第951話 あなた、なにしてるの
シェミリザが背後から迫りくる気配に感づいたのは、ヨルシャミが影の針を応用して作った鎖を放った時だった。
影の鎖は鞭のようにしなって蛇の胴体を打ち据える。
しかしダメージと呼べるほどの傷は付かず、硬い鱗にもヒビすら走っていない。
影の鎖はまるで生きているかのように自らするすると動くと蛇の胴体に巻きつき、きつく締め上げた。
だが、まだ尾と上半身は自由である。
今度はリオニャが天高く跳び、落下しながら尾による打撃を避けるという離れ業を見せた。そのまま重力に従い威力を何倍にも膨らませた肘鉄を尾へと振り下ろす。
切断には至らなかったものの、尾は肉と骨ごとへしゃげて些か平たくなった。
つまり回復しきるまで満足に動かせない時間が発生する。
シェミリザは前からも攻撃をしかけてくるランイヴァルたちに炎の球を投げつけながら眉を顰めた。
『酷いことをしてくれるわね。けれどそんな鎖や傷じゃ長いことわたしを留めておくことは出来ないわよ?』
「百も承知だ」
短くそう言ったヨルシャミの陰からオルバートがなにかを投げる。
またもや手榴弾か、とシェミリザは手を翳そうとしたが、爆発し広がったのは爆炎ではなく濃密な煙だった。
自然に上がったものとは異なる、細かく滑らかな煙だ。
『煙幕……?』
視界を塞ごうがオーラを見れば一目瞭然だというのに、何故こんなものを。
精神がヒトに近いことを利用した単純なこけおどしか。
シェミリザはそう訝しんだが、それはただの煙幕ではなかった。
――魔力は空気中を漂っている。
そして消える前に生物の体内へと潜り込むのが彼らの生態だ。
この特別な煙幕には一時的に空気中の魔力を活性化させる効果があった。
ナレッジメカニクスのラボにあった試作品である。
ナレッジメカニクスには手慰みや知的好奇心を満たすためだけに特に目的もなく作られたものが多く、これもそのひとつだった。
もちろんこの効果を目的に持ってきたものではなく、煙幕が欲しくて手に取ったらたまたまこの試作品であり、しかし機能としては同じ効果を持っていたためそのまま持参したのである。
しかし、今はまさにその機能目当てでオルバートは使用した。
『……!』
シェミリザは目を見開く。
活性化した魔力は眩く、周囲のヒトの魔力やオーラを覆い隠した。魂もはっきりとは見えなくなる。
伊織の膨大な魔力に隠れてニルヴァーレの魂に気づけなかったのと同じ原理だ。
まさしくシェミリザにとっては二重の意味での煙幕だった。
『小細工が得意ね……!』
しかし煙幕そのものは物理的に存在している。
シェミリザは竜巻のような風を起こすと煙を巻き上げ周囲から消し去った。ほんの数秒で目隠しがなくなる。
だが、その数秒の隙で十分だった。
いつの間にか高い位置にリオニャと静夏が浮いている――否、ジャンプが終わり緩やかに落下へ移行するところである。その様子にシェミリザは蛇の胴体へ力を込めて衝撃に備えた。
聖女マッシヴ様である静夏とレプターラ王のリオニャ。筋肉を武器にする彼女たちの弱点があるとすれば、攻撃方法が一辺倒になりがちなことだ。
きっとまた同じような攻撃をしてくるのだろう。
しかし少しでも衝撃に備えておけばダメージを減らすことができ、そのぶん回復も早まる。
どれだけ攻撃しようが、すぐさま水泡に帰す様子を見せ続ければいつか心折れてくれるのではないか。
シェミリザはそう自分でもありえないだろうと思える期待を抱いた。
そんなシェミリザに静夏が空中から微笑みかける。
「我々の目的は攻撃ではない。足止めだ」
『どんな目的だとしても、あなたたちは決定打に手が届かない。そうでしょう?』
「手は届かなくても足は届く」
静夏の言葉にシェミリザは笑みを消した。
リオニャが静夏の体を背後からがっしりと抱く。静夏はまるでファラオのようなポーズを取ると全身の筋肉に力を込め――その状態のままリオニャに投擲された。
そう、投擲された。
落下する鉄筋の如き勢いを得た静夏はシェミリザの蛇の胴体に突き刺さり、己の足を土深くへと埋める。
信じられないものを見たという表情をしたシェミリザは静夏を引き抜こうとしたが叶わなかった。万力の力で固定されている。
静夏たちは筋肉を武器にしたのではない。
筋肉を杭にしたのである。
『あなた、なにしてるの……!?』
「今だけはお前に同意してやろう、シェミリザ!」
ヨルシャミが口の端を引き攣らせつつ影の鎖を増やし、シェミリザの上半身に向かって巻きつけた。
さながら大きな蛇に細い蛇が何十匹も絡んでいるような様子である。
そこに聖女マッシヴ様が刺さっている。
わけのわからない絵面だが、効果はあるのだからヨルシャミに文句はなかった。
上半身に巻きついた鎖はすぐに振り払われるだろう。
僅かながら得た拘束時間を無駄にするまいと、その場にいた全員が己の持てる最大火力でシェミリザに攻撃を仕掛けた。
紫の炎で出来た腕だけが拘束を無視して伸び上がり、飛んでくる炎の龍、水の球、風の刃や影の針を薙ぎ払おうと動く。しかし足りるはずがない。
ヒュドラたちも個々の判断で動いたが、遠距離の攻撃方法を持たない兵士が率先して攻撃することで行動を制限していた。役割分担が完璧である。
もちろん、そんな兵士たちにも甚大な被害が出ていた。
魔導師による援護がほとんど望めないからだ。
しかしそんな彼らの合間を縫って回復と解毒をかけながらハルバードを振り回すナスカテスラとエトナリカにより、被害は最小限に留められていた。
長く続けられる状態ではない。
それでもこの一分一秒に意味がある。
その場にいた誰もがそう理解したのは――再び空を横切るように飛んだ、美しい金の糸が天上で輝いていたからだ。





