第983話 皆で作ろうクリーンルーム! 【★】
ニルヴァーレの魔石の欠片は彼本人に『役立たずの魔石同然』と称された。
夢路魔法の世界にある底の底で療養していたニルヴァーレの魂を探し出した際のことだ。
しかしそれは補給用の魔石として使えるか否かという問い掛けの返答であり、延命装置の核として使うなら話は変わってくる。
「あれはもはや僕の本体――僕の魔石から分かたれた存在だが、性能は劣っても性質はそのままだ。条件を満たしているかどうかは僕にはわからないけれど……」
「それはワタシが直接見るヨ。今どこにあるの?」
シァシァに問われたニルヴァーレは伊織に視線を向けた。
伊織に持っていてほしいと伝えたことを昨日のことのように思い出す。元々お守りとして持ち歩いていた経験からか、伊織はその申し出をすんなりと受け入れていた。
なら今も手元にあるのだろう。
それはカバンかポケットか。
繋がりが断たれた欠片でも、常人とは異なる存在であるニルヴァーレには意識すればうっすらと場所を感じ取れる能力が備わっている。
自分の無くした腕の位置を第六感で察するような不確定なものだったが――それよりも先に、勘という更に不確定なものに突き動かされて上着を持ち上げる。
伊織のベルトには小さな巾着袋がぶら下がっていた。
ニルヴァーレはそれをそっと取り外す。
「……これだ。僕も連絡用の魔石を入れるのに使っているからまさか、と思ったら」
「妙なところが似たな」
示し合わせていなかったのか、とヨルシャミが閉口しつつ巾着に触れる。
それはセラアニスが作り、人工ワールドホールを閉じる際にイメージ出力の手助けになればと伊織へ渡したものだった。
どちらも伊織にとってお守りのような存在だ。
なら、ふたつを組み合わせていてもなんら不思議はない。
巾着の中から出てきた緑と青のグラデーションが美しい破片を手に取ったシァシァは様々な角度からそれを見る。
「破損は酷いケド性能は良さそうだ。装置の各所に如何にスムーズに魔力を流せるかが鍵だからネ、橋渡しの性質が残ってるならその辺りも期待していいかな。破損面を特殊コーティングして保護してから使えば劣化も防……」
「なんだか君に裸体をジロジロ見られてるみたいだな」
「ヤメテ!? 夢に見たらどうするつもり!?」
ニルヴァーレの一言に鳥肌を立てつつシァシァは魔法とコーティング剤を合わせ、保護をしながらヨルシャミたちに視線をやった。
「相性も良い。それにメイン属性がニルヴァーレと伊織で揃ってるおかげかな、核としては申し分ないヨ」
「……! では」
「ウン、これからすぐに処置を開始する」
頷いたシァシァにヨルシャミは安堵の表情を浮かべ、しかしそれはまだ早いと気を引き締め直すと腕捲りをする。
「私に手伝えることはあるか? イオリのためならば雑用でもなんでもしよう」
「あァ、それならひとつ……、ン?」
答えかけたシァシァが顔を上げ、視線をヨルシャミたちより向こう側に飛ばした。
ヨルシャミもつられてそちらを見る。
――酷く疲弊した様子で立っていたのはセトラスだった。
「私も手伝います、助手にくらいはなるでしょう」
「……意外だなァ、ナレッジメカニクスでの共同作業はよく嫌そうにしてたのに」
「私だって嫌がるべきタイミングくらいはわかりますよ」
毎回嫌がられてたのはそういうタイミングだって判定を受けてたのか……とシァシァは笑う。
セトラスの技術力も相当なものだが、シァシァと並ぶと否応なく見劣りするものだ。比べる相手が悪すぎる。
それをセトラス本人もわかっており、その結果に辿り着いたのがシァシァに対する化け物呼ばわりだった。
そこまで大きな劣等感があるわけではない。
しかし敢えて技術力の差を見せつけられたいとは思わない。
そんな気持ちからセトラスは計画や実験に必要不可欠でない限り、シァシァとの共同作業を避ける傾向が強かった。
それが大分緩んだのは伊織がナレッジメカニクスに来てからだ。
今回も伊織の影響なのだろう。
なら、と快く迎え入れたところで新たにふたりがそこへ加わった。
「ヘルベール……に、サルサム?」
ヘルベールは比較的遠くにいたため、サルサムが走って呼びに行ったのだろうかとシァシァはふたりを見る。しかし汗ひとつかいていない。
するとその様子を見たヘルベールが口を開いた。
「異様な雰囲気を感じ取ってすぐ転移して俺を呼びにきたそうだ」
核になる魔石を搔き集めるためにヨルシャミが奔走した際、各所で簡易的な説明はしたものの全員に詳しく話すことはできなかった。そのため伊織の、世界の穴を閉じた救世主の状態をはっきりと知らない者は未だに多くいる。
そんな中、いち早く不穏な気配を察知したサルサムが転移魔石でヘルベールを呼びに向かったのだ。
この状況でなにかあったのなら命に係わる怪我の可能性が濃厚。
ヨルシャミの慌てようから見るに、それは伊織なのではないか。
