第92話 暗闇の地下室
幸いにも昇降機はヨルシャミの魔力で作動し、ごごんという音をさせてゆっくりと降りていった。
大丈夫だろうと踏んでいたものの、二人分の体重――ミュゲイラの筋肉量を考えると三人分に近い体重を支えられるのか不安だったが、昇降機は軋むこともなく地下へと到着する。
腰をさすりながら昇降機から出たミュゲイラは周囲をきょろきょろと見回した。
「月明りすらないせいか完全に真っ暗だな」
「うむ、だがさすがに真夜中にここまで来るスタッフはおるまい。灯りをつけよう」
ヨルシャミはミュゲイラから炎の魔石を受け取り、蛇の魔獣がいた洞窟の時のように光源になる火の玉を作り出す。
ふんわりとした光に照らされた室内は広かった。
ただし、広いものの巨大な装置や机などがずらりと並んでいるため、印象としてはそう広くは感じない。息が詰まるような空間だ。
装置が最近使われた形跡はなかったが、埃が積もっていないので定期的にメンテナンスはされているのだろう。
室内にはシャワー室とトイレも設置されていた。
これらも魔力を動力源に動くものらしい。
「食事の心配もなく、風呂や手洗いも好きな時に行き、研究に没頭できる。私から見ても夢のような施設だなこれは! ……なにを犠牲にして成り立っているものなのかを考えると欲しいとは思わぬが」
「あたしもいらねーなぁ……」
ふたりはこつこつと靴音を響かせて室内を見て回る。
机の上には実験器具が乗っていたものの、綺麗に整頓されておりノートやメモなどは見当たらなかった。
魔導師の自室、もしくは研究スペースは大抵が雑然としているため、こうして見ていると不思議な感覚だなとヨルシャミは机に触れる。
「さすがに幹部自らによる研究結果のレポートや書き付けは残っていないか」
「なあヨルシャミ、この変な装置ってなんに使うんだ?」
ミュゲイラは培養ポッドのような装置をコンコンと叩く。
熊すら入りそうなほど巨大な装置からは様々なコードやノズルが伸びていた。
「さすがにわからん。しかし北の施設で私が入っていた装置に類似したものかもしれんな、形が似ている」
「うへ……」
「胸糞の悪い予想だけなら十五種類ほど挙げられるが、聞くか?」
やめとく、と言いながらミュゲイラは扉の前に立つ。
どうやらここには鍵がかかっているらしい。
一階から正式なルートで降りてきた場合はこちらから入るのだろう。逆方向、奥の突き当りを見るとそこには装置の他に本棚と――大きなモニターが設置されていた。
「なんだあの鏡、ろくに映ってないぞ」
「いや、これは映像を映すためのものだろう」
これもヨルシャミが捕まっていた施設にあったのと似たものだ。
――ヨルシャミはポッドの中で意識を取り戻した時、すぐにはそれを気取られないよう振る舞いながら周囲を観察した。
実際は脳波を測っていた装置が覚醒を示していたが、ほとんど生命維持しかされずに放置されていたため、研究員が気がついた頃にはすでに脱走計画の準備が終わっていたのである。
夢路魔法を使って伊織と出会った日も、本体はポッドの中だった。
そして伊織と約束した日に魔法を駆使して無理やり脱走。
逃亡のために転移魔法を使ったが暴発して余計にダメージを負い、魔力も大幅に消耗するという大惨事になった。
ヨルシャミ本人には伊織たちに言うつもりはないが、そもそもヨルシャミは元から転移魔法を得意とはしていない。見様見真似だ。
だとしても、自動予知も暴発の瞬間まで見せてくれれば対策を取れたものを、とヨルシャミは思わずにはいられない。そう便利な力でもないのだ。
なにはともあれ――最後の締めは悪かったが、脱走計画中に見た光景はその後に活かせる知識となっていた。
今も予想を立てることに役立っている。
「恐らく、あのポッドに入れた物体の情報をあそこに映し出して管理していたのであろう。大人数で確認できるというのは存外メリットになる」
