十一ノ七、軋轢
レアム・レアドの昔の名、本名は名と姓の間にその一族の称号を持つ。
称号を伝える生粋の龍人族は今では数少なく、アスハールの姓もレヒトの大災厄を境に消滅したとされている。
レニは、その血脈を伝える希少な龍人族でもある。
タイレス族の貴族などにも称号を持つ一族はいるが、ほとんどは省略されるか、使われなくなっている。「何々公」とか「誰某卿」等と呼び替えられ、公式の文書以外では別記されることが多い。
タイレス族風に言うなら、レアム・レアドの本名は『レアム・アスハール』となるだろう。
カイント評議員は言う。
「龍人族の中にはアルヘイト家やアステア家などの皇帝派に対し、叛意を抱く者が少ながらず存在する。アストラダの一族もその一つだ。……レニ君は、その先鋒として我らに協力してくれる」
レニは、反皇帝派の援助を受けて、密かにサドル・ムレス領内に潜り込んだのだという。
レニはカイント評議員の説明を他人事のように聞き、退屈そうに言う。
「まぁいいさ。龍人族の……アスハールの名を捨てた野郎なんかに好き勝手させとく気はないからな。いい機会だ」
(龍人族……アスハール……)
イシュマイルの頭の中で、その言葉は早鐘のように響いた。
一通りレニの紹介を終えると、カイント評議員は思い出したようにバーツに問うた。
「時にバーツ。ドロワ近郊は安全だと聞いていたが、よもや月魔が出るとはな」
「それは、こちらがお伺いしたいところですが」
先に月魔のことを口にしたカイントに対し、バーツも挑発的に返す。
「評議員は何故護衛もなくお一人でドロワに?」
カイントは顎鬚を撫で付ける仕草で答える。
「私か? 今回のことは極秘の行動でな。道中は馴染みの隊商と共に来たのだ。それに、ドロワ市に入れば古い友人がいることだし、到着後はそちらに合流した」
「……第四騎士団とご一緒だったのでは?」
バーツのストレートな問いに、傍らのイシュマイルの方が驚いた。
「第四騎士団?」
カイントは特に驚く様子は無い。
「まさか。私は極力、神聖派とは接触を持たないようにしている。連中と組している第四騎士団など、近づくこともない」
「確かに……」
カイント評議員は中立派である。
バーツもそれを思い出し、納得したように頷いた。
「バーツ。私に何を訊きたいのだ?」
「いえ、ご来訪あまりに唐突であった上に、あの月魔騒動……何かとキナ臭いものを感じたものでね」
バーツの言葉は尚もひっかけを含んでいたが、カイントはそれにも気付かず答えを返した。
「私を狙った何者かがいるというのか? レニ君の件は外部には洩れていないはずだ」
カイントはこういった駆け引きは得意ではない。
(本当に知らない様子だな)
バーツもとりあえず、これ以上の詮索をやめた。
しかし立て続けて問われたカイントは、少なからず機嫌を損ねたらしい。バーツに詰問し始めた。
「バーツ、訊きたいことがあるのは私の方なのだがな」
バーツは黙ってカイントを見る。
「第三騎士団はドヴァン砦で壊滅したとのことだが、遊撃隊が無事なのはどういうことかね」
バーツは反論する。
「壊滅はしておりません。それに遊撃隊の損害が比較的軽微だったのは、伝達の不手際で出撃命令が遅れたからです。遊撃隊が砦に到着した時には、すでにレアム・レアドが出現した後でした」
バーツは評議会に対する嫌味を多分に含めたが、カイントはそれにも気付かないようだ。
カイント評議員は困り顔で低く唸り、室内をウロウロと歩く。
「ふぅむ……事情はどうあれ、戦場に遅延。おまけに許可なくイーステンの森に立ち入り、ノア族と接触したね?」
「全て任務上の判断です」
「その少年がノア族とやらかっ? どこからどう見てもタイレス族だ!」
カイント評議員は声を高くし、近くの棚を強く叩いた。イシュマイルはその音にびくりとする。
カイント評議員は、バーツを厳しく叱責した。
「いいかね、バーツ。大都ファーナムで上手く立ち回りたいなら、評議会に睨まれんことだ。君は特に期待されてガーディアンに推挙されたのだ。それを裏切り、悪しき前例とならぬよう、注意深く行動してくれたまえ」
バーツとイシュマイル、そしてレニはそれぞれ無言のままだ。
悪しき前例。
その言葉の裏には、ハロルド・バスク=カッドの影が見え隠れする。
「……ったく、オフクロより口うるせぇぜ」
カイント評議員から解放されて、庭に出るなりバーツはそう声に出した。
肩が凝ったのか首を回して腕を伸ばす。
陽の傾いたドロワ城の中は、所々に灯りがある他は人の気配があまりない。石壁の影が黒く映り、昼間とはまるで景色が違って見える。
イシュマイルが小声で問う。
「ねぇ、バーツ。僕のせい?」
「あ?」
「ノア族のこと……。僕が一緒にいると悪目立ちするんじゃあ?」
イシュマイルは不安そうに訊くが、バーツは笑っている。
「それとこれとは別モンさ。目に見える成果が出せないうちは、小言を聞くのも仕事の一つ、てな」
「――あれは、あのお人なりの忠告なんだよ」
「う、うん……」
イシュマイルは何とか頷いたが、バーツはもう別のことを考えている。
「しかし……龍人族とはな。ノルド・ブロスの軍勢に、ノルド・ブロスの民をぶつけようとは」
ファーナムの新たな手札に、バーツも困惑を隠せない。
イシュマイルが、ぽつりという。
「……レムに、似てた」
「……」
バーツが気付いて振り向くと、イシュマイルはいつになく沈んだ顔をしている。
「同族だって言ってたね」
バーツは気を逸らそうとしたのか、歩きながら話しだした。
「龍人族ってのは、ノルド・ブロスの山岳地方にのみ居る種族でな。ノルド・ブロスの民には多かれ少なかれ龍人族の血が入ってる」
イシュマイルは、顔を上げてバーツを見る。
「とにかく保守的で閉鎖的……。今まで表に出てきたことはなかったんだけどな。奴らも考えを変えたのかも知れねぇなぁ」
イシュマイルは、タナトスを思い出す。ついでドヴァン砦で出会った龍人族と思われる人々の姿がよぎる。
「大人しそうに見えて、一度暴れ出すと本性を現す……好戦的な連中さ」
どの面影も、今のバーツの説明とは印象が違って感じる。
レニ以外は。
「あのレニって人、バーツのことずっと睨んでたよ」
「あー……大方勝負でもしたいんだろ? そういう目だった」
バーツは軽く言ったが、本当に勝負をしたら手を焼くに違いないとも思う。レニはまさに血気盛ん、という印象だ。
「……よくあることさ」
バーツはかつての自分を見る心境で、苦笑した。