十五ノ九、バスク=カッド邸
二人の歩いている通りは、貴族や豪商の邸宅が集まる区画である。イシュマイルの視線の先に、大仰な門とその向こうに広い庭が見える。
手入れされた庭先には、身なりの良い幼い子らが遊んでいるのが見え、その傍には子守らしい年配の女性らが数人、付き添っているのが見えた。
ドロワ市でも見たかも知れない光景だが、唯一つ違っているのは、子供たちの容姿がノア族のそれであることだ。小柄で黒い髪、それ以外は服装や仕草などはタイレス族そのもの。
イシュマイルはバーツに注意されるまで、彼らに視線を貼り付けている自分に気が付かなった。
「……これは」
イシュマイルは何を言っていいのかわからず、口にする。バーツは、イシュマイルの肩を叩いて先を促しつつ言う。
「たぶん、オヴェス・ノア族の屋敷なんだろうぜ。アリステラにかなり移住してるって聞いたからな」
イシュマイルがバーツの顔を見る。
「オヴェス・ノアって、たしかバーツの――」
バーツは即座に否定した。
「俺は、ファーナム生まれのファーナム育ちなの」
そして二人はまた歩き出したが、バーツはぼそりと付け足した。
「しかし……ノア族が、こんなタイレス族の貴族屋敷に住むとはな。アリステラってのはやっぱ妙な所だ」
しばらくすると、サグレスの言っていた『三区画先の』『大きな屋敷』らしきものが見えてきた。というよりバーツもイシュマィルも、その屋根を見た瞬間にピンと来たのである。
――あそこだ、と。
目的地に到着したと分かったのは、ガーディアン同士が引き合う感覚に似たものを感じたからだろう。二人は顔を見合わせて頷くと、門までの距離をもうしばらく歩いた。
「広いね」
イシュマイルは小声で言う。見えているはずの門までの距離が、随分と遠く感じられる。
「あぁ、大きな屋敷って言うだけはあるぜ」
屋敷の周りは背の高い樹木と生垣が覆い隠していて、内側の様子は伺えない。先ほど遠くから見た屋根も、ここからだと木々の葉に遮られている。
イシュマイルが他の屋敷と交互に眺めて言う。
「なんだろ、周りにある屋敷と、ずいぶん感じが違うね」
通りから見える一部だけでも、バスク=カッド邸が古い建造物であるのが見て取れる。そのほかの屋敷は、もう少し白々としてさっぱりした印象だ。
「……だな。バスク=カッドって名前からして、いかにも古い家柄っぽいからな。屋敷にも歴史があんのかもよ。しかし、なぁ」
バーツは、視界を遮る分厚い生垣が気に入らない。
生垣の植物にも流行というものがある。
貴族の屋敷ならば、季節や流行の移り変わりに合わせて、順次植え替えていくものだ。周りに見える邸宅の殆どが、屋敷が見通せるほどすっきりした庭を持つ。
しかしバスク=カッド邸を囲む生垣からは意図された閉塞感、という印象を受ける。生垣は樹木も造形も年季が入っており、かなり以前からこのままのようだ。
「目隠しか……ロナウズの趣味じゃなさそうだな。これもバスク=カッド家の災難の痕、かもな」
バーツは一人呟く。
ハロルド・バスク=カッドの一件が、同じバスク=カッド家の人間にどれだけ影を落としたのか。その様が窺い知れる気がした。
バーツとイシュマイルが門のところまで辿り着くと、そこにはすでに執事らしき老人がぴしりと立って待っていた。どうやら屋敷の中からは、外の様子がわかるらしい。
バーツを前に、老人は自分を執事エミルだと名乗り、慇懃に挨拶を述べたあと二人を屋敷の中へと案内した。
門から建物の入り口まで、また広い庭をしばらく歩く。
「ようこそ、アリステラへ。今宵は久しぶりに賑やかなご夕食となられましょう」
先を歩きながらそう話す執事エミルの声は、老人ながら古式ゆかしき発音で耳障りが良い。
「久しぶり、というと?」
バーツは、ふと謹慎のことを気に掛けたが、エミルは微笑んで答える。
「今の時期は、お子様方は神学校の寄宿舎にてお過ごしです。せっかくお年の近い方がおいでになられたのに、残念ですな……」
そして執事エミルは、ちらりとイシュマイルの顔を見据えた。
イシュマイルは一瞬、その視線に違和感を覚える。
「へぇ、ロナウズの……そりゃ見たかったな」
バーツがからかう口調で言うと、執事エミルは今度はバーツを見て言う。
「ガーディアン・バーツ殿。貴方様はご存知かと思われますが、オヴェス・ノア族の慣習により、親族のお子様方もこちらにお預かりしております」
「オヴェス、ノア?」
今度はバーツが驚く番だが、執事エミルは気付かないフリでそのまま続ける。
「いつもでしたら、もう少し賑やかしいのですが……」
そこで三人は玄関ホールの前へと到着した。
執事エミルは先に立ち、その重そうな扉を慣れた手付きで開く。
「まずは、別間にお通しいたします。旦那様と奥様は間もなくおいでになります。まずは、そちらでお待ちくださいますか」
「随分とご鄭重なことだな」
バーツがいつもの調子で嫌味を言うも、エミルはさらりと皮肉で返した。
「はは。何しろ、突然のご来訪で……わたくしも御持て成しには不慣れなもので」
どう見ても、不慣れという言葉が釣り合わない貫禄がある。
要するに、バーツたちが連絡一つよこさずに突然訪ねてきたので、屋敷の人間たちも支度に手間取っているということだろう。