十七ノ九、忘失の黒龍
「今、何と言った?」
タナトスは唖然としつつもローゼライトにもう一度問うた。
ローゼライトは悪びれる様子もない。
「うむ。アリステラに行きたい、と言ったのだ。そこであの男の親族を探ってきても良い」
「『探ってきても良い』? ローゼライト、さては貴方の真の目的はサドル・ムレスのジェム・ギミックだな?」
「御名答」
タナトスも、これには呆れた。
ローゼライトという男は日頃は姿を現さないのに、動く時には恐ろしく性急なのである。
「いや、正直驚いているのだ。昨今のサドル・ムレスの技術革新には目を見張るものがある。特にファーナム。……我が国も、このままではいけない」
ローゼライトはいかにも国を憂いるように言うが、その本心は興味だろう。
タナトスは、ローゼライトを留めようとしたところで徒労に終わると知っている。
「――いいだろう。しかし今、両国は戦闘状態。危険は承知しているな?」
「勿論だ」
ローゼライトは一呼吸置いて、付け足した。
「お前たちが必要とあれば……アリステラの軍を黙らせてやっても、いい」
「奇襲でも仕掛けるつもりか?」
ローゼライトは答える代わりに、口の端を曲げて笑って見せる。
「私の軍隊は、ここだ」
そう言って、ローゼライトは自分の頭を指差した。
そこへ、隣室にいた司書の男が、水と薬を持って入ってきた。
ローゼライトは笑みを収めて立ち上がる。
「長居をした。まぁ甥子殿よ、しばらく養生することだ」
ローゼライトは元の口調に戻ると、脇机に置いてあった広間の瓦礫を手に取る。
どうやら個人的な研究に使うらしい。
「休む、か……それもいいかもしれんな」
タナトスはそう答えたが、ローゼライトが口にした以上のことを、この時から考えていた。
ともかくも。
ローゼライトは、歳を感じさせない足取りで隣室を抜け、扉から出て行こうとして。
不意にまた振り返った。
「そうだ、思い出した!」
タナトスと、司書もそちらを振り向く。
ローゼライトは、にこやかに笑って言う。
「思い出したぞ、バスク=カッド。アリステラ貴族のバスク=カッド家だ。」
「……?」
司書は勿論、タナトスも意味がわからずにいる。ローゼライトは部屋を出る直前にもう一言付け加えた。
「あの男の名はハロルド。ハロルド・バスク=カッドだ」
(――あ)
タナトスもその名には覚えがある。
タナトスが、そのハロルドと名乗るガーディアンに会ったのは少年の頃。
数える程度にしか会ってないが、、一度思い出すと鮮明にタナトスの脳裏に蘇った。タイレス族特有の金色の髪と、その淡褐色の瞳が時折金色に照り返して見える瞬間を。
(そうか、あの男か……)
タナトスは隣室に視線を戻したが、その頃にはローゼライトはとっくに居なくなっている。
「ローゼライトめ」
タナトスは笑いながら、司書の手渡す薬を受け取った。
「賑やかな方でしたね……」
司書は、ぽつりと感想を口にする。
「それにしても……殿下。ずいぶんとご年配の方と親しくされて。どちらのご友人ですか?」
司書はずっと疑問に思っていたことを口にする。
タナトスは怒る風でもなく、答える。
「ローゼライト・アルヘイトか? 父の異母弟、ということになっている。僕のことを『甥』と呼んでいただろう?」
「……」
司書はしばらく考えたあと、驚いてベット脇で跳ね上がった。
「えぇ! では今の方が……皇帝陛下の? まさか、そんな!」
これは、この司書が特に間が抜けているわけではない。
ローゼライトという人物に出会った者は、大抵同じ反応をする。
タナトスもそれを知っているから、この司書の発言に気分を害することはない。むしろ驚いている様子が可笑しいので笑って見ている。
「……知らなかった…まるで、気付かなかった」
司書はなおも動悸の治まらない胸に手を当てて、繰り返して言っている。
「そう気に病むな。あれが、あの男の相なのだ」
「相?」
「ローゼライトの龍相は『忘失の黒龍』……まさに、その通りだろう?」
「……忘失? 忘れ去られる……?」
「真に、己の対を探しているのは……あの男自身だ」
タナトスはそれ以上答えず、司書が用意してくれた薬を飲む。
ローゼライトの突然の出現で久しぶりに談笑を愉しんだが、ふとした拍子に左肩に痛みが奔ると、鮮烈な何かを思い出しそうになる。
タナトスは笑みをおさめ、肩に手をやる。
(なんなのだ……この焦燥感は)
かすかに覚えているのは、どこかの景色だけだ。
それが、遠くアリステラの四辻の景色であるなど、タナトスには知りようがない。
ついに幾つかの記憶の断片はつながらなかった。
それよりも、考えるべきは今の自分の置かれている状況である。
「危険……だが対処の方法は、簡単だな」
またいつもの癖で、タナトスは考え事を口にする。
窓を閉めていた司書が振り向いたが、タナトスは「なんでもない」と手振りで答えた。
――その後。
タナトスは数日をその塔の中で過ごしたが、やがてまたその姿を隠してしまった。
カーマインがタナトスの別邸を訪れてみたがそこにもいない。さらには屋敷内で育てられていた幼龍たちの姿もなかった。
屋敷を管理する者が言うには、幼い龍たちがタナトスを怖がって近寄らなくなってしまったと言う。屋敷に勤めていた訓練士らはタナトスに事態を説明し、幼龍たちを引き取るとそれぞれに連れ帰ったとのことだった。
幼龍はともかく、カーマインにとってはタナトスとの接点がことごとく途切れてしまった。見慣れた屋敷の庭を前に、カーマインはただ、ただ呆然とするしかない。