十五ノ六、アリステラ
――アリステラ市。
アール湖に面した景色の美しい都市であり、別名を『水の宮アリステラ』という。
アリステラ市は、複数の顔を持つ街だ。
内海(アール湖)に面した港を備え、ウエス・トール王国、ノルド・ブロス帝国にも交易を通じている港湾都市。
サドル・ムレス連合国内の交易街道に寄り添い、各地からの商人の行き交う商業都市、そして余暇に人々が集まる観光地でもある。
周辺には荘園を持つ貴族が住む区画があり、領土内には鉄や錫などを産出する鉱脈を抱えてもいる。
アリステラ貴族の中にはファーナム近くに領地を持つ者もいて、ファーナムの商工人らとの繋がりもある。
これはファーナムの王侯貴族が廃された時、多くがアリステラに入ったためである。アリステラが水辺で、ファーナムが山手という双生児都市でもある。
また、商人を通じてオヴェス・ノア族との関わりが深い。
さて。
昼間の日差しが少し傾きだす頃になり、ようやくイシュマイル、バーツ、レニの三人はアリステラに到着した。
ドロワ市と違い、アリステラ市にはいかめしい城壁がない。
代わりに、衛兵や役人が常駐する詰め所がブロックごとにある。往来のあちらこちらに、警邏の衛兵が立っている。
衛兵はアリステラ騎士団とは異なる兵団のようだが、ぴしりとした立ち姿はそれに勝るとも劣らぬ凛々しさである。
ある意味ではドロワより厄介だ。
やはり許可証の問題はどうすることも出来ず、レニの力を借りて関門を通過することになる。アリステラに入る手前でレニは姿を隠し、バーツとイシュマイルは二人で街に入った。
まずは竜馬は二頭とも指定の馬塲に預けることになり、最小限の手荷物以外はひとまず役場に置いておかれた。これはアリステラ市の定める滞在の手続きの一つである。
――厳しい手続きは安全な滞在を意味する。
それがアリステラ市のやり方なのだろう。
事実一度街に入ってしまうと、そんな窮屈さを忘れてしまう景色が待っている。
街に入ってすぐに目に入るのは、美麗なレンガ造りの道路と建物だ。
色鮮やかで、そして観光地らしく清潔である。
よく見ればブロックごとに水路が張り巡らされ、他にも噴水、水道、水呑場、といたるところで水のせせらぎが聞こえる。
街の中を散策し、通りの向こうに建物の壁がが途切れると、あとは見渡す限りのアール湖の絶景が広がる、という計算されたロケーションが特徴的である。
イシュマイルとバーツも、アール湖の望める広場で、我知らず足を止めてその光景に見とれた。
初めて見る景色なのに、波の音と水面のきらめきは安心感を与える。
「……すげぇだろ?」
バーツがようやく口にした。
「うん」
イシュマイルも興奮気味に笑みを浮かべる。
「まるで向こうが見えないね」
湖のずっと先は、ウエス・トール王国のはずだが、とても見える距離ではない。
アール湖が『内海』と言われる所以である。
「バーツ、面白い街だね」
イシュマイルは港に向かって歩きつつ言う。
「だってさ、さっきのブロックとこっちとじゃあ、働いてる人の服装まで違うよ」
「……」
バーツは、イシュマイルの予想外の感想に唖然とする。
確かに港に近づくにつれ、街の人の服装が軽装になっていく。
特に港の中で積荷を運んだりしている人々は、膝下ほどのズボンに裸足、上半身は裸体に近い格好で歩き回っている。
常に水に対処するためだ。
タイレス族では、他にファーナムなどがこのような露出の高い服を好む。自由意識の表れからである。
逆に、レンガ造りの家屋の建て込んだ辺りは、ドロワ市で見たような、重い布地を重ね着するクラシカルな服装が多かった。
ドロワ市は固い布地に刺繍が施されているのが特徴だったが、アリステラ市では染物が主流のようだ。
これは、実はノア族伝統の染物の文化が、アリステラ市のタイレス族に浸透した名残である。
またアリステラは観光客がとにかく多く、様々な街の装束や土産物など見慣れない素材や、色彩が溢れている。広場の中で、バーツとイシュマイルは珍しく服装で悪目立ちしないで居られた。
交易品のスパイスなども扱われており、港の船の油と相まって、独特の香りが漂う。
(こいつ、やっぱり変わってるよな……)
イシュマイルは、水呑場の水道管を観察している。その背を、バーツは可笑しいような呆れたような気持ちで見ている。
ごく自然に観光を楽しむ二人の背に、声をかけてきた者がある。
「アリステラにようこそ。少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
柔らかい口調ながらどこか事務的な言葉に、また役人かとバーツは身構えた。
バーツが振り向くと、そこに居たのは一人の若い女性である。
タイレス族の女性には珍しく幅広のズボンにブーツ履き、ウエストを絞ったベストには何かの紋章が光っている。長い金髪だが、やはりタイレス族の女性にしては珍しく髪を纏めていない。
健康的に焼けた肌に、腰の両側には対のサーベル。まさに港に美女、といった風情だ。
(……すげぇな)
バーツがまず思ったのは、その豊満な胸元である。ウエストを極端に細く締めてあるせいで、余計にそれが際立つ。
が、イシュマイルの手前、すぐにそこから視線を剥がして何食わぬ顔をした。
「何?」
イシュマイルが水道管から離れる。
女性はバーツとイシュマイルを交互に見ると、確認するように頷いた。
「ガーディアン・バーツ殿……ですね?」
そしてバーツの返事を待たずに、敬礼して言う。
「私はアリステラ市警団団長シンシアン・サグレス。ガーディアン・バーツ、アリステラ来訪を歓迎いたします」