第942話 毒虫の殺し方
やぐらの下へ辿り着いたベンジャミルタは地面に足を付けるなりパキケファロサウルスもどきの影を踏んだ。
もう一撃やぐらに特大の頭突きを繰り出そうと力んでいた魔獣は驚愕の表情を浮かべる。存外表情筋が豊かなようだ。
「張り切ってるところ悪いね、でもちょっと静かにしてもらいたいんだ」
『にらかめり!?』
「相変わらず変な言葉を話すなぁ。魔獣と同化したシェミリザは普通に喋ってるのにどういうことなんだ?」
不思議そうにしながらベンジャミルタは動こうとする影を全体重を乗せて止めた。
その後ろでステラリカはやぐらのヒビを撫でる。
固いやぐらに走ったヒビは深く、奥が真っ暗に見えるほどだったが、ステラリカが想像していたダメージよりは大分少なかった。
「この程度ならすぐ直せる、けれど……」
きっとパキケファロサウルスもどきの魔獣以外にもやぐらを狙う個体が出てくるだろう。
少しでも安心して伊織に集中してもらうためには、今の強度では足りない。
そうステラリカは眉根に力を込める。
残るやぐらは目の前のものを含めてあとふたつ。
リーヴァでの移動中も伊織は穴を塞ぐ作業を続けられるほどに成長した。
しかし速度と精度を最良のものに保つには、やはりしっかりとした足場が必要になる。地面から直接見上げて塞ぐ場合も穴に近い方が目で確認しやすく、そして確認しやすいということはイメージを反映しやすくなるということでもあった。
(それに私たちが守りやすくなる利点もある。もちろんデメリットも多いけれど……この利点はまだ死守すべきものだわ)
それが残りふたつなら出し惜しみせずに魔力を使って強化と整備をしよう、とステラリカは決意すると、まずはベンジャミルタを振り返った。
少し離れた位置に他の魔獣が見える。
数は少ないが、明らかにこちらを狙っている様子だった。
「ベンジャミルタさん、一時的に周囲に壁を作ります!」
「! なら俺はこいつの足止めに集中しよう!」
足止めしたまま他の魔法を使うことは消費が激しく、しかもここへ至るまでにすでに何度かそれを繰り返しているため、ベンジャミルタとしては足止め中のパキケファロサウルスもどきにとどめを刺せず悩んでいた。
もたもたしていると他の魔獣が寄ってくるからだ。
そんな他の魔獣への懸念が抑え込まれるのなら、こんなに助かることはない。
ステラリカは地面に両手をつくと、その場の土を利用して周囲に高い壁を築いた。
本来、ステラリカなら無から土を生み出せる。
それをしなかったのは少しでも消費を抑えながら防御面を強化するためだ。
少しでも、ほんのちょっとでも強く、魔獣の攻撃になど負けない足場になるよう。
(でも、もしシェミリザが本気で向かってきたら……ひとたまりもないと思う)
手加減をしない子供に砂場の城を壊されるようなものである。
きっと容易に潰されてしまうだろう。
それを阻止するのは――静夏たちにかかっていた。
***
「胸糞の悪いことをしてくれたな!」
『あら、ヨルシャミ。正義の味方とは思えない言い方ね?』
ようやく影の蛇たちを薙ぎ払ったヨルシャミにシェミリザがくすくすと笑い、蛇の胴体をくねらせると闇色の大鎌を作り出した。
黒い刃がヨルシャミを切り裂こうと一閃したが――実際に切れたのは彼の残像だけだった。
闇のローブの補助で駆け出したヨルシャミの速度は爆発的で、刃を避けるなり空中で回転しながらこちらも大鎌を作ると遠心力に任せてシェミリザの腕を切りつけた。
しかし付けられた先から傷がするすると治っていく。
まるで動画の逆再生のようだ。
「厄介だな――だが、お前のその回復能力は有限であろう? 我々がすべて削いで丸裸にしてくれるわ」
『あなたたちって羽虫というより毒虫ね、……!』
ネロの蹴りが背骨に突き刺さり、シェミリザは一瞬声を失った。
