十四ノ三、スドウの大釜
スドウの町は、別名を『砂の町』という。
十二聖殿のうち、唯一外海を臨める場所に建てられているが、海からの黒い風が乾いた砂丘を作り上げた。
ここから見える外洋は、暗い。
絶えず嵐に阻まれていて波は荒れ、人々はごく浅い海辺で漁をする。かろうじて陸地の外周を巡ることは出来るが、寄航できる港は少ない。
スドウの港は、孤立している。
スドウの町が『交易街道』から外れていることもあって、町の造りは質素なものだ。
ギムトロスがこの町に来る理由は、一つ。
イーステンの森、つまりサドル・ノア村のある聖地へと至る道が、このスドウから続いているからだ。ノア族のレンジャーしか知らない、秘密の道でもある。
さて。
スドウの町に入ったギムトロスは単身、スドウ聖殿へと向かっていた。
シオンに会うためではあるだが、先ほどまでとは事情が少し違ってきていた。今のギムトロスは、龍人族のスパイの協力者になっている。
スドウの町中はとても素朴だ。
そして、簡素な作りだ。
昔ながらの小振りな木造家屋が点々と建っていて、それぞれが小さな庭先に植物を植え、野菜などを作っている。
家屋には手製の軒がしつらわれ、そこに魚類の干し物をしたり、洗濯物がかけてあったりする。穏やかな漁村の風景だった。
ギムトロスが歩いていると、しばらくして目立って大きな石造りの塔が目に入ってきた。
スドウ神殿だ。
通常の神殿は、ドロワ市のように祭壇を設えた礼拝堂が前面にあるものだが、スドウの物はとても質素で、昔ながらの塔の姿のまま聳え立っている。
塔の周囲にあるもので目立つ建物と言えば、離れの厨房だろう。
初めて訪れた者は、これを何かの工房かと思うかも知れない。石造りの建物には大きな煙突があり、内部には溶鉱炉のような巨大な釜がある。
この釜で蒸し物から焚き物、スープ類まで一気に数十人分を調理する。一度の火入れで、釜内での位置によって様々な調理が出来るのである。
聖殿に務める者はもちろん、周囲の宿場の料理まで一手に引き受けている。
こういった調理施設は、神官戦争以前には各地にあったが、こんにち現存し活用されているのは、このスドウの町くらいだろう。
他にも、少し離れた海側には海風を受けて粉を挽く風車などがあり、これも村全体で使う。
スドウの町は、氏族や身分に関わらず全員が家族のような共同体なのである。
ギムトロスは見慣れたスドウの町を、住人と同じ歩調で歩いている。
小さな町のこと、すぐにスドウ聖殿に着いた。
遠目に塔に見えるスドウ聖殿は、近くにくると円形の石造りの建物で、武骨でさえある。出入り口も、表と裏に木の扉がある程度だ。
ギムトロスは誰に止められるでもなく塔内に入る。中を見回せば、一階は簡単な事務室になっているらしい。
上階と地下階に続く古めかしい階段が見える。
ギムトロスは、まずは近くにいた祭祀官らしき人物に声をかけた。
「ウォーラス・シオンというガーディアンに会いたい。彼の弟子のバーツ・テイグラートの知り合いだ」
バーツの名を出すよう提案したのは、他ならぬバーツ自身だ。サドル・ノアの里を出る時に、不測の事態に備えてのこと。
果たして、バーツの名を聞いてシオンはすぐに顔を見せた。
シオンとギムトロスは、初対面である。
塔の一室、書物の積み上がったこじんまりとした執務室にギムトロスは通された。そしてギムトロスは、シオンを一目見るなり呟いた。
「驚いた……十五年前に遡った気分だ」
言われた方のシオンはというと、挨拶もそこそこに不愉快を表情に出した。
ギムトロスの言わんとしていることは、察しがつく。
おそらくギムトロスは、十五年前出会った頃のレムを思い出したのだろう。しかしシオンにとっては、レアムと一括りにされるのはそう気分のいいことでもない。
ギムトロスは構わず言った。
「ガーディアンってのは、こう……みんなそうなのか? 昔のタイレス族を見てるみたいだ」
そう言いながらギムトロスは、両手で肩の辺りを示し、髪が長いという意味のジェスチャーをした。確かにシオンやバーツ、レムも同じく髪を伸ばしている。
「偶然だ。特に決まりがあるわけではない」
シオンは憮然と答えたが、確かにシオンの好む格好というのは、衣服といい髪形といい、百年前の祭祀官の姿そのままだ。
髪を伸ばし、ローブを着てケープを羽織る。百年前の神官戦争以前は、みなこのような装束だった。
タイレス族が短髪を慣習としたのは神官戦争の後のことだ。
最近になって、体制に反抗的な若者が長髪を好むようになっていたが、それはノア族やハンターの姿を真似てのことだ。
バーツなどはこの類に当てはまる。
「……なるほど、バーツに大雑把に説明は受けましたが、貴方がそのノア族のリーダーの一人というわけだ」
シオンは、一応言葉遣いには留意した。
ギムトロスも、まずは今の非礼を詫びて名を名乗った。
「俺はギムトロス・ローティアスという。イシュマイルと、一応レムの師匠ってことになってる」
「ほぅ、貴方が……」
関心を示してシオンも応える。
「私がウォーラス・シオンだ。バーツの師匠、そしてレアム・レアドとは同世代のガーディアンだ」
レムと同世代と聞いて、今度はギムトロスが意外そうにシオンを見る。とても百歳を超えているようには見えない。
シオンは、自分がつい先日までドロワ市に居たこと、イシュマイルらにも会っていることをギムトロスに伝えた。
しかし、ギムトロスは両手で何かを遮るような仕草をして言う。
「いや、思い出話を聞きたいところだが……ちょっとばかし面倒になりそうでな。その前に知恵を借りたい」
ギムトロスの過剰な身振り手振りは、彼が習得したタイレス族風の会話法だが、今時ではやや大げさにも見える。
シオンは構わず、問い返した。
「面倒、とは?」
ギムトロスはさっきまで自分といた、帝国のスパイのことをシオンに話した。