十六ノ十、ヒロイズム
「ではクライサー・ロブロ。貴方はこの婚姻を機に、私を駆け引きの世界に引き込もうとなさるか」
アーカンスの挑発めいた言葉に、ロブロは乗っては来ない。
「おや? 少なくとも戦場の直情的な荒事よりは、貴方に向いているかと思ったが」
「私は次兄とは違います……。政治には向きません」
これは言葉の応酬ではなく、本音である。
「それに、勘違いされては困る。騎士団の現場は、組織の構造にしろ戦域にしろ意外に複雑なのです。遠い世界から盤上の駒を見るように扱われては適わない」
アーカンスは、語気を荒げるということは滅多にない代わりに、舌が回り出すと止まらなくなる一面がある。
厄介なのは、その論調が正論を盾に容赦のない表現になることで、それは都度都度他人の気分を害させた。
策士でもあるロブロは、年若いアーカンスの言葉に怒るということはないが、その舌の使い方には思案した。
(武器にもなるが敵も作る……。さて、いかに手解きしたものか)
ロブロの目には、アーカンスはまだ利用するにも荒削りな素材のままなのである。
カリンはというと、少し離れた席から義父と婚約者のやり取りを見つめている。
彼女はこの場にいて、自分について語る男たちの会話に口を挟むわけでなく聞いている。両親、養父がみな政治的活動家であるためか、カリン自身も我慢強い面がある。
アーカンスは平行線なままの口論を前に、もっとも言いたいことを一息に言った。
「まずは、カリン殿をファーナム聖殿には入れないで頂きたい。命に関わることです」
「一人二人の力で流れが変わるほど甘い状況ではない。貴方が渡る危ない橋は、貴方一人の命だけではないのと同じです」
「臆しましたか」
ロブロは、挑発ではなく質問として言い、アーカンスもこれに答える。
「えぇ、貴方は私を第四騎士団に入れるという。……これは私に本来の目的を曲げ、腹芸を強いるということです。その代償ぐらいは払って置いて頂きたいですからね」
「それで、女一人の身を守ったとお考えか?」
「……」
アーカンスは一呼吸置き、早口だった言葉を緩める。
「そのようなヒロイズムは持ち合わせていませんが……聖殿騎士としては、無駄な危険は取り除く。その癖です」
アーカンスは続けた。
「…それで貴方の御目がねに適わなかったとしても、私は今一番必要だと思うことをするだけです」
ロブロはしばし考えているのか黙り込んだ。
アーカンスは低く言う。
「巨大なる暴力……戦禍の前には如何なる駆け引きも、営みも、非力となります。今ここで何を語り思い合ったとしても、全て消滅てしまう。そんな未来は御免です」
ロブロも先ほどまでとは少し口調を変えて、問う。
「それは、騎士団において肌で感じられた危機感か」
「えぇ」
「なるほど」
そしていつもの人良し顔に戻って、にこりと笑う。
「貴方のカンを、私の思惑に組み入れるのも悪くはなさそうですな」
「……」
「わかりました。娘の件は、貴方の仰る通りにしましょう」
ロブロは、この場で口約束をする。
アーカンスは返事はせず、代わりに言った。
「では、私はすぐにでも第四騎士団に行かねばなりませんので――」
そしてそれを挨拶に代えたのか、ソファから素早く立ち上がる。
ロブロに対して騎士然と敬礼すると、踵を返して扉の方へと歩いて行き、自ら扉を開いてそのまま退室してしまった。
退室時の一礼は無く、彼らしくない無愛想で無作法な態度である。
そして一度も婚約者の顔は見なかった。
イオムード・ロブロはその姿を難しい顔で見送る。
そして義理の娘に顔を向け、問いかけてやる。
「いかに見たか?」
カリンは、あまり大声を出さない娘である。
か細いがはっきりした発音の声で答える。
「無力さに挑む、騎士。彼のヒロイズムに、まだ私は居ないようです」
カリンは、自分を無視して退室したアーカンスをそう表現した。
「それに、義父上」
カリンが珍しく、求められた以上の答えを義父に返した。
「義父上がいかにお考えになろうとも、たとえ『御目がねに適わなくとも』わたくしには自分で意志を決める心があります」
「そう導かれたのは、義父上です」
「……」
ロブロは若干の驚きを、大げさに表情に見せている。
そしていつもの作り笑いになって言った。
「まさに、あの母の娘よな」
自分の妻をして、ロブロは冷笑をもって表す。
カリンはその場から、義父に対して深く頭を下げた。
「実父亡き後を……母と共に生きると決めて下さったこと、感謝しております。義父上」
今まで面と向かっては言わなかった言葉である。
カリンは、ここにきてやっとロブロを義父と認めたことを、態度に示した。カリン自身の覚悟の表れでもある。
その頃。
事務所を後にしたアーカンスは、建物の外で待ち構えていたアカルテルの部下に止められていた。評議員付きの文官で、特に特徴のない男である。
その男は、アーカンスを第四騎士団の詰め所まで連れて行くという。
アーカンスはそれまでの我慢もあってか、声を高くした。
「馬鹿な! 子供ではあるまいし、私一人で行く」
「いえ、なりません」
ルトワ家の証文がなければ、この転属自体に意味がないと男は言う。