一ノ九、アーカンス
イシュマイルとギムトロスが広場の家屋へとやってくると、アーカンスが窓の前に立っていた。アーカンスは二人に気付いて視線を向ける。
「おや、イシュマイル君。おはよう」
アーカンスはイシュマイルの顔を見、怪訝そうに首をかしげた。
「あまり、顔色が良くないね?」
「お早う……ございます。あの?」
窓穴から、白い光が外に漏れていた。
「あぁ、隊長がね。族長殿の傷を治しているのだよ」
「ダルデの?」
イシュマイルは細い窓穴の一つから中を覗いた。
ちょうど白い光が鎮まっていくところで、室内はたちまち暗くなって外からは見えにくくなってしまう。
アーカンスが、イシュマイルの背に声をかける。
「レアム・レアドも、同じ術を使えたのだろう?」
「え?」
目を凝らして中を覗いていたイシュマイルは、アーカンスの問いをよく聞いていなかった。
「あぁ、ここではレムだったか」
アーカンスはイシュマイルが答える前に、自分の問いを修正した。
「あれは、ガーディアンが使えるという、癒しの術だ」
「自らの魂の力を削り、分け与えるのだそうだ」
「魂?」
アーカンスの知識は都の神学校で得たものと、バーツから聞いた大雑把な説明が元になっている。
アーカンスは、空を指差して言う。
「君は、天空にあるというエルシオンを知っているかい?」
「……うん。あ、いえ、はい」
イシュマイルは子供のように頷いた後、もう一度肯定した。
「天盤宮エルシオンは神々の城で、太陽の中にあり、我々人が辿り着くことが出来ない場所と言われる。けれど選ばれた戦士のみが、守護者として昇ることが出来るのだとか」
「――それが、ガーディアンだ」
アーカンスは説明しながら、窓穴の向こうに視線を流した。
「彼らには時と、命と、力が与えられる。たとえばバーツ隊長は」
「若く見えるけど、私よりずっと年上なんだ」
イシュマイルはアーカンスの顔を見上げた。
アーカンスの年齢は、タイレス族の暦で言えば二十代中頃といったところだろう。
「術で消費したエネルギーは、エルシオンでのみ回復できるのだと聞いた。つまりガーディアンは命の量を足したり引いたり出来るわけだね」
イシュマイルは黙って聞いている。
「ガーディアンが不老長寿だといわれるのは、そういうシステムのせいなんだって」
「……じゃあ。レムは」
アーカンスは窓から離れ、話しを続ける。
「あの術のこと、秘密にしていたそうだね」
「うん。僕と、ダルデしか知らないと思う。よっぽどの時にしか使わなかったよ」
ずっと傍で聞いていたギムトロスは、一人肩をすくめた。
事実、全く気付いていなかった。
「多分、力をセーブしてたんじゃないのかな。村での生活を聞くと、レアム・レアドは十五年以上エルシオンに戻っていないことになる。単純に考えれば、術の乱用は不老長寿のガーディアンをしても命を削るから……という所だけど」
「これは私の憶測だけれど、君のためじゃないかな?」
「え?」
「君の傍にいて、共に時を過ごすために……エルシオンには戻らなかった」
「……私は、そう解釈したいのだよ」
そしてアーカンスは、イシュマイルに柔和な笑みを向けた。
「あのレアム・レアドにも、人間らしい一面がちゃんとあった……ってね」
「……」
イシュマイルは不思議な気分でアーカンスを見ていた。
思えば昨日森で出会ってから、アーカンスの笑顔というものを見たのはこれが初めてかも知れない。
おかしな話だが、目の前にいるのが自分と同じ人間なのだということを、イシュマイルは唐突に理解した。
ダルデの治療を終えたバーツが、家屋から出てきた。
アーカンスは向き直り、背筋を伸ばすと報告した。
「全員準備整いました。出発できます」
「おう……」
バーツはやはり少し疲れている。
「バーツ」
遠慮がちに声をかけたイシュマイルに、バーツは笑みを作って答えた。
「おう、道案内は任せたぜ」
「道案内?」
イシュマイルの後ろにいたギムトロスが代わって答える。
「お前はバーツ殿たちに雇われたガイドということになっておる。軍隊と一般人は一緒行動できないからな」
