第990話 神の愛する子たち
世界の神であるフジがなんと言おうと最悪の未来を回避する方法を探す。
もし断られても自分たちだけで探し続ける。
いつか世界が終わるとしても、少しでも良い結果を目指したい気持ちは仲間たち全員が持っていると伊織は確信していた。
それは伊織本人もであり、つまりはシェミリザの意思を継ぐということだけが行動原理ではない。
そんな気持ちを目一杯込めて想いを伝え、視線を逸らさない伊織にフジは困ったような笑みを浮かべた。
「やれやれ、闇の神なら愚か者と一喝して追い返してるところだ。――わかった、わかったよ。どうにかして後悔の少ない死に方を出来るよう一緒に模索しよう」
「……! はいっ!」
「あぁもう良い返事だなぁ、立派に育った子供を見るのってこんな感じか?」
ほんと立派立派、などと言いながらフジはヨーシヨシヨシと伊織を撫で回した。
馬鹿にしているのではなく本気なところが怖いなと思いながら伊織はなすがままになる。
「しかし私の中で生きている者なら当たり前かもしれないが、ここまでしてもらえるなんてね。不思議な感覚だ」
「あの、……僕たちと異なるやり方だったけれど、僕よりずっと長くあなたを想って心配していた人がいました」
伊織はシェミリザの姿を思い浮かべて言う。
とても長い間、最悪の未来を回避しようともがき苦しみ、その末に世界と心中することでまだ幸せなうちに幕を引こうとしたシェミリザ。
最後にはヒトの身から魔獣へと堕ち、世界中の人々を敵に回してでもひとりでやり遂げようとした。
見ようによっては自己中心的で悪辣な者であり、そして見ようによっては嘆きと悲しみで彩られながらも――シェミリザもまた、救世主だったのだ。
それを伝えるとフジは少しばかり辛そうな顔をした。
「あの子のことはある程度は把握していたよ。夢経由の情報は曖昧であまり信憑性がないんだが……よく悪夢を見ていたね。私が腐り死ぬ夢だ。才能も咲き方によっては毒花になる」
苦しませないようにしてあげたかったけれど、手出しはできなかった。
そう言いながらフジは自分の手元を見下ろす。
「フジさんは姉さんのことも……」
「もちろん、我が子のように愛おしく思っているさ」
「……あなたを殺そうとしたのに?」
「死後であれ彼女に報われてほしくて訊ねているのかな? そう、私を殺そうとしたとしても、この気持ちに変化はない。これで変わるのならば初めから愛しいと思いもしないよ」
ただ、とフジは眉を下げたまま口を開いた。
「馬鹿なことをしたなぁとは思う。あの子は世界の行く末や自分の未来を憂いたというより、私を想って嘆き苦しんだんだ。すべて忘れる選択肢もあっただろうに……私に還ることすら出来なくなってしまった」
それは子に先立たれた親のような表情だった。
伊織はしばらく言葉を失っていたが、無言でいる間にも心の中でシェミリザを呼び、世界の神は本当にあなたのことも心から愛していたと小さく伝える。
自己満足だろうと伝えずにはいられなかった。
フジがゆっくりと顔を上げる。
「大雑把だけれどナレッジメカニクスのことも知っているよ」
「! せっかく転生させた救世主が、その」
あんなことをしても怒りはなかったのか。
伊織はそう訊ねるべきか迷った。
シェミリザは完全にこの世界の住人だ。しかしオルバートは、藤石織人はフジが呼び込んだ救世主である。
フジは伊織のことはすでに我が子同然に思っているようだったが、オルバートのことはどうなのか気にはなるものの、訊ねる勇気が出なかった。
なにせ、この後に問おうと思っていたことが『世界の穴の向こうへ消えたオルバートとバルドを救う手立てはないか』という事柄だったのである。
もしフジにオルバートたちへの悪感情があるなら協力は見込めなくなるだろう。
伊織は押し黙ったものの、ここでは意図を口にせずともフジに伝わるもの。
フジは今までのように相手から言うようには促さず、ゆっくりと伊織から手を離すと――突然頭を下げた。
世界の神に頭を下げられた。
そう理解した伊織は数秒遅れてぎょっとするとアタフタしながらフジの肩を掴む。
「と、突然どうしました!? 頭を上げてください……!」
「ヒトへの謝罪はこれが一番伝わりやすいと思ってね、――すまなかった。君たち親子に関しては様々なことが裏目に出てしまったんだ」
「……え、っと、父さんのこと、恨んでないんですか?」
想像とは異なるどころではない。なぜか逆に謝罪されてしまった。
もしフジがオルバートたちを恨んでいるなら、伊織は自分が代表して謝ろうと考えていたのだ。
そう伊織は面食らいながらも問う。先ほどは喉から一文字も出てくれなかったというのに、今はスムーズに言葉を紡ぐことができた。
フジは「困ったことになったとは思ったが恨んではいないよ」と頷く。
「むしろこういうのは身から出た錆と言うのではないかな」
「そ、そうでしょうか……」
そうだよと何度も頷きながらフジは向かいの席へと戻り、そして伊織の左右にこの場にはいないはずの静夏と織人を見るようにして視線を動かした。
「じつは君らの転生が最後の予定だったんだ。余力的にね。ちょうど同時にふたりも適合者が現れて、今度こそと意気込んだ。――けど君たちはかつて転生させた男の家族だった」
「あれは……やっぱりわざとじゃなかったんですね」
「狙ってはいないよ、そもそも転生に適した魂は限られるから、簡単に狙えるようなものじゃない。……魂にも入るのに適した肉体がそれぞれあるんだ、私のように」
フジは伊織を見ながら言葉を続ける。
「とても低い確率だが、君の父と母は適合者同士で結婚した。その血を受け継いだ君も適合者である確率は……わかるね? その通りになったわけだ」
「……」
「酷いことをしたと思うよ。私に生殖欲はないが、ヒトの家族に対する感情は学習して学んだ。そんな家族を全員手駒として――己のワクチンとして利用したんだから。だから」
ここで訊ねるべきは私が彼を恨んでいるかではない。
むしろ逆であり、彼が私を恨んでいないか問うべきだ。
そう言いながらフジは心配げに微笑んだ。
「愛しているが、君たち救世主を手駒として扱ったことは事実なんだからね」





