十三ノ九、分水嶺
「必要? 会う必要がないということか? それとも役立たずという意味か?」
「――ライオネル」
ライオネルにもハルピナにも、レアムの言葉の意味がわからない。多くを語ろうとしないレアムの姿に、ただ冷たい言葉としてのみ二人の心に残った。
「まぁ、それはいい。だがノア族というのは、私には無視できない」
「あの少年、タイレス族の適合者だろう? なぜノア族の格好をしていた」
ライオネルは問いを続け、レアムは観念したのか言葉少なに答えを口にする。
「私が……ノア族のもとにあの子を預けたからだ」
「……十五年前、ウエス・トールで生き残った、孤児だ」
その説明は、かつてシオンがバーツたちに話した内容とそっくり同じものだ。
ウエス・トール王国の女王フィリア・ラパンによってシオンの元に報せが入り、レアムが現地に赴いた。そこに居たのはガーディアンとして高い素質を持つ子供、イシュと呼ばれた赤ん坊だ。
ウエス・トール王国の、とある小さな村。
そこでの、その間のやり取りはレアム自身しか知らないはずだ。
しかしレコーダーは、それをかなり細かいところまで正確に再現したばかりか、レアムにとって一番苦しく思う部分だけは事実とは違う姿で見せ付けた。
それが、レアムの激情を誘ったのである。
動揺し冷静さを失ったレアムは、レコーダーに容易く敗北を喫した。
ライオネルは、この状況を理解しようとしている。
ハルピナも、横からレアムに問うた。
「しかし赤子とはいえ適合者ならばエルシオンに正さねばならない掟。……なぜ隠れていたのです、いえ、隠したのです?」
ハルピナは、先ほどレコーダーの言葉を借り、直接的にレアムに訊く。
レコーダーは特に、その部分に対して強い怒りを抱いていたようだ。
レアムはわずかに逡巡を見せたが、やがて言葉にした。
「……それは、私がエルシオンへの信念と忠誠を……失ったからだ」
レアムの言葉に、ハルピナはもちろんライオネルも驚いた。忠誠を尽くすべき相手に対し迷いを抱くなど、ガーディアンとして有り得ない告白である。
手にした赤子をシオンに引き渡すことも、その子を連れてエルシオンに上ることも出来なかった。エルシオンの判断そのものが、信用できなくなっていた。
さらに不思議なことに、その時ウエス・トールの聖殿からドロワ聖殿へ飛ぶための門が正常に働かず、レアムはイシュを抱えたまま、サドル・ノア族の村落近くに飛ばされたのだ。
そこは古い遺跡で、サドル・ノア族がそれを代々守ってきていた。
レアムにとって、それは偶然とは思えなかった。
レアムが、『レム』になった瞬間でもある。
「なるほど……レコーダーが突然襲ってくるわけだ」
ライオネルはレコーダーの性格をある程度予測している。人間観察はライオネルのひそかな趣味でもある。
レコーダーからすれば、イシュマイルは相当に興味を惹かれる人材だろう。実際、ドロワで出会ってすぐにこれを気に入っている。
それをレアムの一存によって十五年もお預けを食らっていたのだ。
「やれやれ……どうしてこう、問題というのは次々に出てくるのだろうね」
ライオネルはいつもの口調で皮肉を言った。
ハルピナがライオネルに問う。
「レコーダーは、また来ると思いますか?」
それはライオネルにもわからない。
「どうだろうねぇ……来ない気もするけど、それより」
ライオネルは、俯いたままのレアムの顔を見、冷淡に言った。
「その、イシュって子は……また来るだろうね」
レアムは、そのことには返答しなかった。
別の考えを巡らせていたせいもある。
「ライオネル」
不意に、レアムはあることを決めてライオネルにそれを告げた。
「例の遺跡、私が導こう」
「……。えぇ?」
言われたライオネルの方が返答に詰まった。
「遺跡って……その」
「――イーステンの遺跡。サドル・ノア族の聖地」
ライオネルは、レアムの心変わりの意味がわからなかったが、その言葉にはひとまず頷いた。
「条件がある」
レアムはライオネルに顔を向け、切り込むような眼差しで言う。
「ライオネル、お前も遺跡に来るのだ」
「……っ」
ライオネルが即答しなかったのは、ことの展開を把握できなかったからだ。
頭の回転の速いライオネルをもってしても、レアムの人一倍熱い感情の波には、付いていけなかった。
レミオールを押さえて半年。
ライオネルが時間をかけてドロワ市を狙っていたのは、ドロワ市を手にする為だけではなく、イーステンの森を視野に入れていたからだ。
本来の攻略目的地ではなく、ドロワ市からも近いのもあって力押しはしたくない。何よりサドル・ノア族が居住するイーステンの聖地は、手を出しにくい条件下にある。
それを、レアム・レアドという存在がいれば難なく突破できるのである。
(今になって突然に……? 現状このまま進めても手に入らなくはないが……)
ライオネルでなくとも訝しむ。
ここ暫く続いた労苦をすべて蹴り飛ばす展開である。不愉快を感じないわけではなかったが、ライオネルはこれを大きなチャンスと見た。
ライオネルはこの時、二人の兄の存在を暫し忘れた。
この日のレアム、そしてライオネルの交渉は全くの個人的で小さい決定だったが、ノルド・ブロスという帝国にとっては見過ごしてはならない分かれ道、その緩やかな流れに入ったのである。