「僕が、ガイド?」
イシュマイルは苦笑いするしかない。
イシュマイルが知っているのは近郊の森の中だけで、目的地だというドロワの街には行ったすらないのだ。
「あー、それにしても――」
バーツが大げさに言いながら自分の肩を回す。
「慣れねぇ術でくたくただぜ。休んでから行きてぇよ」
「ははは、御疲れ様です」
バーツの泣き言を、アーカンスはさらりと聞き流した。
「しかし、あのじいさん」
バーツは歩きながら言う。
「怪我は二年前のものばかりじゃなかったな。体中古傷だらけだった」
「……ノアの民は、みな屈強な戦士だそうですからね」
村の入り口では、すでに出立の支度を済ませた遊撃隊が竜馬に騎乗し、整列していた。
バーツたちも合流し、イシュマイルもその中にあった。
森の入り口近くまではギムトロスが送ることになっている。
遊撃隊の二十四人の他、イシュマイルとギムトロスもそれぞれ竜馬を借り受けて騎乗していた。
遠目に村人がこちらを見ていたが、彼らは労働の手を休めることはなく日常のままだ。
そのまま遊撃隊一行も村を離れた。
最初は獣道を一列に、やがて森の遺跡を抜けると二列になって竜馬を進めた。 ノア族とは和解したものの、ここはまだ野生の生き物の領分であることに変わりは無い。
もと来た獣道を戻りながら、ギムトロスがバーツに話しかけた。
「時に、バーツ殿はノア族の出自とみたが?」
初対面では尋ねられなかったことを、打ち解けた今なら気軽に訊ける。
「あぁ。オヴェス・ノアの出だよ」
興味がない、と言った口調でバーツが答えた。
そして付け足す。
「もっとも、俺が生まれたのはファーナムだけどな」
「ほう、オヴェスか」
ギムトロスは興味があるようだった。
「知ってるの?」
イシュマイルは慣れない竜馬に揺れながら訊く。
アーカンスが答えた。
「オヴェス・ノアとは、オヴェス聖殿とその周囲にあるタイレス族の町、そしてノア族の村を併せてそう呼ぶんだ。国境を跨いでいるし外港もあるから他国の商人も多く行き来する。ノア族とタイレス族の交易も盛んな街だ」
「……ノア族の村、なんでしょ?」
イシュマイルは珍しそうに問い返す。
「そうだよ。ノア族の村は、全部で三つ地図に載っている。そのうち二つがこの国にあることになるね」
「オヴェス・ノアって遠い?」
「北の国、ウエス・トール王国との境だからね。ここは南の端だから――」
「思い出した!」
突然ギムトロスが大声を上げた。
繰り返すが、森で活動するギムトロスは声が大きい。
バーツが何事かと振り返る。
ギムトロスが珍しく興奮気味に声を上げた。
「一つ大事なことを思い出したよ。レムが、イシュマイルを預かったのはそのウエス・トールのどこかだという話しだったぞ」
一同は驚くと同時に怪訝そうにギムトロスを見た。
「預かった?」とバーツ。
「ウエス……トール?」とイシュマイル。
「ありえませんね」とアーカンス。
アーカンスが呆れ声で続ける。
「なぜ今急に思い出すんです。第一、遠すぎるでしょう?」
指摘されてギムトロスはきまり悪そうに答える。
「それよ。俺もそのせいで本気にしなかったのだよ。誰が聞いたって赤ん坊を連れて移動できる距離じゃないからな」
バーツが横から問う。
「レアム・レアドがそう言ったのか」
「うむ……。あの時は信じなかったが」
ギムトロスは古い記憶を遡ろうとしたが、それ以外に特に思い出せることがない。
けれどバーツはしばし考え、独り言のように呟いた。
「……確かに、奴なら可能だな。大陸の端から端までも短時間で移動できたはずだ」
同じガーディアンであるバーツはその方法は知っていたが、あくまで知識の上でのことだ。話を聞いても実感することはできなかった。
「奴なら? それはどういう――」
バーツに問おうとしたアーカンスの声は、ギムトロスの大声に掻き消された。
「イシュマイル! どうせなら大陸一週するくらいの気分で行って来い。他のノア族に出会ったら宜しく伝えてくれ!」
「……むちゃくちゃだよ、ギムトロス」
行き先は目と鼻の先のドロワの街なのである。