二ノ三、情報屋
イシュマイルは少し考えて、取り止めの無いことを聞いてみた。
「じゃあ。この街は今どんな風?」
「おや、いい所を突いて来るねぇ」
老婆はその小さい目を大きく見開いた。そして一番客が好むであろう話を始める。
「街には今兵隊がたくさんいるだろう? あれはみんな他所の街の聖殿騎士だよ。なんでかわかるかい?」
「……レミオール」
イシュマイルは内心ぎくりとしながらも、その名を上げた。
「そう、よく知ってるね。……今、そのことで大陸中の人々の関心が、このドロワに向いている……。なんでかっていうと、ここがその最前線だからさ」
「ことの起こりは……そうだねぇ。ノルド・ブロス帝の息子、三兄弟は知ってるね?」
老婆は話しを進めようとしたが、イシュマイルは冒頭の部分からすでにわからなかった。
「……いや、全然」
「おや、そうかい……。そこからかい」
老婆はやや声の調子を落として次を探る。
「まぁいい。とにかく、三人のうち末弟をライオネルというんだ。三人の中じゃあ一番力のない奴だけど、頭だけはいいらしい」
老婆は話しを始めた。
「半年前だよ。ライオネルが兵を率いて、国境に現れた。そして中立国だった聖レミオール市国を勝手に封鎖してしまったんだ」
「……」
「レミオールは大陸全ての人々が集まる聖地……それがサドル・ムレス側からまったく入れなくなってしまった」
「人も荷物も一切の行き来が途絶えてしまってねぇ。もちろん巡礼もできないさ。周辺の町や村の長たちが再三解放するよう訴えたが応じられず、中にいた市民も祭祀官達も開放されない」
「で、ついにサドル・ムレスの各都市から聖殿騎士団がでばることになったのさ」
「騎士団が……」
イシュマイルの脳裏にバーツたちが浮かんだ。
「何回か小競り合いがあったようだね。しかしまぁ、そのたんびに大敗してるらしいよ。無理ないさね」
「負けてる……の? この国が?」
「ノルド・ブロス帝国の兵は強いからね。おまけに」
「ライオネルは強力な助っ人を用意した。ガーディアンの中でも、特に名高い奴さ」
イシュマイルの胸が高鳴った。
老婆は気付くはずもなく話しを続ける。
「そいつはね、見た目は子供のようなんだって」
老婆は話の中で、そのガーディアンを恐ろげな人物として話を進めた。
「真紅の髪と、紫の瞳を持ち、感情も痛みもない……。事実、そいつには人間的な情もないのさ。だからそこらの無法者や魔物なんかも、雷が近付いたらとっとと隠れちまう」
「そいつはね……雷を操るんだよ。何もない日に不意に空が真っ暗になったら、まず、そいつの仕業だよ」
老婆の話の内容には、かなり古い情報も加わっていて正確ではないのだが、それは老婆の知るところではない。人々の持つ定着したイメージを踏襲することで、話に真実味と娯楽性を持たせられれば、どうでもよかった。
「ガーディアンは、一人でも騎士団一つと渡り合えるというが、あれはそれ以上だ。騎士団の一隊がまるごと焼かれちまうんだって。怪我して戻ってくる兵隊さんたちが口々に言ってるよ。あんな化け物に敵うか、てね……」
「例の……えぇと、ドヴァン砦だっけ? 今やっとこさで橋だの街道だの守ってるみたいだけど、相手が悪いみたいだねぇ。全て奪われるのも時間の問題じゃあないのかねぇ」
「……」
老婆の話は続いていたが、イシュマイルは動揺して耳に入らなくなってしまった。
老婆の話すガーディアンとは、レアム・レアドのことだろう。
けれど自分の記憶にある「レム」とその噂の人物が、どうしても同じ人物と思えない。イシュマイルの、いつもの不安が掻き立てられた。
村を出るときに予想はしていたが、やはり彼の評判は良くなかった。
あるいはこれが、イシュマイルが幼い頃からうっすらと感じていたレムの正体だったのかも知れない。
イシュマイルは考える。
レムは、人に憎まれているのかもしれない。
たくさんの人に。
――と。
