第947話 わからない怖さ
ついさっきまで争う音がしていたはずだ。
伊織は青い顔をしてベンジャミルタとステラリカの姿を探した。立っていた場所の真下には見当たらなかったため、やぐらの反対側へと走る。
ベンジャミルタはパキケファロサウルスもどきの影を踏んで動きを止めたまま静止していた。呼吸することにすら気を遣っているようだ。
その足元には血溜りができ、右腕の根元を破いた服の布で縛っている。
遠目でもわかるほどあまりにも強く縛っているため、止血のために行なっているのかと伊織は思ったが、遠目ながら見たところ右腕に怪我はない。
――が、上げた手の平にストローほどの大きさをした穴が開いているのがちらりと見えた。
ステラリカの姿は見当たらないが、傍に人間サイズの黒い塊がある。
伊織が凝視すると、魔力の流れからそれがベンジャミルタの影に覆われたステラリカだということがわかった。
一体どういう状況なのか。
それを問う前に伊織の気配に気がついたベンジャミルタが食い縛っていた歯を解いて言う。
「ッ……しばらく動けそうにない、君だけで移動は叶いそうか!?」
「バイクでならなんとか!」
「送迎役なのに役目を果たせなくてすまない、これをどうにかしたら向かうから先に行ってくれ!」
状況に関する疑問はなにひとつ解けなかったが、ずっとここで待機しているわけにもいかない。
伊織は素早く迅速に体内の魔力残量を確かめる。
召喚魔法、特に相性の良いバイクなら消費はほぼ心配しなくていいだろう。
移動もこの距離ならほとんどをバイクの自前の魔力で賄える。
ヨルシャミほど正確な残量チェックはできないものの、穴の残った部分を閉じるだけなら十分だ。
伊織は頷くと風属性の魔法でやぐらから跳び、落下の勢いを削ぎながら土壁を越えて外側の地面へと降り立った。
(ステラリカさんもきっと大丈夫だ。あと問題なのは……)
やぐらのある方角を見る。
最短ルートの真上でシェミリザが連合軍を相手にしていた。
迂回はしていられない、というよりも迂回をするメリットがほとんどない。
見晴らしが良すぎるのだ。離れたところで見つかりやすく、迂回にかけた時間に対して満足できる成果は出ないだろう。
ならば乱戦の中を駆け抜けるほうが良い。
伊織は空中にキーを挿してぐるりと回した。
「……バイク、地雷は僕が見て位置を伝える。突っ切れるな?」
バイクが短くエンジンを吹かして返事をし、伊織はシートへと飛び乗る。
居心地の良い座り慣れたシートだ。バイク自身も全身で伊織を支えており、彼も仲間の一員だということがよく伝わってきた。
「……」
人の命がかかっているというのに、わからないことが多くて怖い。
ベンジャミルタは大丈夫だろうか。
ステラリカも今は大丈夫でもあのままでいいのか。
シェミリザの周りでは様々な仲間が怪我を負い、そして死んでいる。
今生きている者も目を離した隙に死ぬかもしれない。
シァシァの姿も結局あれっきり見当たらない。
しかし、その怖さに打ち勝たずにこの戦いに勝利することはできない。
伊織はそう再確認すると、風を切るように目前の戦場へと向かって発車した。
***
ベンジャミルタは右腕の中で蠢く鈍痛に眉根を寄せる。
腕の中でなにかが動いていた。
そして、そのなにかの姿を自分の目でしっかりと目撃している。
動きを封じたパキケファロサウルスもどきの中から出てきたのは十五センチほどの太いハリガネムシのような寄生虫型魔獣だった。
影踏みで動きを封じたものの、踏んでいるのはパキケファロサウルスもどきのものだけ。その中に潜んでいた寄生虫魔獣には影響がなかったのだ。
そして宿主にしているパキケファロサウルスもどきの動きが封じられたことにより、その体内から突然飛び出してきたのである。
「元から隠し玉だったんだろうけど、あーもう気持ち悪いな……!」
