十三ノ一、忠誠
第一部 ドロワ
十三、対話
レニの脳裏に、はるかノルド・ブロスにいる皇太子、タナトス・アルヘイトの姿がよぎる。同じ龍人族であるレニは、タナトスを直接見たことがある。
柔和な見た目と裏腹に、端正な顔立ちには仮面のような冷たさがあった。
相手を看破する紫の瞳を前にして、惹き付けられるように目が離せなくなるその感覚を、子供だったレニは恐ろしいとしか感じなかった。
イシュマイルがタナトスに似ているというのではない。
ただその奥底で同じ感覚を知っている、と感じた。
反皇帝派であるレニだが、カーマイン・アルヘイトにだけは一目置いていた。
典型的な龍人族の英雄の姿を持つカーマインに対し、彼が皇帝になるならば帝政も悪くないと思ったことすらある。
若い龍人族にはカーマインに憧れる者も少なくないのだ。
そのカーマインが、何を置いても忠誠を誓うのが、異母兄タナトス・アルヘイトである。レニには、あのカーマインが何故そこまでタナトスなぞに心服するのか、ずっと解けない謎だった。
(……こういう感情か)
レニの長年の謎は、あっさりと氷解した。
金色の髪と瞳が夕陽を照り返す様を見ながらレニは、タナトスの中に見た仄暗い煌きを思い出す。僅かに覗けたタナトスの内面。深くに見える、ゆれる水面。
暗い水面が漣みながら暉を返すような心の景色は、理解できないながらもレニの心に強い印象を残した。
今のイシュマイルとは、真逆の存在かもしれない。
だがレニには、カーマインが受けたであろうその呪縛を、理解することが出来た。
龍人族にはその思慮深さからは想像出来ない突発的な冒険、探究心、盲目な一面がある。レニは今、長く遊離していた魂のありようを見出した気持ちだった。
レニは突然、イシュマイルの前で姿勢を直し、片膝をついて頭を下げた。貴族や騎士が献身を示す時の姿勢に似ている。
当のイシュマイルも、傍らで見ていたバーツもこれには驚いた。
レニは事の前に、バーツを牽制して黙らせる。
「龍人族には、絶対忠誠の矜持があるんだよ」
下がってろ、とバーツを威嚇すると、改めてイシュマイルに礼を示した。
レニは言葉使いを正して、言う。
「オレは、お前に従うことにした。お前がレアム・レアドと戦うつもりなら、俺は挺身してお前に尽くそう」
そしてレニは、もう一度頭を下げる。
「同行させてくれ」
バーツは無言でこのやり取りを見聞きし、ただ一人の儀式の立会人となった。
龍人族にとって絆は最も重要であり、特に至誠を捧げられる相手を得ることは羨望して止まないことの一つだ。
レニは自身の実体験を通し、カーマインの心情を追体験した。
バーツは予想外の成り行きに困惑しつつも、苦笑いでその場を済ませた。
「レニがイシュマイルにつくこと、つまり……龍が味方についた、か」
バーツは陽の傾きだした空に視線を流す。
レニが頭を上げて、一言付け足した。
「お前はオレの竜化の術をまやかしだと見破ったが、そうでないのも居る」
レニは出来れば敵対したくはないと思っていたその人物の名を口にした。
「カーマイン・アルヘイト。奴の術は本物だ」
「奴は……本物の龍なんだ」
唐突にカーマインの名を聞いても、イシュマイルにもわからないことだった。
しかしレニの頭の中では一連の流れを成している。イシュマイルの味方に付くということは、カーマインを向こうに回すことになるかも知れない、と。
レニはその胸中に、それまでの無鉄砲さを戒めるズシリとした塊を感じていた。
その頃。
アーカンスは一人、遊撃隊から離れて行動していた。
全くの個人的な行動で、隊員にもバーツにもその真意は語っていない。ただ何かあれば本隊に戻れ、とのみ隊員に言い聞かせていた。
アーカンスは一切の武装を解き、竜馬も連れずに村の中を歩いていく。
着いた先はヘイスティングが静養している小屋の前である。
戸口に三人の騎士が張り付いており、そのうち一人はネヒストであった。
当然のように、アーカンスは行く手を阻まれた。
「釈明をさせて欲しい。この一件、今正しておかなければドロワもファーナムも、都市連合全てに伝播してしまう」
アーカンスは一人、白騎士団との話し合いに来ていた。
この感情的なもつれを解決するためには、個人として動くほうがいいと考えているからだ。そしてその突破口となるのが、ヘイスティングの存在だと考える。
問題は、小屋の中に居るだろうヘイスティングに会って話し合えるかどうか、ということだ。
アーカンスの交渉にネヒストは沈黙を守り、残る二人が感情的に言い返した。
「駄目だ」とのみ繰り替えす彼らの感情に、アーカンスは自分が理屈で応対していることに気付く。
アーカンスは切り口を変えた。
「では、ドロワやファーナムの騎士ではなく、私個人として」
「あなた方が感情で来るなら、こちらも感情でお返しする。友人……と言い切れるかわからないが、彼の立場を理解した上で個人的に話したい」
これには相手も困惑し、それまで無言だったネヒストが口を開いた。
「御自分の立場をわかっておられるのか?」
「わかっているからこそ」
「我々の衝突が、ドロワとファーナム、都市同士の亀裂となってはならない。みすみすライオネルの手に乗ってサドル・ムレスを崩壊させてはならない」
アーカンスは、ネヒストにはもう一度理屈で説得に当たった。
「いずれファーナムはライオネルに再戦する。あの龍人族もいるだろうが、ドロワ騎士にも共に戦う味方であってほしい」
「共に戦うとな?」
「あの龍人族は帝国の反乱分子、帝国も一枚岩ではないということだ」
「つまり?」
「我らにはその逆ができる。そしてそのチャンスが今しかないと、私は思っている」
その時、小屋の中から別の騎士が顔を出した。
外の騎士に何事かと問いただしている間に、アーカンスはネヒストに理屈を浴びせかけた。曰く、カイント評議員のことは直前まで知らなかったことと、カイントが今のファーナムの均衡を取り持つ大切な人物であること、などだ。
ネヒストは黙って聞いていたが、素朴な質問をアーカンスに返した。
――本当にヘイスティングの友人なのか? と。
その質問にはアーカンスも、明確な答えは出せない。
「友人……と言い切れるかはわからない。彼の立場も理解しているつもりだ。けれど、だからこそ一人の人間として対話すべきだ」
アーカンスは同じ言葉を繰り返した。
「騎士団は集団だ。大勢の中の一人となるのが組織の力だろう。だが今日のように流れに任せて間違った衝突を避けられないなら」
「双方を繋ぐのは個人の、一人一人の手の結びつきだろう」
ネヒストはわずかに表情を変えた。
「ドロワ騎士とファーナム騎士が相容れないのはわかる。しかし」
「ガレアン殿とは数える程度会ったきりで、さほど言葉も交わしていない。だが私が今、ドロワとファーナム双方のためにその手を求めるとしたら、彼、ガレアン殿だ」
アーカンスの語気が強くなる。
「誰よりも何よりも、ドロワ市を守ることを優先できる騎士だと……私は感じた」
「……」
ネヒストは完全に押し黙ってしまったが、そこへ中から騎士が出てきてアーカンスを通すべきか、ネヒストにも承諾を求めた。
ネヒストはその騎士を見、ヘイスティングの意思だと理解すると頷いた。
アーカンスは小屋に入ることを許された。
扉をくぐる際に、もう一度振り向いてネヒストの顔を見る。
(この男も……出来た人物のようだ)
ネヒストはなおも無言でいる。