十四ノ九、引責
「自分は今回、致命的な過ちを犯しドロワ市に危機を及ぼしました」
審議会の場でそう発言するヘイスティングは、まだその体の至る部分を包帯で覆い、騎士の制服は羽織る程度に身に着けている。
特に顔と肩の傷が酷く、施療院での治療は進めているがまだ片腕を布で吊ったままだ。
しかしヘイスティングは勧められた椅子に座ることはなく、立った姿勢で答弁を続けた。
「一瞬の誤解からファーナムの評議員とその護衛の騎士を殺めようとしたばかりか、ノルド・ブロスからの協力者とも敵対するところでした」
「多くの部下や竜馬を負傷させてしまった……まさに帝国の思う壺」
下座の評議員が口を挟む。
「しかし、君の言い分は少々無責任というものではないかね。聖殿騎士というものは辞めると公言して辞められるものではない」
ヘイスティングはすかさず反論した。
「それは十分承知の上。しかしこの件は内外に知られています。何者かが罰を受けねば世論は納得しないでしょう。俺が身一つ引くことで皆の溜飲を下げていただきたい」
しおらしいのは負傷した姿だけで、口調や態度はいつもと変わっていない。
釈明というには傲慢な持論を展開し、評議員らにもファーナムに対し振り上げた拳を下ろせと言っている。
「それがサドル・ムレス都市連合にとってもドロワ市にとっても、もっとも軽微な損傷で済む処分だと思います」
進行役の評議員が溜息をついた。
そして、ひそりとヘイスティングに問う。
「聖殿騎士の名を返上し、あとをなんとする?」
「……」
ヘイスティングはわずかに眼差しを下げたが、再び議員を見据えるときっぱりと言った。
「わかりません……ただ、ドロワを愛し守ること、それだけが望みです」
ヘイスティングは予想より早く、審議会から解放された。
誰に辞めるな、と言われても、もう騎士団の制服に袖を通す気は無い。
しかし評議員たちはその後数時間に渡って議論を紛糾させたらしい。
何しろガレアン家の子息が単身で処分を受けるなど、当のガレアン卿の了解もまだならば、他の連帯している貴族らとも調整が済んでいない。
ただでさえ外交でごたついている時に、内部で揉めている場合ではないのだ。
結局、ガレアン卿自身が直接ドロワ城に赴き、息子の意向を受け入れたことからこの一件はヘイスティング一人の退団という形で終結した。
しかしずっと後になり、この顛末の裏にはガレアン卿の謀が大きく絡んでいたことがわかる。
ともかくも。
裏側のことなど知る良しもないヘイスティングは、議場を後にした。肩に掛けた騎士団の制服を風に靡かせながら、ドロワ城の中庭を歩いている。
評議会の議場は、ドロワ城の内部にある。
ドロワ城を囲む内門をくぐり、二度と通ることはないかも知れないと思いながら、今歩いた道を振り向く。
視界には、白く輝く城がいつもより遠く見える。
「……エルシオンへの忠誠と、市民の命。天秤にかけた時、俺にはエルシオンを取ることは出来ない」
ヘイスティングは騎士団を去る本当の理由を、一人言葉にした。
そして再び前を向くと、新市街には戻らず中央通りを降りて旧市街へと向かう。
ドロワ聖殿にある施療院に行くためだ。
審議会でのことも、聖殿に治療に通うことも、騎士団の誰にも話していない。
朗報が一つある。
古い恩人がまもなくドロワ市に戻るという。今回の月魔騒動を遠地で聞き及び、ドロワ市の為に尽力しようと名乗りを上げていた。
ヘイスティングは、新しい環境に飛び込む覚悟を決めていた。
その数日後のドロワ聖殿。
オルドラン・グース氏がドロワ市に帰還する前日のことだ。
すでに人々の気持ちは出迎える準備が整っていた。
市民は喜びに浮き立って聖殿を訪れ、聖殿で働く者の中にもそわそわとする者もいれば、冷静に職務をこなそうとする者もいて、シオンが居なくなった聖殿の中は違う空気に満たされつつあった。
そんな聖殿の回廊を、白騎士団の団長ツィーゼル・カミュが歩いていた。
市民らは浮かれていることもあって、強面ではない優男のカミュ団長相手に気さくに声を掛ける。
カミュも市民の声を聞きながら、変化の風を感じていた。
団長カミュがドロワ聖殿を訪れたのは、オルドラン・グース氏の到着を前に新任の祭祀官長代理と詰めの調整をするためである。
それともう一つ、個人的に大事な用件があった。
ここの施療院に滞在している、ヘイスティング・ガレアンに会うためだ。
ヘイスティングはまだ正式な退団はしていないが、すでに騎士団には顔を出していない。公式の理由は、怪我の養生のため、である。ガレアン家にも戻っておらず、家人らからは取り次いで貰えなかった。
カミュは、あらかじめ裏を取っておいて、ドロワ聖殿内の庭先でようやくヘイスティングを捕まえた。
「――聞いたぞ。退団すると言い放ったそうだな」
回廊に向かうヘイスティングの背に向かって、カミュはそう切り込んだ。
「……えぇ」
ヘイスティングは一瞬表情を強張らせたが、カミュに向き直ると聖殿騎士らしく敬礼を取った。
「困ったな。お前にはしてもらうことが山ほどあったのに」
カミュは改めてヘイスティングの前に立ち、その怪我の痕をしみじみと見つめる。 顔色は以前より良くなっていたが、まだ顔の傷は癒えていなかった。
「……今度のことで身に沁みました」
ヘイスティングはというと、彼らしくなく視線を落として低い声で答える。
「俺はこの先、ノルド・ブロス帝国の支配下で、冷静な指揮を執る自信はありません。適任者に後をお頼みしたい」
「……お前には、いずれ団長を任せたかったが」
「ご冗談を。カミュ団長以外に、今の白騎士団はまとめられません」
ヘイスティングの言葉は、今となっては世辞ではなく本心だ。
「ふぅむ」
カミュは表情には出さないが、予想以上にヘイスティングが頑なになっていることを知り、憂いた。