十四ノ六、龍と竜
シオンは生前のソル・レアドを思い起こしながら、ぽつりぽつりと言う。
「氏にこう言われたよ。肉体が老いを感じるからこそ、生き方に工夫が生まれる、精神の均衡を保とうとするのだ、と」
「……生き方?」
ソル・レアドの言葉を借りて問いに答えるシオンの声を、男は共感すら感じながら聞いている。
「しかし、ガーディアンにはそれがない。幼くして浮き世を離れ、若い肉体のままを生きる」
「故に、不老長寿と言われながらも短命である、と」
「……?」
「年数を生きれば経験や知識は増えようが――衰えを、不足を知らない者に、知恵は働かない。その意味が、ようやくわかってきた」
「はぁ」
男はまだ釈然としない様子ながら、納得はするのか頷いている。
それは体力任せで何事も解決するのではなく、頭を使い要領よくするという大人の知恵を持つということでもある。
また弱者の心理を理解する心も持つということも、これに連なる大切な事柄だ。
シオンの脳裏に、バーツが思い起こされた。
(その点でいうと、バーツは少し違う。騎士として挫折を味わい、肉体の曲がり角をも経験して、その後ガーディアンになった。これは、奴の糧になるはずだ)
ガーディアンへの修行時代は人一倍堪えただろう。
今はまだそれを卑屈に捉えているバーツであるが、シオンはそのことについて口にしたことはない。こればかりは体験していない身として、助言しようがなかったからだ。
(私としたことが)
シオンは、ふっと鼻に抜ける自嘲的な笑いを浮かべた。
(有ってはならない種を撒いたのは私ではないか。その上、数多の教え子を育て彼らが諍い合う状況すら作り出しておきながら)
(その子らを頼もしく思い出すなど……衰える以前に未熟としかいいようがない)
シオンの悪癖の一つに、この自嘲があるだろう。
完璧主義が自身の身を抉る刃を生む。
その一方でイシュマイルの生い立ちの件のように、動かしようのないものはすっぱりと切り捨て放置してしまう冷たさを持つ。
破滅的な面を持つシオンの性質は、バーツとは真逆のものと言える。
近年の弟子の中で一番シオンに近い個性を挙げるならば、それがタナトス・アルヘイトだろう。一国の皇太子の資質としては危ういものを、シオンは常に身近に感じている。
(あのフェンリルなる者、私の周囲をうろつくばかりで姿を現さないのは、暗に助けを求めているのではないか?)
――それも、タナトス自身が。
シオンの辿り着いた一つの結論である。
タナトスを見知る者だから感じる直感かも知れない。
ドロワに篭っていたシオンを、外へ外へと誘おうとするかのように周囲が変化していく。
シオンは巡るばかりの思考を振り払った。
スドウに入ったのは、この穏やかな町で休まるためではないのだ。
(こちらからも探りを入れないと、な)
今更かも知れないが。
シオンが遠くノルド・ブロス帝国に思いを馳せ、タナトス・アルヘイトの存在に危機感を抱いていた頃。
その皇太子タナトス本人はというと、予想に反して牧歌的な日々を過ごしていた。
この所、父である皇帝アウローラ・アルヘイトの容態が安定しているため、宮殿を離れて帝国中部にあるタナトス自身の別邸に来ていた。
これは休暇というより、政治的な保身でもある。中央にいると危険だと感じる時、タナトスはこうして身を隠す。
人は、彼のそんな行動を脆弱だと受け止める。
景観が良いという美点しかない場所、政治的な匂いなど無縁の土地柄。同じノルド・ブロス国内にあって、ここは宮殿付近と違って魔素が少ない。
木々が育ち、花をつける。サドル・ムレスに似た景色がある。
土地は痩せていて耕す人は少ないが、それでも雑草の緑は広がっている。
乾いた風だ。
タナトスの皇太子以外の顔として、レヒト聖殿の祭祀官長という肩書きがある。
亡母ニキア・アルヘイトの面影を継いでその地位を得たが、タナトスがレヒト聖殿に入り浸るということはない。
普段は祭祀官長代理がほとんどの業務をこなしており、タナトスは極力かの人の邪魔はしなかった。
タナトスはというと、眺めのいい丘にタイレス族風の屋敷を一軒持ち、概ね独りだけで過ごしていた。
たまに訪れるのは、屋敷を管理する者の他は、カーマインなど指示を仰ぎにくる要職の者達くらいで、今はそれもひっそりと行われている。
カーマインはここで、兄の奇妙な趣味を見た。
『龍』である。
それもまだ幼生体といっていい幼龍。タナトスは、こういった子供の龍を、何頭も屋敷内で育てていた。
『竜』を育て、共に寝起きする職業の者はいる。
しかしそれは互いの共存・共生のため、人が竜と暮らすために、幼竜を人の保護下で育てるものだ。竜族の幼生体を人に慣れさせ、互いの訓練を円滑にするために、ある程度の訓練と矯正が許されている。
だがタナトスの場合、まったくの野生の状態で幼龍と同居している。龍人族から見てもこれは危険な行為であり、これでは使用人などとても居付かない。
タナトスの不在の時などは幼龍の世話をする専門の訓練士が通うが、殆どの時間をタナトスは一人で過ごし、およそ貴族らしい生活の場所とは言い難い。
さすがにカーマインですら、皮肉の一つも言いたくなる。
「兄上の場合、龍族を知るためと称してその実、人を払うために凶暴な龍と暮らしておられる」
「口を慎め」
タナトスが言い返す。
「彼らの深遠たる知能を量らず凶暴などと謗るな」
「……彼らはまだ幼生体です。今の段階では、その知能はまだ泥竜より低い。いざという時に、いかにして兄上を守ることが出来ましょうか」
護衛の者すら付けていないタナトスを、カーマインは心配を通り越して呆れている。
「――お前は、生粋の龍族だな」
幼龍をあやしながら、タナトスがカーマインに言う。
「誇り高い古龍族に、護れなどと命令できるのはより高みの龍族のみ……お前は人の形をした龍だ」
「……」
タナトスの言葉は、半分比喩だ。
同じ意味の言葉が二つある。
龍とは竜の古い字であり、この場合は別の存在を指す。
六肢の竜族。前脚と後脚に加え、羽もしくは羽の名残の骨を一対持つ。
四肢の龍族。前脚、後脚の計四肢を持つもの――古代龍とも呼ばれる。
遊撃隊が連れていた土竜などは、四脚に見えるが背中に退化した羽骨があり、六肢の竜族である。およそ大陸全土で見られる竜の類はこちらで、環境に適応しやすく様々な形状を成す。
一方、タナトスが今育てているのは龍族――古代龍の眷族で、希少種である。
ノルド・ブロス帝国内でも一部地域にのみ現存し、また龍人族と龍族は、同じ四肢を持つ卵胎生の種族としてより近いとされている。
龍人族が、自身を龍の眷属と名乗るのはこのためである。
古代龍族は、竜族より長寿であるが幼生体の生存率は非常に低く、自然界では減少の一途を辿っている。故にタナトスのような研究者が保護し養育しているのだが、それは他の龍人族の誤解を生む行為でもあった。
タナトスの場合、皇家としての政治的な義務をしばしば放置したり、公的職務である聖殿の祭祀官長の仕事も名ばかりであるため、尚更だ。
だからカーマインが詰る。