに退室し、ロナウズは会話を続けた。
「で、そのレニとやら。今はどうしてる?」
ロナウズの問いに、バーツは扉から視線を戻して答える。
「イシュマイルのとこだ。とりあえず、見張ってるんだと」
「見張る?」
「……なんだな、龍人族ってのは歩哨にはうってつけだな。眠らねぇし食わねぇ上に千里眼ときた。案外居ると便利な奴かもな」
「……」
バーツは笑ったが、ロナウズは彼らしくなく憮然としている。
「ずいぶんと、信頼しているな」
自然と声にトゲが立つ。
バーツは意外そうにロナウズを見たが、何も言わずに長椅子に腰を下ろした。背凭れにゆったりと凭れ掛かり、一呼吸おいて問いを返した。
「どうしたぃ? あんたにしちゃあ余裕がないな」
バーツは挑発的な声音で、しかしストレートな質問を投げかけた。
「そんなにあの龍人族が気に触るかい?」