「ははあ、なるほど、キカイってやつか……便利なんだか回りくどいんだかよくわかんないな。……ん?」
ミュゲイラは本棚の隣を覗いてヨルシャミの袖を引く。
「奥にも部屋があるみたいだぞ」
そこにあったのは重そうな鉄製のドアだった。
出入口を押し開くタイプの扉ではなく、目に見える範囲には取っ手もなにもない。
代わりにドアの横に小さなパネルがあった。バネルは上部に小型のモニター、下部に数字のボタンという形で分かれている。
それを熱心に観察し、しかしそれでも正体がわからないのかミュゲイラは大量のクエスチョンマークを浮かべた。
「なんだこれ?」
「……? うーむ……開かないドアの隣にある、ということは開けるために必要なものなのだろうが……」
――伊織がここにいたなら、これがパスワードを入れるためのパネルだとすぐにわかっただろうが、ふたりにとっては初めて見るものだった。
しかし、このドアに対してなにかしないと開かないということだけはわかる。
「出入口よりも厳重ということは、この向こう側には余程貴重なものがあるのだろうな、少なくとも倉庫ではあるまい」
「……よし! 今度こそあたしが開ける!」
さっきは勢い余ってしまったが、これは確実に閉まっている。
ここで役目を果たすぞとやる気満々でミュゲイラはドアの前に立った。
「――と意気揚々と言ったわりに、本当に閉まっているか何度も再確認するのだな」
「アレめっちゃくちゃ痛かったんだよ!」
試しに押しても、手の平をくっつけて横に開こうとしてもびくともしない。
ミュゲイラはパンパンと両手を払うとグローブをはめ、脇を締めて低く構えた。
「軽いものになるが強化魔法をかけておいてやろう」
「サンキュ!」
岩より硬いものを殴るのは初めてだが、それでこそやりがいがあるというもの。
それに――気持ちの問題かもしれないが、ミュゲイラは静夏と行動するようになってからより強い力を出せるようになった気がしていた。
なにせあの聖女マッシヴ様のとんでもないパワーを日々目の当たりにしているのだ、自分の中のハードルが上がって手合わせやトレーニングの効果がより増したのかも、とミュゲイラは思う。
そんな憧れの静夏に胸を張って報告できるよう、自分は自分の役目を全うする。
そう決意を新たに拳を握り込んだミュゲイラは、
「……ッせい!」
鋭い声と共に右腕を大きく前へ突き出した。
ガゴンッ! と音がしてドアが大きくへこむ。
その反響音が消える前にもう一撃。
更に一撃とミュゲイラは両腕を交互に駆使して殴りつけた。
「まだまだァ!」
ドアの表面にうっすらと穴が開き、向こう側が見えたところでミュゲイラは思いきり地面を蹴った。
ガァンッと凄まじい音をさせて肩から体当たりをし、ついに大きく開いた穴から腕を入れて「ふんッ!」と力任せにドアをむしり取る。
その瞬間に銅鑼のような音が鳴り響き、上下左右で反響するそれに両耳を塞いでいたヨルシャミがゆっくりと手を離した。
「……まるでシズカのようだな」
「へへ、それ最高の誉め言葉!」
心底嬉しそうに笑ったミュゲイラはドアを部屋の中に放る。
引き続き大層な物音が立ったが、地下ということもあり一階からの反応は今のところなかった。もしかするとまだ静夏が暴れているのかもしれない。
開いたドアの向こうも真っ暗だったが、火の玉で照らすと更に地下に伸びる細い階段があった。
それを覗き込んでヨルシャミは首を捻る。
「かなり先まで続いているな……」
地下室から更に地中深くの地下室がある、という話はニルヴァーレからは聞いていない。
だがこれだけ厳重に侵入を阻んでいたのだ、ナレッジメカニクスにとって大切なものは世界にとっては碌でもないものである。
ここで内容を把握し、必要ならば潰しておかなくてはならない。
決意と共にヨルシャミは足を踏み出す。
「よし、行こう」
「おう!」
暗い部屋の中、ヨルシャミを先頭にふたりはゆっくりと階段を下っていった。