飛び出した寄生虫魔獣はベンジャミルタの右手の平から体内へと侵入した。
凄まじい危機感にベンジャミルタは咄嗟に腕の付け根を縛ったものの、手の平の皮膚を食い破った生き物がその程度で止まるはずがない。
今も腕の中を蹂躙しながら上へ上へと向かっている。
まだ他の個体も潜んでいる危険を鑑みてステラリカに影を防御として付けたが、このままでは体を内側から食い荒らされて終わりだろう。
そのビジョンを見たベンジャミルタは鳥肌を立てながら腕を見下ろした。
前髪の向こうからじっと凝視する。
ベンジャミルタに魔力やオーラを見る目はない。
腕の外からでもわかる異様な動きだけを観察し――懐から取り出したナイフを突き刺した。
「ッ!」
血が噴き出るが太い血管は避けてある。
血と共に真っ二つになり苦しむ魔獣がちらりと見え、ベンジャミルタはナイフを離すと左手で掴んで引き抜いた。
取れたのは半分になった片方だけだ。
そう確認した視界がぶれる。
「あぁくそッ……毒のオマケ付きか」
吐き捨てるようにそう言いながらベンジャミルタは渾身の力を込めて影を踏んだままステラリカを覆っていた影を解き、代わりに己のドッペルゲンガーに変じさせるとパキケファロサウルスもどきへとけしかけた。
『!! になみけ!? まめはす……!』
「時間がないから、ッ……ちょっと苦しい思いをしてもらうぞ、……!」
ドッペルゲンガーたちはパキケファロサウルスもどきに殺到すると腕を首や胴体に巻きつけて締め上げる。
苦痛に喘ぎ開いた魔獣の口をも覆い、窒息する前に耐えきれなくなったパキケファロサウルスもどきの首がごきりと折れた。
その音を聞くなりベンジャミルタは影を撤収させる。
――消費を抑えたのではなく、持ち堪えられるぎりぎりだったのだ。
前のめりに倒れたベンジャミルタにステラリカが駆け寄る。
「ベンジャミルタさん! これは……毒ですか?」
赤黒く変色した右腕を見てステラリカが口角を下げた。
力なく笑ったベンジャミルタは「どうもそうらしい」と脂汗を滲ませる。
「寄生虫魔獣が消え去れば毒も消えるだろうが……そう簡単にはいかないみたいだ」
ベンジャミルタが切った寄生虫魔獣の半分は地面に落ちたまま未だに残っていた。
死んだ魔獣が消える速度は個体によるため、すぐに消えるものや数日かかるものなど様々だ。
後者なら自然と毒が消える期待はしないほうがいい。
「治療師なら解毒魔法を使える人もいそうだが、……」
全員シェミリザの近くにいる。
そんな場所へ満足に動けないベンジャミルタを連れて行くのも、ステラリカがひとりで助けを求めに行くのもあまりに危険だ。
「転移魔法は使えそうにないですか?」
「この状態だと失敗する」
「わかりました、……ここで解毒を試しましょう」
ステラリカは深呼吸してからそう言うと、腰につけていたポーチから小瓶をいくつも取り出した。
ベンジャミルタには何に使うのかすらわからない器具も含まれている。
手早く広げられたそれらにベンジャミルタは戸惑いの声を漏らした。
「でも毒の種類もわからないんじゃ――」
「もちろんそれを突き止めてからですよ。魔獣の毒なのでどうなるかはわかりませんが、前に……サルサムさんが似た状況になった時は魔法に頼らない解毒が成功したそうです」
ステラリカはピンセットを手に持つ。
「私は医者でもあるんですよ。魔法じゃ治療できませんが、ここで出来ることはすべてします。だからベンジャミルタさんも気をしっかり持ってくださいね、リオニャ陛下やタルハ君のためにも」
「……わかった、頼むよ」
「ええ。それに約束しましたもんね」
ピンセットで残った魔獣の半身を引き抜き、ベンジャミルタの血を採取しながらステラリカは笑みを浮かべた。
「後からイオリさんのもとへ向かう、って」





