十四ノ一、タナトス再び
第二部 諸国巡り
十四、第一歩
ギムトロスの目の前で、その少年は自ら幻術を解いた。
一瞬その姿が揺らぎ、瞬く合間にもう別の姿が現れている。景色に溶かし込むように、視界の一部だけが別のものになる。
果たして見えてきたものは、銀色の髪に白い肌。
その姿は、ドロワ市でイシュマイルの前に現れ、タナトスと名乗ったガーディアンそのものだ。服装も少し変化して、マントの下には異国風の長服が覗いている。
ギムトロスは少しばかりの驚きを隠して言う。
「……なるほど、龍人族か……見事な幻術だが、俺には効かねぇなぁ」
正直なところ、ギムトロスはそれが術の類とまでは見抜いていなかった。
ただの男装だと思っていたのだ。
「てっきり元の村娘の姿を現すかと思ったが……」
ギムトロスはハッタリにしては苦し紛れの言葉をつないだ
「彼女がここにいると思った?」
「あぁ、思った。そういう気配がしたからな」
ギムトロスは真正直に受け答えしている。
「彼女には姿と声を借りたんだよ。代わりに彼女には、他人に見付らずに旅が出来るよう仕掛けをしてあげた」
龍人族の少年は、カラクリをあっさりと説明した。
「たしかに、僕はその村娘を知っている。僕らはお互いに利害が一致して……協力してここまで来たんだ」
村を出て都会に行きたいという少女と、タイレス族になりすまして街道を進みたい少年の思惑は一致し、二人は協力してここまで来たという。
「……その娘とやらは、今どこだ?」
「さぁね。ファーナムに行きたいって言ってたから……いずれファーナムで見付かるんじゃない?」
役目さえ終えれば、娘のその後などはどうでもいいと言わんばかりだ。
「その時には、道中の記憶は失くしていると思うけどね」
「なんだと?」
「そういう術をかけたから。彼女の身の安全のためだよ?」
(……この小僧、ぬけぬけと)
ギムトロスは苦笑いともつかぬ皺を鼻柱に寄せた。
「残念だけど、姿を見せられるのはここまでだ。貴方に対する敬意だよ」
「うむ?」
訝しがってみせるギムトロスの目にも、まだこの少年が完全には姿を現していないことが感じられる。
「正体はお預けってことか」
少年は言葉の代わりに微笑で肯定した。
タナトス・アルヘイトに生き写しのこの表情もまた、偽りの姿だと彼は言う。
「僕はある役目をもって姿と名前を与えられた者……貴方の目にどう映っていようとも、正体というものはないよ」
「……小難しいな……お前さん、ノルド・ブロス帝国の間諜か」
今度はやや当てずっぽうにギムトロスは訊いたが、少年はそれも肯定した。すでに正体を半分晒した少年の方は、驚く風でもない。
ギムトロスはというと、物探しを愉しむかのようだ。
「見たところ、お前さん悪党だな? しかし徒党を組んで盗みを働く小物でもなさそうだ。で、俺に近付いてきた目的はなんだ?」
かなりの暴言にも関わらず、少年は気にしていないようだった。
言われた言葉よりも、他の事が気にかかったからだ。
「……そう、か。そんな風に見えるんだ」
少年は、怒る様子もなく納得した表情で何度か頷いた。
そして、ぽつりと言った。
「少し前にね。僕は怖いって言われたんだよ。その理由が、今わかった」
それは、ドロワ市での月魔騒動の際にイシュマイルに言われた言葉だ。
「怖い、か……確かにな」
もともと話し好きなギムトロスは応えて話し続ける。
「…旅ってのあ、な。どんなに珍しい町並みで目新しいものを見たって、目の前の人間の中から何かを見出す喜びのほうがでかいってもんだ。特に初対面ならな。でもお前さんはその過程を素っ飛ばしてる。それが失敗の原因だ」
少年には、ギムトロスの言葉は耳に心地良いアドバイスのように聞こえる。タイレス族に化けるという点では、ギムトロスもその演技を工夫してきたからだ。
もともと強い感応力を持ち、『渦』にも頼る龍人族は、コミュニケーション一つとってもタイレス族とは違う。時に瞬時に相手の心を読んでしまうこともある彼らにとって、伝達の手段はさほど必要でない。
例えば、互いに気遣い合いながら話術を駆使し、親密さを増していくなどという過程そのものが不要で、その為の技術などもタイレス族よりずっと低いのである。
タイレス族が龍人族に感じる薄気味悪さというのは、こういった文化の違いから来るのだろう。無愛想を絵に描いたようなレアム・レアドなどは、そのいい例だ。ガーディアンの修行だけではついに身につかなかった部分だ。
「いきなり愛想良くいい人を演じたって、薄っぺらいもんだ。正体が透けて見えるぜ」
ギムトロスは相手を悪党と言っておきながらも、気軽に会話を続けた。
「さて。で、俺になんの用だい?」
少年の方も、ギムトロスには気負いない様子で言う。
「……変装という点では、貴方も僕と同じなわけだ。タイレス族の格好をしているけど、ノア族でしょう?」
「あぁ」
ギムトロスは屈託なく答えたが、タナトスの次の言葉には驚いた。
「貴方は、あのノア族の服を着た少年を探しているのではない? ファーナム騎士と一緒にドロワ市に居たとかいう」
少年の言葉は、幻術を看破され次の手を失っていた自身の立場を逆転できる一声だった。