伊織なら回復魔法の効きが悪い。
なら生物の体に関するプロフェッショナルを呼ぶべきだ。
連合軍の中でそれに該当するのは――と、サルサムは一瞬でそれらを判断したらしい。
ヘルベールはニーヴェオの戦線離脱により攻撃手段を失って前線から退いたが、普段の特技を活かす分にはなんら問題なかった。サルサムが選べる選択肢の中では最適解だっただろう。
しかしリータは違和感から目を瞬かせる。
「でもサルサムさんの転移魔石は魔力が……」
「周りの魔導師はほとんど魔力が底をついてたが、数人から無理やり絞り出して二回分賄った」
「判断が早い!?」
様々な判断が早すぎる。
しかしそれが今は頼もしい。
――転移魔石への魔力提供はコツがいるため、ペルシュシュカやヨルシャミたちのように上手い者以外が行なうと大変疲れる上に効率も悪く危険も伴う。
これは文字通り絞り出したんじゃないか、と思いつつリータは肩の力を抜いて微笑んだ。
「でも、さすがサルサムさんです!」
そこへシァシァがパンパンッと手を鳴らす。
片手でどう鳴らしたんだ、と見るともげた義手を咥えて器用に鳴らしていた。
口から腕を離したシァシァは「じゃァ、ちゃちゃっと作っちゃうから指示を飛ばすヨ!」と声を張る。
「セトラスはワタシの助手、ステラリカは土でシェルターを作ってほしい。できれば手術台とイスと道具を置くスペースも欲しいな。他は伊織の止血を続けたり手術の準備をしておいてヨ」
手術の準備に関して詳しいことはヘルベールに聞いて、とシァシァは補足するとヨルシャミに向き直った。
そして「それならひとつ」と先ほど言いかけた続きを口にする。
「さて、ヨルシャミ。君にはもう一度だけ無理してもらおうかな」
「なにをすればいい?」
「シェルターが完成したら内側の空間を圧縮して、できる限り無菌にしてほしい」
「……下手をすれば真空になりかねんな。わかった、調整してお前の望む状態になるよう善処する」
魔法である程度の対処はするが、ここはナレッジメカニクスの無菌に保たれた手術室ではない。万一のことを考えての指示だった。
空気を圧縮しても新たに入れた空気に菌が混じっていては元も子もないが、やらないよりはいいだろうという判断だ。しかしそこへニルヴァーレが割り込む。
「シェルター内だけ無菌にするんじゃなくて、まず外で綺麗な空気を作るエリアを設置してからシェルター内に流そう」
「だがそんなエリアを作っている暇は――」
「普通なら機械が要るからね。しかし代わりになれる奴は沢山いる。僕が風で美しいパイプを作ってみせるよ。もちろん外からは空気が混ざらないようにする。……二酸化炭素とか不要なものを輩出できるかは僕の才能にかかってるな!」
自信満々なわりにぶっつけ本番か、とヨルシャミは半眼になったが、今行なっていることは大半がそうだ。
気を取り直したヨルシャミは仲間たちと滅菌方法などを話し合う。
「特殊なフィルターを風で再現するのはどうだ? 難しいなら私が影で作ろう」
「編み物をしてる気分だができないこともない。圧縮を連続ですることになるだろうから、ヨルシャミはそっちに集中してくれ。エリアは圧縮と貯蔵のふたつに分けて、その間にもフィルターを設置しようか」
「器具の滅菌消毒は煮沸でいきましょう」
「そうだ、解毒魔法を応用したらどうですかね」
「恐らくどれも長続きはするまい、方法は何通りか用意しておこう。よってすべて採用だ、あちらの準備が整うまでに検証するぞ!」
全員が頷き合ったところでセトラスが挙手した。
「菌の有無は私の目で見ましょう。あとはイオリのバイタルも管理しますよ」
セトラスのカメラアイなら菌や有害な物質が漂っていないかある程度は見れる。
それだけでなく体温などバイタルデータを取る計測器の代わりにもなるのだ。
ただし戦闘で酷使してきた後だ。セトラスの脳にもダメージがある。
それが延命装置による回復を上回れは言語が怪しくなり、やがて再び精神に影響が出るだろう。
戦闘中はそうならないようにリスクを管理しながら動いていたが、手術が始まればそうはいかない。
それをわかっていて申し出たのか、と察しながらヨルシャミは目を細めた。
「お前、存外便利人間であるな……」
「存外ってなんですか存外って」
便利人間扱いには異論ないのか、と肩を揺らしつつヨルシャミは頭を下げる。
「頼む。私にはできぬことだ、任せた」
「素直なあなたは気味が悪いですね、……ええ、挙手したからにはやり遂げますよ」
セトラスはそう言うと、長い髪をまとめ上げて高い位置でぎゅっと縛った。
晦日味噌さん(@toon____26)が描いてくださったヨルシャミです(掲載許可有)
掲載のご快諾、そして素敵なイラストをありがとうございました~!!
※イラストがリンクのみの場合は左上の「表示調整」から挿絵を表示するにチェックを入れると見えるようになります(みてみんメンテ時を除く)





