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アモルファス  作者: 霧音
第一部 ドロワ
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二ノ二、黒い街

 バーツはドロワ市に到着するなり、まずはイシュマイルを連れてドロワ聖殿へと向かう。


 灰色の建物から出ると、バーツは西に向かう坂道を選んで降りていく。

 先ほど竜馬の背に跨って通った道に比べると随分と近道になっていて、すぐにメインストリートへと戻ってこられた。


 外門に見える人々を左に見つつメインストリートを横切ると、バーツはさらに西へと進む下り坂を指し示した。

「こっちだ。聖殿は、古い町並みの方にあるんだ」


 イシュマイルは後ろを振り返り、この街の構造を理解した。

 メインストリートを中心に、寄宿舎があったのが坂の上の新市街、今向かっているのが下町、旧市街らしい。


 ドロワの街は緩い坂になっていて、東西でいうなら新市街側が高く、南北でいうならドロワ城側がより高くなっている。そして特に低くなっている旧市街の南側は、古い民家が多くが残っていた。


「メインストリートより上の街は、建物が新しいんだね」

 先程までいた坂の上の街を見上げると、白い斜塔が日の光で光って見えた。

「あぁ、あっちは最近拡張された区画なんだと」


 話しながら歩く下町の景色は、どこも年代ものらしい面影がある建物が続く。

 少し広い通りに出ると、そこからドロワの聖殿が僅かに見えた。ここは昔の大通りだったところだ。


「この街は、もともと聖殿の周りに人が集まって出来たんだ。この街の別名、聞きてぇか?」

 バーツがもったいぶって笑う。

「……なに?」

「学問の都市」


 バーツはノア族にしては長身で、その長い手足が目立つ。ファーナム風の黒い私服は露出が高く、都会の若者が好んで着る遊び着だ。


 バーツの飄々とした風体もあって学問の都市とやらには浮いて見えたが、街の人はバーツを見かけると、知り合いに久しぶりに会うかのような反応を返した。

 事実、バーツはドロワの街には色々と馴染みがある。


 暫く行くと、道の反対側から神学生らしき少年たちが連れ立って歩いて来るのとすれ違った。彼らは歩きながらも書物から目を離さず論じていて、その様子をバーツは微笑ましく見送った。

(進級を控えた神学生、てとこか)

 下町から上級の学校に行くことは難しい。

 街の外でどのような戦の匂いがしていても、彼らの今の関心事は目の前の学問だ。見たところ、イシュマイルと歳が近そうだった。


 バーツは何か言おうとして、イシュマイルの方に視線を戻した。

 そしてイシュマイルの表情を見て、驚く。


 イシュマイルは少年らのことなど全く気にせず、ただ前を向いて歩いていた。

(……こいつ?)

