十六ノ九、カリン
アカルテルは、室内の空気が変わったのを見て、アーカンスに「座れ」と命じた。
アーカンスはアカルテルを上座に、ロブロと面するように椅子に腰を下ろす。そしてその横顔に、一人の娘の視線が張り付くのを感じていた。
アカルテルは言う。
「とにかく、だ。アーカンス、お前はこの後すぐに第四騎士団の詰め所に行き、顔を繋いでおくのだ。いいな」
「……第三騎士団には、何と?」
ロブロが代わりに答える。
「戻る必要はありません。貴方と入れ違いに人をやりましたから」
「……」
アーカンスは返事をしなかった。
逆らうとか意見するというものではなく、もう事は成ってしまったのだ、とアーカンスにもわかっていた。
気になることがあるとすれば、ジグラッド・コルネスや遊撃隊、バーツなど、アーカンスと行動を共にしてきた者たちに、今すぐ釈明が出来ないことだ。
「……嵌めましたね」
アーカンスは、今度は口に出してそうロブロに言った。
ロブロはにこやかに笑っている。
アカルテル・ハル・ルトワも何かと計算高い人物だが、このイオムード・ロブロというのも曲者である。この二人がまた組んで同じ派閥、神聖派を動かすのかと思うと、アーカンスならずとも悪い予感に捕らわれる。
神聖派は、ファーナム聖殿の秘儀と伝統を守ることを主張し、聖殿と関係者を庇護しようというものだが……。
そんな綺麗事が通用するとは、とても思えない。
暫くして。
アカルテルは用件を言うだけ言って、また応接室を出て行った。
見送ったアーカンスは納得出来ないまでも、第四騎士団には行かねばならない。
――が、ロブロを見ると、まだ何か言いたげな様子が伺える。
「……クライサー。仰りたいことがあれば、今のうちに」
アーカンスは気が進まないながらも、そう促した。
アーカンスに話を振られたロブロは、ここぞとばかりに言う。
「いえね……。私も、自分の娘を祭祀官として、ファーナム聖殿に入れようと思っていましてね」
自分の娘、とは義理の娘であるカリン・スーバス・ロブロのことである。
『スーバス』というのは、解放派の指導者的立場にいた故ハーベイ・スーバス評議員のことだが、スーバス評議員は十五年前に事故死している。
ハーベイの妻はシルフィといい彼女自身も解放派の活動家だったが、その再婚した相手がハーベイに教えを受けたロブロである。
カリンは、ハーベイとシルフィの娘であり、ロブロの義理の娘となる。
ちなみにアカルテルもハーベイに指導を受けている。
しかし、もっともハーベイに近かったはずのロブロが離反したことで、解放派はその力を弱めてしまった。だからアカルテルとロブロは長らく反発し合っていたのである。
ハーベイの娘カリンとルトワ家の息子との婚約は、ハーベイの存命中に成った婚約だったが、ハーベイの死後もカリンの成長を待って婚約は継続された。
しかしルトワ家のどの息子と纏るかなど、最近になるまで仔細は放置されていた。
カリンを取り巻く大人たちは、もっとも大事なことを長らく決めずにきたのである。
ルトワ家には該当する男子が当時、五人もいた。
彼女にしてみれば、時折家に来る彼らとの些細な思い出などは、どの言動が誰とのものかなど、思い返してみても判断つかないほど、記憶に遠い。
だから、カリンがアーカンスを間近で観察する機会というのは、実質これが初めてである。
アーカンスにしてみても、スーバス家は家同士での付き合いもあったから、その娘に対しては幼馴染のような感覚でいたのだ。
覚えているのは、彼女がまだ賑やかしい少女だった頃のこと。
今、部屋の隅で控えているカリンの顔は、もう少女ではなく若い女性のそれである。しかしアーカンスは、一度もカリンの方には視線を向けなかった。
アーカンスは、厳しい声で言う。
「今、聖殿に入るのは危険かと思います」
「せめてドヴァン砦の一件が落ち着くまで、先に延ばされては」
しかしロブロは、アーカンスの忠告に耳を貸す気はないらしい。
「危険? だからこそ内部に人手が必要なのですよ。それにいずれこの婚姻が成れば、君にも都合が良かしかろう」
アーカンスの言う危険とロブロの言う危険は、言葉は同じでも指し示す内容はかなり温度が違っているようだ。
アーカンスは言葉に棘を加える。
「身内の命を……義理の娘を画策の道具にする御方を、義父上とはお呼びしたくはないものですね」
「婿殿」
ロブロも、敢えてそう呼んだ。
「でしたら私も――妻に迎える女を、お飾り程度思う婿殿ならばこちらから願い下げですな」
そして作り笑みのまま続ける。
「それとも、着飾った操り人形とでも思われるか?」
「たとえば、娘が貴方に何か口添えしたとして、貴方はそれを私が言い含んだことだと計られる、そういうことか」
「……」
アーカンスはそれ以上言えなくなった。
カリンという娘については彼女が幼い頃から見知ってはいるが、他人の言葉を軽々しく唇に乗せることはしないと思われた。
カリンの母もまた活発な活動家であり、夫だったハーベイの良きパートナーだった。
カリンがその血を継いでいるならば、カリンの言葉はそのままカリン自身の意思であるだろう。