十三ノ八、偽りの鳥
破壊された礼拝堂の中で、密やかな女の声が響く。
「変だと思った……あの時、アイスが呼ばれて治療したという子……?」
その声は、ハルピナのそれである。
しかし本物のハルピナはその頃、回廊をライオネルと共に駆けていた。
もやが薄くなると、果たして美しいハルピナの姿が現れた。
レアムはその姿も、凝視している。
ハルピナの姿は、その声で言う。
「あの直後に色々なことが起こって……今は嘘みたいに静か」
「……私は、とんでもない人選ミスをしたのかも、知れない……。あなたには、弱点なんてないって……そう思っていました……」
「どんなことがあっても……なにを置いてでも、聖殿を守ってくれる戦士であると……そう思ってきました……。少なくとも、昔のあなたはそうでした……」
「今は、隙だらけですね……何に怯えているんです?」
その言葉は、かつてハルピナ自身がレアムに投げかけた言葉である。
「あれは、エルシオンのお導きかと思いましたのに……」
なおも続けるハルピナに、レアムは口を開く。
「ハーモッド」
レアムは、その名でハルピナを呼んだ。
「一つ教えておこう……あの子供、イシュには力がある。」
ハルピナの姿をした虚ろな瞳が、レアムを捉える。
レアムは言葉を重ねた。
「様々なものの、流れを変えてしまう力が」
「何もないところに事件を起こし、事件に遭えばその結果を変え、人と接すればその人を変える」
「……あなたも変えられた一人……?」
ハルピナの問いを、レアムは無視した。
「私が恐れているのは、あの子がこれ以上この戦に深入りすること」
その時、本物のハルピナと、ライオネルが礼拝堂に飛び込んできた。扉ではなく、破壊された壁の穴からだ。
そしてハルピナは、自分にそっくりな人影を見て短く悲鳴を上げた。ライオネルは、ただその事態に驚愕している。
レアムは、ハルピナの姿をした何者かに、再び雷光槍を向けて言った。
「変わってはいけない流れもあるのだ。いかに理不尽であろうとも」
「……そう、それが、貴方の理由……」
ハルピナに瓜二つの何者かは、得心がいったように呟く。
そして、その影が揺らいだ。
「――そんな理由で……あの子供を隠したのか」
声が、再び男の声に変わった。その声は先ほどのオルドラン氏を真似たものではない。そしてレアムはこの声を遠い昔に聞いたことがある。
ハルピナの姿が消え、変わってその場に現れたのは、ルシアス・ファナード。
レコーダーである。
その形相は憤激に歪んでいる。
レコーダーは、それまでにない怒りでもって、全身に力を溜め始めた。
レアムは危険を感じ、雷光槍を構えなおすとレコーダーに先んじて攻撃を仕掛けた。レコーダーの暴発を防ぐためである。先ほどの雷光の一撃よりは幾分加減をしたが、それが思わぬ隙を作った。
ライオネルたちの目の前で、レアムはレコーダーに打ち負かされた。
レコーダーはその場から指先一つ動かすことなく、レアムに強烈な魔力の波動を叩き付ける。礼拝堂の内部は一瞬で瓦礫の山と化した。
レアムの姿はその瓦礫と土煙の中に見えなくなり、ハルピナは堪らずレコーダーに悲痛な叫びを上げた。
「やめて! ここで術を使っては、大聖殿にまで及びます! 貴方は破壊者ではないでしょう!」
レコーダーは、その声に我に返ったように怒りを鎮めた。
振り返ってハルピナを見、彼女の美しい姿に目を細める。
「……その通りだ、お嬢さん」
レコーダーは、彼の特徴でもある帽子のつばに手をやり、会釈するような仕草をハルピナに向けた。
そして、そのまま空に消え入った。
「……消えた」
ライオネルが、見たままの事柄を口にする。
ハルピナも驚き呆然としたが、すぐに思い出してレアムの身を案じて瓦礫に駆け寄る。
恐ろしい力で積み上がっていた卓や床板の部品が、がらがらと崩れて倒れてきた。果たしてレアムは、その向こう側から姿を現した。
咄嗟に瓦礫で盾を作り上げていたのである。
しかし魔力の直撃を受けて、その場でよろめいた。
「レアム!」
ライオネルも、ハルピナに続いて駆け寄り、両側からこれを支えた。
「何があった……なぜ、レコーダーが」
ライオネルもまたレコーダーと面識があった。
問われたレアムにも、レコーダーの行動は理解出来ない。
おそらく誰にも予測できないだろう。レコーダーの性格は破天荒そのものである。
ライオネルとハルピナは、まずはレアムを壊れていない長椅子に掛けさせた。
レアムはほとんど外傷がないにも関わらず、魔力による深いダメージを受けていた。最強と呼ばれたガーディアンをもってしても、レコーダーの力は強大だった。
ライオネルは、改めてレアムに問う。
「今の話……」
レアムは黙って視線だけライオネルに向ける。
「あの時の、ノア族の少年のことか?」
ハルピナもそれには同じ気持ちだった。
「……レアム、お前とサドル・ノア族との関わりは知っているが、一度、この件は正したいと思っていた。彼は何者だ」
ライオネルは、床に転がっていた長椅子を蹴り起こし、そこに腰を下ろした。
ハルピナはレアムの横に座って、彼を支えた。
「あの時はあれでいいと思って何も訊かなかったが――」
「あの少年を避ける理由はなんだ?」
レアムはようやく口を開く。
「……必要が、ないからだ」