十七ノ五、ローゼライト・アルヘイト
結局。
この日、カーマインはとりまきの制止によりタナトスに会うことが出来なかった。
タナトスの龍相や精霊と、塔の破壊がどう繋がるのか、周囲の者にも正しく理解できたわけではない。
ただ、恐れだけが広がった。
皇帝アウローラの身に何事もなかったことは幸いだったが、当事者のタナトスはそうはいかない。病床に伏し、公の場に姿を見せなくなったのである。
カーマインはその後もタナトスへの面会を申し入れたが、ことごとく阻まれ適わなかった。
両者を引き離したのは、他でもなくそれぞれの信奉者たちである。
特に、カーマインの後ろ盾となっていた者たちには、明確な野望がある。
――カーマインの生まれ持つ相は赤き龍。
赤龍相は『統べる者』と呼ばれる王者相であるが、カーマインの場合はさらに『王者たる赤龍』という二重の意味を持つ相で、見るからに華やかなものだ。
破壊相を持つかも知れない皇太子よりも、王者相を持つ生粋の龍人族カーマインを推そうとする者の思いはさらに固いものとなる。
磐石かと思われた帝家の構え、兄弟の結束がその内に深刻な亀裂を抱えることになる。
この事態に、アルヘイト家から思わぬ人物が宮殿へと足を運んだ。
その男は、普段宮殿にはいない。
そればかりか政の一切から遠ざかり、ジェム・ギミックの研究に明け暮れている、世捨て人の如き人物。
ローゼライト・アルヘイト。
称号はない。
公的には、アウローラ・アルヘイトの異母弟、とされている人物だ。
姓にアルヘイトを名乗る数少ない人物の一人だが、王位継承権はとうの昔に放棄している。
皇帝であるアウローラには、実のところ身内と呼べる人間があまり生き残っていない。
多くが百年前の災厄と戦争で亡くなった上、アルヘイト家が皇帝の一族として地盤を固めたのは、ほんの三十年ほど前なのである。
ひたすら領土の復旧にのみ時間を費やしてきた。
レヒトの大災厄の際にアウローラのもとに集まり、その後、共に帝国を作り上げた者たちは、この十五年ほどで次々に命を落としている。
あとに残った者たちは、アウローラではなくその息子たち、カーマインかタナトスのどちらに付くかで戦々恐々としている小物ばかりだ。
そんな中、これまでまったく政に興味を示さず、宮殿には寄り付かなかった男がふらりと姿を現した。
ローゼライトは、破壊の痕の残る居住区へ足を踏み入れた。
広大な庭園造りの中に、同形の塔が等間隔に立ち並ぶ美しい場所だが、その塔の一つにタナトスが密かに養生している。
ローゼライトは途中、わざわざ崩落した塔にも立ち寄り、現場を見て歩いた。
件の塔は全壊したわけではない。
低層にある広間を中心に、その上層階が崩れ落ちてしまっていたが、広間自体は残っていて、今は外からの陽射しに晒されている。
広間の一点から外に向かって、強い力が働いたことが見て取れる。
壁が内側から崩れたので、その支えを失った上層階も自重で傾き、崩落したのである。
「ほうほう、なるほど……」
そう呟きながら、屈んだり瓦礫をひっくり返したりしている初老の男を、宮殿の人々は目にしながらも、誰も気に留めなかった。
「これは面白い、面白い」
広間の床に落ちていたジェム・ギミックの破片を手に取り、指先で裏に表に返しながら眼鏡越しに覗いている。
ライオネルも魔力を帯びた眼鏡、ギミック・グラスを愛用しているが、ローゼライトのものはいわゆる遮光眼鏡、光から目を守る役目のものだ。
ローゼライトは、ふだんジェムの研究をしており、その際に保護のために着用するグラスを、そのまま日常でも掛けている。
固く纏めた長い髪を背中に一房流している。
老齢のためかジェムの光に晒されるためか、その髪は白くなりつつあるが、元々はカーマインと同じ燃え立つような赤い色だった。
異様に背丈が高く、痩せていて、その身に長いローブを身に付けいてる。
見た目といい行動といい、人目につきそうな怪しげな風貌なのだが、不思議と誰の興味を惹かないのである。
それが、この男の特性でもある。
ひとしきり塔の中を見て周り、満足したローゼライトは、今度はタナトスに会うために別の塔に向かった。
――その小一時間ほど前。
タナトス・アルヘイトは、覚えのない部屋で目を覚ました。
室内はいつになく静かだ。
タナトスはベットから起き上がろうとしたが、その身体は異様に重く感じられた。
両の肘を付き、身体を起こそうとした時。
いきなり左肩に激痛が奔った。
「く……っ!」
堪らず分厚い寝具に身を預け、左肩に手を宛がったが、その時タナトスは自分が知らぬ間にローブに着替えさせられていることに気付く。
痛み耐えながらようやっとで身体を起こし、室内を見回すと、壁にマントが掛けられているのが見えた。
タナトスが身に付けいてたはずのマントである。
マントの肩口が、裂けている。
タナトスはもう一度左肩に手をやり、ローブをはだけて自分の肩を看た。
しかし、そこにはかすり傷一つない。
ただ左腕が抜けるように痛み、重い。
その時、隣の部屋から人の気配がした。
部屋同士の扉は開かれており、向こう側から見知った人が来るのが見て取れた。
「殿下!」
そう静かに声を上げたのは、普段ならば書架を預かっている司書の男だ。
「殿下、ご無理はいけません。魄が傷ついているのですから」
説明する男の声はいつも通り柔らかい。
男は両手に持っていたトレイをベット脇の机に置き、清潔な布に液体を染み込ませると、タナトスの左肩に宛がった。
「何があった?」
タナトスが男に問うと、男は困ったように目を瞬いた。
「……覚えていらっしゃいませんか。では」
男は肩に宛がった布をタナトスの手に任せると、一礼してベットから離れた。そして静かに窓際に行き、タナトスから見えるようにカーテンを半分、開いた。
「……これは」
窓の外。
タナトスの視界に、崩れ果てた塔が見える。
タナトスはその塔に関しては記憶がある。
「何があった……」
タナトスは、今度は自身に尋ねるようにそう呟く。
少しずつ、記憶が蘇ってくる。