十七ノ七、龍の相
「その、肩の傷」
ローゼライトはぼそりとした口調で言いながら、タナトスの左肩を指差した。
「その傷は、縛鎖の魔法陣のダメージではない。恐らく……魂魄が遊離している間に、何かの魔力を帯びた武器でやられたんだろう」
「眠っている間に、誰かと戦った記憶――夢など見なかったかね?」
横から、司書の男がたまりかねて尋ねた。
「なぜ、そこまでおわかりになるのです?」
ローゼライトは顎を撫でる仕草で答える。
「ふむ。おそらくは、日常から月魔石に携わっておるからだろう。不思議と石の魔力と、人の命の流れは似ている。……時に、甥子殿」
ローゼライトは、タナトスを名では呼ばない。
常に甥という言葉を使い、暗に自分がタナトスの尊属であると示しているように聞こえる。
「聞いたところでは、内宮に黒い影のような龍が現れた、と。記憶はあるかね?」
ローゼライトの問いに、タナトスは無言でいる。
ローゼライトは構わず、話を続ける。
「それこそ、術式による不可抗力の証であろう」
「不可抗力とは」
「甥子殿の意に沿わない破壊だということだ」
「思うに……魔法陣を仕掛けた張本人が、一番この結果に驚愕しているだろうね」
ローゼライトは笑っているが、司書の男は意味がわからず首を傾げた。
「こういうことだよ。甥子殿が分身術、操術を得意とすることは知られている。この術には共通するプロセスがあって、術の過程で術者はその魂もしくは霊魂そのものを分離、遊離させる必要がある。」
「えぇ」
司書の男も、そこは理解をもって聞いている。
「魔法陣を仕掛けた者は、そこを狙って『縛鎖の術式』を組み込んだ……この術は、捕らえた者の動きを止めるだけでなく、霊魂をも縛り上げて苦痛を与える。さらにはその者が術を使っていれば、その術式と術核までズタズタに引き裂いてしまう」
「確実に甥子殿を葬ろうとした意志、殺意が読み取れるが……やつらは計算違いをしたのだよ」
「計算違い、とは?」
単純に考えれば、魔法陣の魔力よりもタナトスのそれのほうが上回ったのだろう。
ローゼライトは憶測も取り混ぜつつ、ゆっくりと話す。
「龍人族は『人の形をした龍』である。古代の術式に押し込められて隠れているが、閂が緩めば『龍の精』が表に出てくるのは道理だ。――奴らにはそれ自体も予想外だったが、さらにその強さが常識をはるかに超える強さだった……ということだ」
人のたましいを霊魂というが、これは『霊』と『魂魄』が合わさった状態を指すという。『魂』が精神を、『魄』が肉体を司るといい、残る『霊』の部分がもっとも神妙なもので、精霊とも呼ばれる。
龍人族の死生観では、龍人とは「人である魂魄の部分」と、「龍である霊の部分」から成るとされ、特に霊のことを精霊――『龍の精』と呼ぶ。
この『龍の精』はその人物の本質とされ、これを読み解くのが先ほどの『龍相』という考えである。通常、精霊(龍の精)と魂魄は一つに重なっており、隠れている本性・龍の精だけが表に出てくることはない。
ローゼライトが説明する。
「『龍の精』とは霊の精なる部分、本能そのものだ。身を守るためとはいえ、刺激されればどれほど暴れ出すか予測などできない」
司書の男は納得した。
「確かに…そう考えると、その時現れたという黒い影のような龍の姿や、その龍が渦の中を奔り抜けたという話も、理解できます」
司書の男は精神の専門家ではないが、日常触れる知識の中からそう言った。
「アマウガツ……」
突然、タナトスがそう呟いた。
聞き取れなかった司書の男は、なにごとかとタナトスの方を振り向いたが、タナトスは自嘲的な笑みを浮かべるだけだ。
「……荒ぶる龍、か」
話を総合すれば、塔を破壊するほど暴れたのは、やはりタナトスの無意識下の精霊、龍の精なのだろう。
魔法陣を仕込んだ者は、理性という制御を失った本能・龍の精が、塔をそして渦を物理的に破壊するとは思いもしなかった、そうローゼライトは読んでいる。
「時に。甥子殿、私にはこの魔法陣を仕掛けた術者が何者か予想がつくのだが……聞きたいかね?」
ローゼライトは付け足す。
「この術式はとても特徴的だ。しかしその扱い方はまるで素人だ。さぞ、肝を冷やしたことだろう」
タナトスはしばし考えていたが、ひそりと答えた。
「……いや、聞くのはやめておこう。いつものことだ」
タナトスにとって暗殺未遂や脅迫などは今に始まったことではない。
「殿下、あの」
司書の男が、言いにくそうに口に挟んだ。
「殿下、実は……その龍の精について、良くないお噂が」
「……」
タナトスはなおも自嘲的な微笑みのまま、司書の顔に視線を戻した。
「暴龍の相……だろう?」
「あの塔を見ろ。まさに暴虐の仕業ではないか」
タナトスは他人事のように笑って言ったが、ローゼライトは違う考えのようだ。
「つまらぬ迷信に惑わされますな。破壊相が悪であるかのように吹聴するなど、実に馬鹿馬鹿しい」
ローゼライトは不満げに言い放った。
「伝承によれば、破壊相には再生相が対となって初めて車輪が回るとある。しかし甥子殿、思い出されよ。貴方の母君を」
ローゼライトの意外な言葉に、タナトスも司書も怪訝な顔をする。
「貴方の母君、ニキア殿はタイレス族――タイレス族は相でいうなら金龍の相。つまり、貴方には生まれながらに金龍の相があるのだ」
これは三種族を龍相に当てはめて考えるやり方だ。
たとえば遺跡を守り静かに暮らすノア族は『掟を守る相』黒龍相という具合である。よりバイタリティがあり冒険的なタイレス族は、金龍相だと解釈される。
ローゼライトの言葉に、タナトスは失笑した。
迷信といいながら、その論調を拡大解釈した挙句の屁理屈である。
ローゼライトは、笑われていることなど気にせずに言葉を続ける。
「迷信に惑って道を外れる者どものたわごとに過ぎん。戯言には開き直るくらいがちょうど良いのだ。――カーマインを見るがいい。王者相たる赤龍相というが『王者たる王者の相』とはなんぞや」
「……なんだと思うのだ? ローゼライト」
タナトスはなおも笑っていたが、ローゼライトに尋ねる。
「守りの相、としかいいようがない。赤龍相とは本来『統べる者』を意味する。しかし『王者たる』という言葉の中には、その方向性がまるで見えてこぬ」
「なるほど」
「奴は所詮、アウローラの跡を忠実になぞるだけの男よ。しかしカーマインはまだいい、ライオネルはもっと酷い。『思議する銀龍の相』などと……」
やれやれ、と首を振るローゼライトに、タナトスは先を促す。
「どう酷いのだ?」
「銀龍相は『道を示す者』とよばれるが、そいつがただ考えているだけでは……眠っている龍族と変わらんではないか」
ローゼライトは身内ならではの辛口の持論を続け、タナトスは半ば愉しんでこれを聞いている。
「――繰り返すが、甥子殿の龍相は『黒龍相』……掟を、国を守る相だ。果たしてそこに破壊を暗示する言葉が重なった所で、それは敵を打ち破るという解釈にもなろう。これ以上なにを望もうというのか」
ローゼライトはあくまで、タナトスを擁護した。