十三ノ七、襲撃
レミオール大拝殿。
レミオールはいつもと変わらず、霧にけぶる。巨大な石の集合体は水の上に浮いているかのようだ。
ここには、戦の匂いがほとんど感じられない。
実感できることといえば、長く続いた封鎖のため、サドル・ムレス側からの巡礼が入国出来なくなって久しいことだ。
聖レミオール市国内の宿坊も六割方しか稼動していなかったが、ドロワ市との交流が回復することが知らされると、にわかに人々が動き出した。
大聖殿内には幾つもの礼拝堂がある。
こちらも今までは閉ざされていたが、改めて封が解かれ窓が開かれた。
白壁が陽の光に輝く様は、清清しい。
聖殿内を行き来する人々の隙間を縫って、レアム・レアドが、ふらりと姿を見せた。
二年前に突然レミオールに現れて以来、表立って祈りを捧げていなかったレアムだが、この所よくこういった場所に現れるようになっている。
レアムはただ祭壇の前で黙祷するだけであったが、人はその姿にも冒し難いものを感じて遠巻きに見るのみだ。
その日も、レアムは祭壇の前に現れた。誰となく憚り、礼拝堂から人気がなくなる。
レアムは一人、窓際の一席に落ち着くと、古びた卓に両肘をつき、頭を垂れた。祈りの手を組むわけでもなく、ただ俯いて瞼を閉じる。赤い髪が幾筋も卓の上に流れた。
そのまま、しばらく時が流れる。
同じ頃、ライオネルがレアムを探して聖殿内を移動していた。
途中ハルピアに会い、レアムが礼拝堂に居ると聞く。
「お急ぎの用ですか?」
オペレーターであるハルピアは、ライオネルに暗に祈りの邪魔をするなと言う。ライオネルはそれに関してはあまり頓着しなかった。
「兄上から随分と大きな荷が届くことになってね。レアムの手を借りないと、どうにもならないんだよ」
「ライオネル!」
ハルピアは、ライオネルに追い付き、並んで歩く格好になる。
「ライオネル。あなたは――」
ハルピアはライオネルに何事か言おうとしたが、ライオネルは片手で制した。
「……君は時々自制心がない。オペレーターは冷静でなければ」
「私が?」
ハルピアは、口調も物腰もいつものままだ。精巧な機械のように務め、人形のように端麗である。しかしライオネルは、ハルピアに対しては微かな不安感を抱いている。
(彼女は……共に図るに足りないかもな)
「君は、レアムのこととなると化けの皮が剥がれる」
「――っ!」
ハルピアは胸を突かれて口を閉じた。その隙にライオネルは礼拝堂へと急ぐ。
レアムが一人、黙祷を捧げていると。
その背後に、初老の男が入室してきた。他には誰も居ない。
祭祀官の装束を纏ったその男は、レアムに対してひそりと問う。
「貴方がエルシオンに祈りを捧げるとは……何かの兆しでしょうか?」
レアムが無言のまま顔を上げると、その男は言葉を続けた。
「……ここにいると、気が休まる。余計なことも考えずに済みましょう」
「レアム・レアドともあろうお人が、何を怯えているのでしょうなぁ」
「……」
レアムは男を見、何事か気付いて目を見開く。
紫色の瞳が一層鮮やかさを増す。
男は構わず、言葉を続けた。
「……あの、子供?」
「貴方が砂漠の町で手にした……歓迎されざる子供」
レアムは卓から立ち上がった。
男に向き直り、その姿を注視する。
目の前にいるのは、囚われ人として隔離されているはずのオルドラン・グースだ。誰の目にもそう見える。だがレアムは、目の前の男にオルドラン・グースにはない気配を感じ取っている。
そのオルドラン・グースは、レアムの様子など無視して言葉を続ける。
「タイレス族には、かつてのガーディアンを詠う詩があります……」
オルドラン・グースは、昔語りの一説を口にする。
『その人は言う。子供を捜している……天宮に仕えるに相応しい力を持つ子供。ガーディアンたる私に……子を預けようという親があるなら、ここへ呼んで欲しい』
「……」
「しかし、真実はこう……」
オルドラン・グースは、レアムの内面を伺うかのように、ゆっくりと語る。
『預けられたのは孤児。旅先で死んだ女が連れていた……金の目、生まれ付いてガーディアンの素質を持つ子は、加護を失いしニ親から生まれた……。魂を吸われそうなほどの力を感じる。戒めを破りし子は、私の手に余るのでは?』
レアムの緊張が高まった。
オルドラン・グースの言葉は、たおやかでありながら隠されてきた真実を抉る。レアムはにわかに殺気立ち、その先のオルドラン・グースの言葉を遮ろうとした。
『いいだろう……ではこの子をガーディアンとして育てよう。みな、異存はないものとする……私、ガーディアン、レアム・レアドの名に置いて……』
「――黙れっ!」
突然。
レアムが一喝と共に片手を払い、雷が空を走るとオルドラン・グースを直撃した。
礼拝堂の中は一瞬白くなり、強い陰を作る。壁が破壊され、その破片が辺りに巻き散る。その衝撃は振動となって回廊を揺らした。
礼拝堂に向かっていたライオネルとハルピアは、その轟音に身を屈め、互いの顔を見る。
「今のは……雷光槍?」
音はそれきり止んだが、事の主がレアムであることは明らかだ。
それも異常事態である。レアム・レアドが大聖殿内で、このような行動を起こしたのは初めてのこと。
二人はそれまでの口論を忘れ、礼拝堂へと駆けだした。
礼拝堂の中は、破壊された白壁が土煙となって視界をふさいでいた。
白いもやの中で、オルドラン・グースだった影はなおもその場に立ち続けている。
これは、オルドラン氏本人には有り得ないことだ。
その影は、もやの中で今度は女の美しい声でレアムに語りだした。