第931話 対のお姉様
シェミリザは静夏たちとの戦闘に集中せざるをえない状況だった。
なにせ静夏とリオニャによる筋肉を唸らせた破壊力の凄まじい物理攻撃に加えて魔導師たちの多種多様な魔法の援護、セトラスの射撃、パトレアの俊敏な動きによる攻撃と攪乱、オルバートの近代的銃火器や爆弾による攻撃と身を挺した他者防衛が常時続いているのだ。
ここに兵士たちによる物理攻撃も加わるのだから――シェミリザからすれば邪魔で邪魔で仕方がない。
何人かは始末したが士気が下がる様子もなかった。
それ故にシェミリザが異変に気づいたのは静夏たちより一拍遅れてのことだった。
世界の穴からこちらを覗くようにしながら迫り出した巨大な眼球。
そんな異様なものが辺りを照らすほどの火力で紫の炎を発している。
しかし気づくのが遅くとも、その正体をいち早く察したのはシェミリザだった。
(あれは、あの時の目と同じもの……?)
瀕死の重傷を負ったシェミリザが世界の穴へと自ら向かい、情報を与えるため同化魔法を使用した際に相対したのも巨大な眼球だった。あの時の眼球にそっくりだ。
しかし「いいえ」とシェミリザは心の中で己に否定の返事をする。
魔獣としての本能が天の眼球の正体を教えてくれた。
(眼球の形をしているのは世界の膿たちがこちらの世界を……苦しみのない世界を見たいがために作り出したものだから。魔獣にヒトの目が散見された理由のひとつ。あれはそれが顕著に出たのね)
魔獣として見るなら特化しすぎて少しばかり欠落品だ。
そんな眼球の魔獣は本来ならば一個ではなく一対だったのだろう。
現在のシェミリザの素となった単眼の蛇はシェミリザが同化したが故に卵という形になり、殻の内側で肉体を再編し改めて生まれ出たものだった。
以前の目だけだった頃は天の眼球と共にいたのだろう。
いわば双子ね、とシェミリザは眼球の様子を窺いながら呟く。
紫の炎でなにかを追っているようにも見えるが、距離がありすぎてシェミリザの目でもよく見えなかった。
集中すればもっとよく確認できるだろうが――そんなことは、目前の静夏たちが許してくれない。
『ふふ、あなたたちもアレが気になるでしょうに、健気に妨害してくるのね』
「それが役割だからだ」
静夏の剛腕が空気を切り裂き、シェミリザの鱗を何枚も殴り飛ばす。
初戦よりも鋭さが増していた。戦いの中でシェミリザの肉体に対してどこを狙い、どのように力を込めれば最高値のダメージを打ち出せるか学びつつあるのだ。
長期間戦う敵としてはとても厄介な性質だった。
それでもシェミリザは焦りを表情に出さずに視界に天の眼球を収める。
もし一対の目だったものなら、シェミリザと同化する前の眼球とは少し異なっている。それはあの眼球もなにかを取り込んだことを示唆していた。
同化魔法を受けた対なる眼球の影響があちらにも出たのだろう。
シェミリザの魔獣を取り込む能力も同化魔法の予想外の作用によるものだ。
使い手本人ですらこのようなことになるとは想定していなかったのだから、続けて思わぬ挙動をしても仕方がない。
ただし天の眼球の能力はそれより弱く、もしかすると取り込んだものも片手で数えられる程度かもしれなかった。
(あれは一体なにを取り込んだのかしら、……)
シェミリザは記憶をまさぐる。
あの炎は――ナレッジメカニクスで捕獲を試みた紫の不死鳥のものに似ていた。
しかしあれは死んだはずである。似た個体が発生した可能性もあるが、紫の炎という情報だけでは想像の域を出ない。
(なにはともあれ、この島には残っている魔獣が少ないみたいだから……戦力として期待できそうだわ)
邪魔者をなるべく多く消してね、お姉様。
そう天の眼球から視線を外し、シェミリザは今目の前にいる邪魔者たちを再び見据える。
『おやめなさいな、そんなに頑張っても苦しむ時間が延びるだけよ。――それとも島の外に守るべきものが無くなれば諦めてくれる?』
「お前にそのようなことはさせない」
『ふふ、やるのはわたしじゃないわ。我先にと飛び出していった同胞たち……魔獣たちよ』
相当数が外へと向かい、今もなお生まれ続けている魔獣たちも大半が外を目指していた。
海を渡ればその先にあるのは人々の住む場所であり、人々の故郷である。
海に面した国は真っ先に狙われるでしょうね、とシェミリザはくすくすと笑った。
『あなたたちの知っている土地にもすぐに着くわ。そこでなにも知らない人たちを好きに食い散らかすでしょうね』
「……侮るな。ヒトはそれでも生き残ってきた」
『そうね、あなたの言う通り』
でも今回ばかりは叶わないわ。
そう言ってシェミリザは防御を捨てる形で攻撃に転じた。
***
避難指示が出ても従えない者がいる。
従わないのではなく従えないのだ。
少年の母は足が悪く、とてもじゃないが遠く離れた避難地へ向かうことは不可能だった。
聞けば一部の土地では不思議な魔法で瞬く間に目的地へと飛ぶことができたそうだが、それでも対象となる地区は広大であり、少年の住む土地までは手が回っていなかった。
当事者には納得のいく理由ではないが、時間がなかったのも原因のひとつだろう。
取り残された人々は訪れるかもしれない異変に怯えながら、日常の続きにしがみつくようにして日々を送っていた。
ある程度の説明は受けているが、情報の不鮮明な部分をはっきりさせることは少年にはできず、現状をそのまま受け入れることしかできないでいる。
その日も少年は素潜りで漁に出ていた。
なにがどうなろうが生きている限り腹は空く。
いくら未来への不安があろうが生活をしていかなくてはならない。
――そうして陸に戻った時、海の彼方から飛んでくる異様なものが見えたのだ。
少ないながら港町に残っていた他の住民たちもそれに気がつき、カンカンと警鐘を鳴らした。
「魔獣だ! 魔獣の群れだ、逃げろ!」
「逃げろったってどこに……」
少年は戸惑いながら我が家を目指す。
津波が来た際の避難場所は周知されているが、高く開けた場所なので魔獣相手では逆効果だ。
魔獣への対策は家の地下に作られた地下室のみ。ただし大量の魔獣が襲ってくるという恐ろしい事態は想定していない。
それでもなにもしないよりは良い。
母と地下室へ向かおうと決意し、足を早めていたところに先陣を切って現れた角の生えたウミネコ型の魔獣が現れた。突然視界を横切る形で現れたそれは少年の腕を裂いて向かいの家屋に突き刺さる。
すぐに角を引き抜いた魔獣は再び少年に狙いを定めると大きく羽ばたいた。
殺される。
せめて母親を逃がしたかった。
そんな想いが少年の頭の中を過った刹那、マントを羽織った男性が割り込むようにして立つと素手で魔獣を叩き落す。
それは手刀と呼ぶにはあまりにも速く、身のこなしの速さも相俟って分厚いマントがふわりと舞ってからようやく重力に従って落ちた。
見知らぬ人間だ。
こんな時に訪れた旅人だろうか。
普段ならそう警戒をするところだが、命が助かった実感と命を助けられた実感が同時にやってきた少年は目を丸くしたままなにも言えずにいた。
「……住民をひとところに纏めよ。その方が守りやすい」
深く重い声だ。
そう言って振り返った男性の瞳は血のように赤く、髪は曇天のような色をしていたが――不思議と恐ろしくはなかった。