酒場から、酔客が連れ立って表に出てきた。
ほろ酔いの軽薄そうな娘たちが三人、千鳥足で出てきて階段に座っている老婆の横を過ぎる。
「あ~頑張って通う価値はあるわぁ」
「でもぉ、場所によるわよねぇ?」
そして笑い合いながらふらふらとイシュマイルの横を通り際、うち一人が彼の肩にぶつかった。
イシュマイルははっと我に返る。
「あっ、失礼し……」
慌てて声に出すも、彼女らは気付いていないらしい。そして酔いのためか、声高に話しをしている。
「あ~もう、今からじゃ間に合わないってぇ」
「もう……毎日シオン様ならいいのになぁ」
すると一人が呂律の回りきってない舌で反論する。
「ちがぁうわよ、祭祀長様がいらっしゃる時の方が……近くで見られるの!」
そしてケタケタと下品に笑って歩いていく。
「……シオン?」
呆気に取られて見ていたイシュマイルは、しばらくしてその名前に反応した。たしか、バーツの言っていた師匠の名前もシオンだったはずだ。
イシュマイルは老婆の方を振り返った。
「で、このライオネルというのが――」
老婆はまだ話しの続きをしていたが、シオンと聞いて話しをやめた。
「おや? 今度はシオンさんの話しかい?」
「あ、えぇっと」
イシュマイルはどう尋ねて良いか迷って、言葉を濁した。
「聖殿のウォーラス・シオンの話なら需要が多いんでいろいろあるさね。買っていくのは殆ど、今みたいな娘たちさ」
老婆は歩き去っていく三人の娘を顎で示した。そして妙に歯並びの良い口元で愉快そうに笑った。
「もっとも。あたしに言わせりゃあ、あんな女みたいなひょろひょろした男――」
背後から陽気な声がした。
「よう、待たせたな、イシュマイル」
イシュマイルが振り向いた時、バーツが大声を出した。
「あ……てめぇ、またこんなとこで!」
「うわっ! バーツっ!」
バーツが店の外に現れるや、途端に静かだった下町が騒々しくなった。
バーツは老婆の襟首を掴もうと手を伸ばし、老婆は驚くほど機敏にその手をかわして逃げた。
「何ガキ掴まえて商売してやがる!」
そして老婆に逃げられたバーツは、今度はイシュマイルに怒鳴った。
「イシュマイル! てめぇも言ったそばから引っ掛かってんじゃねぇよ!」
「え……? えぇ?」
わけがわからず返答に詰まるイシュマイルの背に、老婆がさっと隠れた。
「えぇ、と。じゃ、あたしはちょいと用足しにでもいくかね。じゃ、坊や、また頼むよ」
そして言い捨てるとスカートの裾を掴み、すさまじい逃げ足で街の暗闇へと駆けた。
「待てぇ!」
バーツが一際大声をその背に浴びせた。
そして見えなくなった辺りに向かってなおも言う。
「二度とおかしな商売してるんじゃねぇぞ! わかったか!」
「ちっ!」
逃げられたか、とバーツは拳を鳴らした。
イシュマイルは、バーツを改めてまじまじと見る。事情を知らないイシュマイルは、バーツの意外な一面を見たような気がした。
イシュマイルは普段からギムトロスの怒声に慣れていたので、この騒動にも少々驚いた程度だったが、バーツも意外に短気な性質のようだ。
そして大音量で怒鳴るとすぐに冷めてしまったようで、いつもの口調に戻ってイシュマイルに言う。
「……お前さぁ」
「ま、まずかった?」
「あ~。まずくはねぇけど、ボられるからな。……いくら取られた?」
「あ、お金じゃなくて、これを1つ」
イシュマイルは腰に常備していた薬草を示した。
「ノアの薬草か……やられたな」
バーツは薬草の袋を指差して、淡々と言った。
「そいつぁ都会だと希少価値がついて高値になるんだよ。金持ちに売りつけりゃあ、もっと出す」
「……そ、そういうものなの?」
イシュマイルにとっては日々の生活の中にあるものだ。街で売ると何倍にも跳ね上がると説明されたところで、金銭的な価値は理解できない。
「そういうモンなの。さ、宿舎に戻ろう」
バーツはイシュマイルの口調を真似て返し、肩を叩いて促した。