だが背中の翼が触手のようにウネウネと姿を変えると、離れようとしていたネロの足首に巻きつき拘束する。
その触手をぶつりと切ったのはニルヴァーレの風の鎌だった。
「ネロだったか? 油断大敵だ、仕切り直すよ!」
「あ、ああ、すまない。不用意に近づきすぎて――」
「おっと、落ち込むことはないぞ。ネコウモリにこんな力があったとは僕も知らなかったんだ。それだけ真なる力を君は引き出せている」
ニルヴァーレはネコウモリを召喚し、ネロに与えた張本人である。
しかし今は召喚主であるニルヴァーレよりネロのほうがよほどネコウモリの主に相応しい、そうニルヴァーレ本人も認めていた。
「誇っていいことだ。そしてそんな君とネコウモリならまだ戦える。さあ、イオリのために総攻撃だよ!」
「……! ああ、わかった!」
ニルヴァーレは赤かった炎のマントを青く燃え上がらせ、ネロはリオニャに襲い掛かろうとしていた触手を音の衝撃波で弾き飛ばす。
シェミリザはほんの少し不機嫌そうな表情を見せると、ちらりとやぐらの方角に目をやった。
シェミリザからすれば近い。
しかし、それは転移があってこそ。
ここから転移したところで敵も転移持ちなら一瞬で追いつかれる。
もっと対策が追いつかないほど虚を衝ける方法はないものか。
シェミリザがそう考えていると、やぐらの周りをぐるりと覆うように土の壁が展開された。異様に高品質の固そうな壁だ。
『あっちにも邪魔な子がいるわね……』
「すぐに邪魔邪魔と言いますが、あなたが一番邪魔ですからね!」
そう言いながら放たれたセトラスの弾丸がシェミリザの脳天を狙う。
一度はそれを手で払い除けたシェミリザだったが、鱗に跳弾した弾は狙い澄ましたかのように彼女の頭を貫いた。
それにより一瞬動きの止まったシェミリザの胴体に静夏が特大のフット・スタンプを繰り出す。
地面ごとめり込んだシェミリザは大きく体勢を崩したが、倒れながら指先の動きだけで影の針をセトラスに向かって飛ばした。
ライフルを構えながら後退したセトラスは三本の影の針を撃ち落としたが、その中の一本の陰に隠れていた針が左足先を貫き地面に縫い留めた。
「セトラス博士!」
「っ……私の心配はいいです、あなたが自分で機動性を削いでどうするんですか」
駆け寄ろうとしたパトレアを制し、セトラスはシェミリザの方へ視線を戻す。
倒れ込んだシェミリザは地面に横になったまま――セトラスを見て微笑んでいた。
『酷いじゃない。あんなに良くしてあげたのに』
「どの口が言いますか」
再び影の針が生成され、その間も攻撃を受けているというのにシェミリザはセトラスにだけ的を絞って針を放つ。
『一気に片づけるのは諦めたわ。毒虫の駆除は根気が必要だものね』
だから一匹ずつ確実に仕留めるわ、と。
シェミリザが吐息のような声でそう言ったのと、セトラスが再度影の針を撃ち落としたのは同時だった。
放たれたのは五本、撃ち落とせたのは四本。
だが、これなら体に届く前にもう一度狙い直して撃ち抜けるとセトラスのカメラアイは告げている。
しかし引き金を引いても手応えがない。
弾切れである。
ミッケルバードで初めて弾切れという概念に追い立てられていたセトラスだったが、ここまでは配分にミスはなかった。このタイミングでうっかりしてしまったのはただの緊迫した状況と痛みによる凡ミスだ。
こんなことで自分の人間らしさを再確認したくはなかった。
そう眉根を寄せ、しかし即死などまっぴらごめんだと片足を封じられたまま強引に体を捻る。
槍ほどもある影の針はセトラスの脇腹を抉り取り、白衣の半分を赤く染めた。
「……ッは、はァっ……ははは……本当に、一匹一匹悠長に殺してる暇なんてあるんですかね」
パトレアの叫び声が聞こえ、セトラスは歯を食い縛ってライフルから手を放す。
そのまま懐から拳銃を取り出すと――未だこちらを見て微笑んでいるシェミリザの眼球に向かって発砲した。





