第97話 伊織の憧れ
「バイクを使うなら、窓を突き破って一旦外に出ても良かったんじゃないか?」
移動しながらサルサムにそう問われ、たしかに、と笑いながら伊織は答えた。
「見つかったからには撹乱しなきゃと思って――っていうのは建前で、ビームの威力も強かったし、ここで倒しておかないと母さんたちが困ると思ったんです」
「ああ、そういうことか」
「外に出て追ってくるとも限りませんしね」
それだけでなく、倒してから気がついたが広い屋外で戦うより狭い室内、そして進行方向が限られる廊下で戦ったほうがやりやすい敵だった。
戦闘におけるこういったメリットやデメリットを偶然ではなく意識して考えられるようになりたいな、と伊織は今回の経験をしっかりと記憶した。
対策を考えた上で動けるようになれば静夏への負担も減らすことができるだろう。
そしてなにかと肉体的に無理をしがちなヨルシャミへの負担も。
どこまで活かせるかはわからないが、すべての経験は伊織にとってかけがえのない財産だ。
未だに足手纏いになっているという感覚は強いが、それでもまだ前に進める。
そう伊織が考えていると、自分の名前を呼ぶ声が耳に届いた。
「おーい、イオリー!」
「ミュゲイラさん!」
廊下の向こうから大股で走ってくるミュゲイラの姿を見つけ、伊織は肩を傷めていない方の腕を振る。
ミュゲイラは「迷わず見つけられてよかった!」と四人の前で足を止めるも、バルドの姿を見ると思わず威嚇体勢になった。まるで野生動物だ。
仲間として同行することになってもまだ不信感が残っているらしい。
そんなミュゲイラの様子を見てバルドが明るく笑った。
「あー、安心しろ。さすがに敵地の真っただ中で口説いたりしねぇよ」
「ほ、ほんとかぁ……?」
別行動中にリータに変なことしてないだろうな、とミュゲイラは半眼になったが、ハッとすると背中のヨルシャミを示した。
「とりあえず今は信じる。で、だ。ヨルシャミが気絶しちまったんだよ」
「! 大丈夫なのか? 凄い出血だが」
「魔法の負荷のせいらしい。今は寝てるだけっぽい」
そう言うとミュゲイラは例の球体や『地下で見つけたもの』についても含めて伊織たちに事の次第を話していく。
地下室の更に地下。
そしてそこに描かれていた、ヨルシャミにもわからない巨大な魔法陣。
あれだけ魔力を節約していたというのに突如現れた強力な警備システムの球体。
爆発音を頼りに走ったら伊織たちがいたこと。
ナレッジメカニクスの施設なら不確定要素が山ほど出てくることは予想していたが、それでも驚くものばかりだった。
聞き終えたサルサムは眉根を寄せる。
「……なるほど、その魔法陣は俺たちも実際に見ておきたいところだが」
「まだ警備システムの球体は残ってるんですよね」
サルサムの呟きに応えたリータが長い耳を下げた。
二十はいたという球体。
伊織たちは三体、ミュゲイラたちは十体破壊したが、少なくともまだ七体は残っていることになる。
どうやら球体は施設内を巡回し他の侵入者を探す索敵班と、既に見つけた侵入者を追う追跡班に分かれ、索敵班のうち三体が伊織たちを発見したということらしい。
「もしかして母さん側にも向かったんじゃ……?」
それにしてはシンとしているが、あちらは警備システムにとっては味方である研究員たちもいるため何体か手配されている可能性がある。
静夏ならば心配はいらないだろうが、念のため合流しようということになり、一行は私室エリアへと移動し始めた。
伊織たちの見つけたものについても合流してから細かく伝えようという話になる。
「……そういやイオリ。それ、怪我したのか?」
「え? ああ、はい、ちょっとだけ」
移動の最中、伊織の肩が真っ赤に染まっているのを見てミュゲイラが問い掛けた。
応急処置はしたが、衣服についた血の汚れは取れていないため未だに怪我を放置しているような気分になる。見た目ほど大袈裟な怪我じゃないですよ、と伊織は心配をかけないように言っておいた。
ミュゲイラはこれでもかと眉を下げる。
「マジで大丈夫なんだろうなー? お前が怪我したらマッシヴの姉御が悲しむから気をつけろよ。まぁあたしも心配だけどさ」
