第933話 哀憐も愛情も紫の君へ 【★】
シァシァは両目を見開き、緑の瞳に暗天を舞う炎を映す。
炎は鮮やかな紫色に染まり、暗い中でもはっきりと見えた。
見覚えのある色。
見覚えのある形。
否が応でも記憶の中から再生されたのは、藤石伊織になってしまった紫の不死鳥の残滓だった。
「あれはあの子じゃない。それなのに……」
どうしてあそこまでそっくりなのか。
シァシァはイーシュに掴まったまま眉根を寄せた。
自分は魔獣だと自覚してシァシァに己の死を懇願し、不本意な願いだというのにそれを成就させて逝った少年。
最後に遺った小さな小さな炎の断片は彼の遺骨のようなものであり、シァシァは不死鳥にとっての故郷である穴の向こうへとそれを送り届けた。
約束を守ったのだ。
そこで彼の、紫の不死鳥の物語はようやく終わったはずだった。
「――シェミリザは様々な魔獣を吸収する力を得ていた。それが専売特許でないなら……もしかして」
ただの予想でしかない。似た力を持つ別の魔獣かもしれない。しかし予想が当たっていると確信させるほど紫の炎は常にシァシァの記憶を刺激する。
もしそうなら許すことはできない。
シァシァはそう冷静さを取り戻しつつも、胸の奥に滾る感情を自覚した。
「折角……折角あの子は還ることができたのに、また連れ出したのか」
そこに不死鳥の意識の有無は関係なかった。
気にかけていた子供の亡骸を冒涜されたような感情だ。――そう、これは怒りだとシァシァは歯を食いしばる。
伊織となった紫の不死鳥に向けたのは哀憐の気持ちだ。不憫で仕方なかった。
それを踏み台に本物の伊織にも情けをかけ、今は我が子に向ける愛情も同然となっている。
そんな過程を経たからだろうか、とシァシァは考えたが、不死鳥に情けをかけたのも彼が子供だったからだ。
変質していても、そこには初めから愛情に似た感情があった。
だからこそ湧いた怒りを素直に受け止める。
伊織を突き離せないと気がつき、観念したあの時から面倒なことを考えるのはやめた。
「ヨルシャミ君! リーヴァがやられたなら足が必要でしょ、ワタシのイーシュに乗って次に行くヨ!」
「魔力の温存を考えれば妙案だが、いいのか?」
「モチロン! その代わり次は針の防衛よりあの目を狙わせてもらう。どの道アレをどうにかしなきゃ縫い進められないでしょ?」
今はネロが単騎で引きつけているが、いつ標的が伊織たちに移るかわからない。
そして穴を閉じきるには邪魔な存在である。それを踏まえてヨルシャミは頷く。
「シェミリザに吸収されるのもマズい。早期決着を望めるならその可能性に賭けよう。……といっても今はそれしかできぬわけだが」
「援軍を待つ時間も撤退する選択肢もないもんネ。賭ける先があるだけ儲けものさ」
そう言いながらシァシァは伊織へと腕を伸ばした。
「さァおいで。コクピットは無いから不安定だケド、ワタシが支えるから安心してヨ。あ、ヨルシャミ君たちは手の平の上ネ!」
「過保護な上に親馬鹿であからさまな差別だな!」
「いや~、長いこと生きてきたけど、こんな不思議な乗り物に乗る日が来るとは思わなかったなあ……」
「あの、これ、普通に飛び移っていいんでしょうか?」
三者三様の反応を見せながらヨルシャミ、ベンジャミルタ、ステラリカもイーシュの大きな手の平の上に乗る。
靴音が鳴るほど固い感触は人型をした物体に触れているとは思えなかったが、目に映る光景は完全に『誰かの手の上』だ。
混乱した表情をするステラリカを見ていた伊織はハッとする。
「ニルヴァーレさん! 次のやぐらに移動します、ニルヴァーレさんも乗って――」
「ニルヴァーレは搭乗拒否!」
「ええッ!?」
両腕でバッテンマークを作ったシァシァはそのまま伊織をイーシュの肩に乗せると背後に陣取り、肩の上にある小さなバーを片手で握った。肩から指揮することが多いため設置したものだ。
残った片手で伊織を抱き寄せたところで、真上からニルヴァーレが降ってきて伊織の隣に収まる。
「自分の足で移動するつもりだったけど気が変わった! 相乗りさせてもらうよ!」
「ウワッ、高くつくから覚悟しといてヨ!」
「う、うーん、仲がいいのか悪いのか判断に迷うなぁ……」
伊織の呟きにシァシァとニルヴァーレは否定の言葉を同時に発した。
余計に迷うんだけど、と言いつつ伊織は補給用の魔石を握り込む。
次のやぐらへ到着する前に済ませておかなくてはならない。――少々集中しづらいポジションではあるが致し方ないだろう。
するとそこへ闇のローブを纏って飛び上がってきたヨルシャミまで伊織とニルヴァーレの間にすっぽりと収まった。
「……って、なんでヨルシャミまで!?」
「なにやら譲れん気持ちになっただけだ、気にするな」
「これを気にしないのは相当図太い人だと思うんだけど。……いや、でも来てくれて嬉しいよ」
安心できるから、と微笑んだ伊織にヨルシャミは咳払いをしつつ赤面する。
「ま、まぁ私がいれば頼もしかろう? ローブもこの程度なら魔力の消費は微々たるもの故、安心しろ」
「うん、ありがとうヨルシャミ」
「僕も安心できるよう移動中はハグしてあげよう!」
「ニルヴァーレさんもありがとうございます……!?」
「ウーン、眼下でイチャつかれるのって変な気分だなァ」
そうボヤきつつシァシァはイーシュに指示を伝えた。
「イーシュ、次の目的地に着くまで障害物は回避優先で直進。全速力でGO!」
イーシュの鋼の翼が大きく動き、背面の噴射口から炎が噴き出す。
そのまま凄まじい速さで発進したイーシュの肩の上でヨルシャミは口を噤み、しかしツッコむなら今しかないのではないかと伊織にだけ聞こえるよう耳打ちした。
「重力制御装置があるなら翼もささやかなジェット噴射機構も不要だったのではないか……?」
「いや、このほうが浪漫あるからだよきっと」
「シァシァに似てきたなイオリ!」
良い影響もあるがこれはどちらに属するものなのだろうか。
そうやってミッケルバードに来てから珍しく世界の穴以外のことで頭を悩ませるヨルシャミの上を、高く持ち上げられたイーシュの翼の影が横切っていった。
Twitterで描いたウサウミウシ、ヨルシャミ、伊織の漫画(絵:縁代まと)
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