第981話 すべての希望を託した
「あまりにも威力が強すぎて吹っ飛ばされてネ、その勢いに逆らわないほうが生存率が高そうだったから身を任せたんだ」
おかげで遠く離れた所に埋まるコトになったんだケド、とシァシァは肩を竦める。
そのまましばらく意識を失い、そしてようやくこの場所を特定し転移魔石で飛んできたのだという。
――そう、シァシァはシェミリザと一戦交えた際、イーシュの残骸を残し姿を消していた。
あまりにも絶望的な直撃に伊織までもが最悪の事態を想像し、しかしきっと生きていると信じて祈ったくらいだ。
その祈りは通じたが、伊織には見ることが叶わない。
代わりにシァシァをまじまじと見たヨルシャミは、ふらつきながら立ち上がると苦しげな声で言った。
「シァシァよ、再会を喜ぶ前に頼み事をしたい。どうにかしてイオリを救えぬか」
「……伊織は愛されてるなァ。ワタシも救いたくてココへ来たんだ」
戦いには出遅れてしまったケド、と言いながらシァシァは伊織の元へと歩み寄る。
辿り着く何歩も前に伊織の血を踏むことになり、眉根を寄せながらも足を進めたシァシァは伊織の傍らに膝をついて傷を確認した。
判断は早い。
シァシァは首を軽く横に振る。
「手術でもこれはダメだ、傷つきすぎてる。替えの臓器があれば少しは望みがあるケド、伊織に合ったものを培養してなきゃどうにもならない」
「そんな……そんなことがあるか! お前たちは実験のために人を人為的に生き永らえさせたことがあるだろう!?」
「それでも何度実験体が死んだと思う? アレはわざとじゃなくて、生かしておきたい時も死ぬ時は死ぬんだ」
シァシァは細い目を僅かに開けると手元に残った僅かな荷物から注射器を取り出し、伊織になにかを投薬した。
しばらくして伊織の痙攣が治まったが、傷は未だにそのままで顔色も青白い。特効薬か、とヨルシャミは喜ぶ間すらなかった。
「ワタシ特製の鎮静剤だ、コレで苦しむことは――」
「お……お前まで諦める気か! 一度はイオリの父として振る舞ったならば、最後まで諦めず足掻け! ……足掻いてくれ……!」
ヨルシャミの悲しげな声にシァシァは口角を上げるとその背をぽんと叩いた。
どういう意図の行動だ、とヨルシャミが視線を向けた先でシァシァはヨルシャミと静夏を見る。
「ワタシは諦めてはない。……諦めるはずないだろ、二度も子供を失えるもんか」
「シァシァ……」
「ヨルシャミ、聖女――いや、静夏。ふたりに問うよ」
そしてシァシァは伊織の家族であるふたりに問い掛けた。
「伊織を人間らしい道から逸脱させてでも生き残らせたいか」
「人間らしい……道?」
「シァシァ、まさか」
静夏が一歩前へと出る。
伊織を人間らしい道から逸脱させる手段。そして、シァシァならそれを施せるという条件。
このふたつが示すことはただひとつ。
「――伊織に延命処置を行なうということか?」
ご名答、とシァシァは頷いた。
ナレッジメカニクスの延命処置技術はシァシァが発明したものだ。
それどころがブラックボックス化しており、シァシァ無しでは簡単なメンテナンスしか施すことができない。オーバーテクノロジーの宝庫であるナレッジメカニクスの幹部であっても、である。
場所を移動せずできるのか。
この傷で受けられるのか。
材料はあるのか。
そんな様々な疑問が静夏の頭の中を駆けたが、彼が問うということは望みがあるということだ。
つまり、ここで問われたことに迅速に返事を返すことこそが伊織を救える確率を上げる一番の方法だった。
だが、延命処置を受ければ伊織は一生背負うことになるリスクがある。
魔石を経口摂取し続けること。
これは伊織の魔力量なら問題ない可能性があるが、あくまで可能性だ。
今までに例がない以上、どう転ぶかはわからない。つまり良い方向に転ぶ保証はない。最悪の事態を想像しておくべきだ。
食事の必要性が下がり、最後にはエンターテインメントにすらならなくなること。
生まれつきの長命種ならともかく、人間の脳である限り精神面での摩耗は避けられない。シァシァには体験できないことだが、ニルヴァーレやセトラスなど身近な人間の様子から予想はつくのだろう。
定期的に延命装置のメンテナンスが必要になること。
これを怠ればすぐさま死に直結する。シァシァを苦手としている者ですら定期的に足を運んでいたのだから、それほど優先すべきことなのだ。
そして周りの人間が先に死んでいくこと。
同じ時間を生きられないことは時に猛毒と同じ働きをする。
魔力さえ賄えるならシァシァの生きている限り伊織は生き続けることができるだろう。そしてそのシァシァは長命種の中でも桁違いなほど長く生きるドライアドだ。
もし伊織が死にたくなったその時は、自死を選ぶことになる。
それはあんまりだ、と静夏は親の立場で思う。
どれもいつか解決策を見出せるかもしれないが、伊織本人の意思を確認せずに承諾するにはとても危険な問いだった。
しかしここで、伊織に生きていてほしいと言うのはエゴだからこのまま静かに眠らせたいなどとは言えない。
伊織の夢はまだ叶っていないのだ。
救世主にはなったが、伊織の夢はそれだけではない。
むしろ、世界を救ったその先にこそ伊織としての夢があるはずだ。
静夏は何度も答えようと空気を吸い込み、そのたび喉が張りついて冷や汗を流す。
また親の都合で子供に重く冷たいものを背負わせようとしている、そんな気持ちだった。
(……ここで織人さんに相談できたならどれだけ良かったか)
だがバルドもオルバートもここにはいない。
静夏は彼らふたりがどうなったか知らないが、ここにいないということは理由の想像くらいはいくつかできる。そしてその中のひとつは当たりだろう。
前世でも織人はおらず、そして静夏は病のせいで満足に選択をすることができない状態だった。
今は選択できるのだ。
どれだけ苦しい選択だろうが、自分の意思で。
シァシァは急かさないが、もう残された時間は僅かだということくらいは静夏にもわかる。
眉根を寄せ、目を細め、全身の筋肉を強張らせながら思考した。
伊織のためにも早く決断しなくてはならない、と。
――その時、ヨルシャミが静夏の手を握って言った。
「不安の源は私が……我々が解決する。もし今後イオリに恨まれることがあるとすれば、皆で背負おう」
ヨルシャミの後ろで全員が頷く。
静夏はしばし言葉を失った後、もう一度息を吸い込むと改めて失った言葉を紡いだ。今度はなにに邪魔をされることもなく、そして声が震えることもなく全員の耳へと届く。
「どのような道を進むことになっても、伊織に生きていてほしい。……頼む、私の息子を救ってくれ」
それは悲痛でありながら、すべての希望を託した母の願いだった。