「すみません、ありがとうございます。――けど、その、相変わらずといえば相変わらずなんですけど、ヨルシャミも相当ですね……」
ミュゲイラに背負われたヨルシャミは目から鼻から口からと様々なところから出血しており、まるで大事故に遭った重傷患者のようだった。
いや、魔法の負荷によるダメージは十分重傷の部類だろう。
幸い出血は止まっているが、痛々しい姿を見ていると伊織はいてもたってもいられない気分になる。
「ニルヴァーレの魔石はあったけど、それでも無茶して相当負担がかかったみたいでさ。……あたしだって纏めてじゃなくて二、三体ずつなら相手にできたと思うんだけど、ヨルシャミが全部倒してくれたんだ」
「全部……」
「ヨルシャミは倒れちまった自分のことをお荷物っつってたけど、役立たずだったあたしの方がお荷物じゃね?」
複数を一気に相手できる力が欲しいなぁ、と悔し気に呟くミュゲイラを伊織は見上げる。
「ミュゲイラさんがいたからこそヨルシャミは無理できたんだと思いますよ。だからふたりともお荷物なんかじゃないです」
「でも――」
「悔しいなら母さんともっと手合わせして鍛えていけばいいんです、……えっと、こんなこと僕が簡単に口にするのは失礼かもしれませんけど……ミュゲイラさんは旅に出て確実に前より強くなってますもん」
だからこれからもきっと更に強くなれるはず。
伊織がそう言うとミュゲイラは歯を覗かせて笑った。
「イオリってやっぱ姉御の息子なんだなぁ……。ああいや、誰かを引き合いに出して褒めんのはなんか違うか」
「あっ、いえ、そう言ってもらえると嬉しいです。僕にとっても母さんは目標みたいなものなんで……!」
強い母。
その強さは肉体だけでなく精神にも表れている。
今のような健康的な筋肉を宿した肉体になる前の、病弱すぎて毎日『次の瞬間には容態が急変するかもしれない』と第三者が精神をすり減らすほど弱々しい肉体の時でさえ、静夏は強かった。
きっと傷つくことも沢山あっただろう。
それでも静夏は伊織に弱音を吐くことはなかったのだ。入院しがちなことや学校行事へ顔を出せないことを謝ることはあっても、体が苦しいと愚痴を零すことは一度もなかった。
死んでからも同じことが言える。
神との契約の場で戸惑う伊織をよそに、静夏は再びふたりで暮らす未来のためにとんでもない提案を簡単に受け入れた。
簡単に、とは楽にという意味ではない。
あの時の伊織にはできないほど、瞬きするほどの間に決意をしたということだ。
そんな母に伊織は今も憧れている。
「――僕もまだまだみんなの足を引っ張ってるって痛感してて。だからお互いに頑張りましょう、ミュゲイラさん」
「おう! 手始めに全部終わったら一緒に手合わせすっか!」
「そ、それはもうちょっと基礎を鍛えてからですかね!」
ミュゲイラが嬉々として繰り出したパンチを自分が受け止めるところを想像し、これは木にめり込むと確信した伊織は両手と首を横に振った。――その時。
「……?」
突き当りの曲がり角から足音が聞こえてきた。
球体に足はないため違う。
静夏の堂々とした足音とも違い、酷く慌てているように感じる。
思わず足を止めようとしたところで曲がり角から小太りの男性が飛び出してきた。
私服に白衣を着ており、ずっと走っていたのか汗でぐっしょりと濡れている。肩で息をしており顔は真っ赤だった。
――研究員のひとりだ。
「っうわあ! またマッチョの幽霊……じゃ、ない……?」
引っ繰り返りそうなほど驚いた男性は目を点にし、伊織たちを凝視する。
どう見ても手負いの子供と、エルフと、成人男性のグループだ。
マッチョは含まれるがもちろん生きている。どこも消えたりしていないし、ワープしたのかと思うほど高速で近寄ってきたりはしない。
それを確認した男性は冷静さを取り戻し、まだ息は乱れているが身構えた。
「……! 侵入者か! まさかさっきの騒動もお前たちが……」
「やべぇ、あの丸っこいのを呼ばれる前にふん縛って――」
バルドが手を伸ばすよりも先に、男性は曲がり角の向こうに鋭く声をかけた。
「警備! こいつらを捕獲しろ!」
「……すでに連れてきてんのかよ!」
見慣れた球体が角から二体現れる。
早くも勝利を確信したらしい男性は、間近で球体と対峙した伊織たちに不敵な笑みを送った。