 バーツは不思議そうにその様子を見るしかない。

 イシュマイルくらいの年齢ならば、見知らぬ街に来て同年代とすれ違えば、多少なりとも気にするだろう、と思われたからだ。


 イシュマイルは、気にするどころか少年らを気にも留めていないかのようだ。

 興味を示すものといえば見たことの無かった建物だとか、漠然とした大勢の人の流れだとか、そういったものだ。

「……」

 バーツは何も言わなかったが、内心で不憫さを感じた。イシュマイルの育った特殊な環境が、彼をそうさせるのだと思ったからだ。


 やがて。

 二人の行く先に、大勢の人だかりが見えた。近付くにつれ、それが聖殿に入ろうと並ぶ人々の群れであることがわかる。

 聖殿は間近に見ると大仰なほどに凝った作りの建造物だった。周りの建物と比べても異質で、えもいわれぬ存在感がある。


 だが、たむろする人々は、とうに見慣れているのでそんなことは気にしない。今夜の礼拝に参加できるのか否か。それだけが興味の対象のようだ。


「……バーツ。入れるの? これ」

「あ~。まずったな。夜の礼拝の日か」

 列に並ぶ気も失せて、二人は通りまで続く長い行列を見ていた。

 よく見れば、これから日が暮れるという時間に若い娘が多くいる。


 バーツは行列とは違う方向に進み、その長身で建物の壁に張り付くと、一段高い位置にあった小窓を叩いて中の司書を呼んだ。

 ややあって、年配の男が顔を出す。


 バーツは司書を見上げながら、雑踏の中で声を高くする。

「ウォーラス・シオンに会いたい。いつなら時間が空く?」

 男は掌で音を聞く仕草で聞いていたが、同じく大きめの声で返事をする。

「シオン様はこの数日、どなたとも面会なさいません!」

「え! ……なんでまた。バーツ・テイグラートの名を出してくれ!」

 バーツの近くにいた娘たちが、何事かと振り向く。


「いえ、あまりに多忙を極めていらっしゃるので、物理的に無理なのです!」

 男は続けた。

「今日の礼拝のあと、お伝えしておきますから、少し日を置いてからまたお越し願えませんか!」

 二人の会話は、少し離れたところにいたイシュマイルにも聞こえた。


「……しゃあねぇ。一応、名前だけ伝えておいてくれ!」

 バーツはそういうと、窓から離れ、張り付いていた壁から飛び降りた。

 そしてイシュマイルのところまで戻り

「だってよ」と一言で説明した。


「……タイミングが悪かったみたいだね」

 イシュマイルは苦笑いでこれを迎える。

「ま、慌てることもねぇか。俺たちもすぐに任務はねぇし……街の見物に付き合ってやるよ」

「うん」

 イシュマイルは、ぱっと喜色を浮かべた。


「じゃ、その前に、もう一件付き合ってくれ」

「?」

 バーツは、イシュマイルを促すと拝殿から離れた。


 二人は、さらに通りの奥へと進み、いかにも裏通りといった雰囲気の場所を歩いていく。賑々しかった先ほどの通りと違い、少々柄の悪い印象の場所だった。

 石畳も煉瓦の壁も、年月を帯びて灰色がかっていて、心なしか辺りの雰囲気まで薄暗くなっていく。


 いつの間にか、日が傾いていた。

 バーツはかなり歩いて、下町の外れにある酒場へと着いた。周囲には空き家が目立ち、いくつかの店は閉まっているのか灯りがない。

 むしろ、この酒場だけがやけに煌々と辺りを照らしている。


「表が駄目なら裏から……てね。ここの知り合いから、直に師匠に伝えてもらう」

 バーツは気軽に言って店に向かう。


 店の入り口は、扉が壊れていて店内の喧騒が外まで漏れ放題になっていた。加えて酒や食べ物の臭いがあたりに立ち込めている。

「うわ……」

 イシュマイルは店の手前で立ち止まった。

 バーツが振りかえる。


「バーツ……僕、外で待ってるよ」

「あぁ? 街をナメてんじゃねぇぞ、危ねぇぜ?」

 イシュマイルは嫌悪の表情に眉を寄せる。

「それは気をつけるよ……。こういうの、苦手なんだ」


 ふぅん、とバーツは呆れた顔をする。

「……じゃ、そこで待ってな。ウロウロせずに大人しくしてろよ」

 そして大股に店の敷居を跨ぎながら「お子様め」と一言からかって店内に消えた。

「な……っ」

 イシュマイルが言い返そうとした時には、とっくに店の奥へと逃げてしまっている。


 店の周りは閑散としていてイシュマイルの声は立ち消えた。

 細い路地から労働者らしき男が現れたが、イシュマイルをちらりとだけみて、その男も店内に消えた。

「……」

 イシュマイルは憮然と腕組みして、バーツを待つ。


 日が一気に暮れていく。


 辺りが暗くなってくると、ますます下町は黒い影となり、坂の上の家々の明かりは斜塔をキラキラと照らした。イシュマイルはその光景を、美しい夜景だと思いながらも違和感を抱く。


 その時。

「……オイ。そこの、坊や」

 すぐ近くで、老婆の声がした。


 振り向くと、酒場の前の階段に小さな老婆が腰掛けていた。

 粗末な服を幾重にも重ね着し、使い込んだ杖を手にしたその老婆は、不思議と酒場の雰囲気に馴染んでいた。やけに顔色は良くて頬が紅を引いたように紅い。


 老婆はイシュマイルに片手を差し出して笑みを作った。

「ドロワは初めてかい? ……情報、買わないかね?」

「情報を……買う?」

 イシュマイルは怪訝に問う。


 老婆は笑みを絶やさない。

「あぁ、街の噂から評議会の連中のゴシップまで、なぁんでも教えてやるよ。ただし……少々お小遣いを貰うけど、ね」

 イシュマイルは首をかしげた。

「悪いけど……僕、金持ってないから。面白そうだけどさ」

「金がない? おや。じゃあ、そのベルトからぶら下げてるもの、どうだい?」


 老婆はイシュマイルの腰を指差した。

 イシュマイルはレンジャーの持ち物として、ベルトから小物を入れる皮袋を下げていた。中には薬の詰まった袋が幾つか放り込んである。

「これ?」

 イシュマイルが一つを取り出して老婆に手渡す。


 老婆は袋を開いて中身を見、大げさに喜んで見せた。

「おぉ、これだよ、これ。ノア族の薬草だよ。年寄りには十分有難いものだ」

 そしてそれをそそくさと袖にしまい、イシュマイルに向き直った。


「さて。色々聞いてくれて構わないよ。奮発しようじゃないか」

 老婆の人懐こい様子にイシュマイルは微笑み、そして考えた。


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