第928話 オルバートの羞恥
シェミリザとの再戦の機会は静夏の想像よりも早く巡ってきた。
駆けつけるなり暴風の如き風を纏った殴打を繰り出し、シェミリザの巨体を殴り飛ばした静夏はリオニャと共に凄まじい筋肉コンビネーションを発揮して足止めに奔走する。
その肉体美に魅せられた兵士たちの士気も上がり「なんか凄いね、うん、凄い」と正直な感想を漏らしながらステラリカと共に伊織の元へ転移したベンジャミルタを見送ったところで、静夏たちに思わぬ増援があった。
セトラスとパトレア、そして別途転移してきたオルバートである。
「駆けつけてくれたか。助かる」
「彼女と戦うなら僕たちもいるべきだからね」
オルバートは白衣を風に遊ばせながら以前の何十倍も大きくなったシェミリザを見上げた。
シェミリザは猛攻で血を流していたものの、ここへ来る前にあまりにも大量の魔獣を取り込んだのか、なにもせずともいつの間にか傷が癒えている。
まるで純血のドラゴニュートだ。
暗い目を細めたシェミリザはオルバートたちを見下ろして微笑んだ。
『あら、オルバ。今頃正義の味方ごっこをしているの? 似合わないわね』
「僕もそう思うよ」
『長く一緒にいたよしみで見逃してあげたいけれど――転移魔石持ちがこれだけいると、こちらが転移しても追ってこられるのが面倒ね』
シェミリザは人差し指で自分の顎をなぞると、その指が顎から外れた瞬間に指揮棒のように振るった。
『前向きに考えましょうか。ここで一気に潰せれば後が楽だわ』
指の動きに合わせて影の針と、見慣れない黒い輪が出現する。
間髪入れずに四方へ飛び出したそれらが連合軍に向かっていったが、セトラスは撃ち落とし、パトレアは蹴り飛ばし、シェミリザの攻撃に慣れ始めた面々もそれぞれ一手早い対応を繰り広げた。
オルバートは避けることも叶わず三本の影の針が体を貫いたが、まるで手傷など負っていないという顔で銃を構えてシェミリザに撃ち込む。
その時オルバートの視界に地面でもがく魔導師の姿が映った。
彼も影の針を避けられなかったのかと思いきや、少しもがいたところで自前の炎の魔法でなにかを焼き切り立ち上がる。
それは影の針と共に放たれた黒い輪だった。
拘束目的のようだがあまりにも簡単に外れる。
なら一体なんのために、と考えたと同時に答えは出ていた。
「僕を無効化するためだけのものか」
『ええ。あなたは弱いけれど、周りをうろうろされると邪魔なんだもの』
死なない羽虫に飛び回られたら嫌でしょう?
そうシェミリザが笑ったのと、死角から飛び出した黒い輪がオルバートの両腕ごと体を拘束したのは同時だった。
精鋭たちは簡単に外せてもオルバートは異なる。
一般人の子供並みの身体能力しかないのだ。
地面に倒れたオルバートに真っ先に反応したのは静夏だったが、オルバートは首を横に振った。
「助けてもキリがない。そのまま続けてくれ」
「だが――」
「情けないから頼むよ」
助けになればと駆けつけたのに足を引っ張っている。
自分のことは自分でなんとかするから、と言い重ねたオルバートの気持ちを汲んだ静夏は踏み込みによるクレーターを残して駆け出した。
(さあ、手首は動くけど上手く関節を外して抜け出すことは出来なさそうだな……)
オルバートは倒れたまま黒い輪の様子を観察する。
血が止まるほど締め付けてはいるが即死するようなものではなく、加えてそのまま切断しようという気もないようだ。
まさにオルバート向けに調整された、ただの拘束具だった。
(シェミリザならもっと他の人にも効いたり大掛かりなものも作れそうだけれど――ああ、この後の戦闘に備えているのか)
シェミリザの目的が伊織を殺すことなら、必ずヨルシャミやニルヴァーレとぶつかることになる。連絡魔石からの情報が確かならネロやシァシァも傍にいるのだろう。
だからこそ今は必要最低限の力を計算して使っているわけだ。
「……計算なら僕の方が上手いよ、シェミリザ」
オルバートは戦場にいる仲間たちの位置を見る。
低い位置からで見辛いが、足の位置さえ把握できればそれでいい。
シェミリザは静夏やリオニャと交戦しながら常に移動していたが――今はオルバートの倒れている方向に向かっているようだ。
踏み潰してしまっては拘束が意味を成さなくなる可能性があるため、ある程度は距離を取って通り過ぎるつもりなのだろう。
しかし十分だ。
オルバートはシェミリザが『予想される一番近い場所』へ着地する五秒前に手首だけの動きで手榴弾のピンを抜いた。
その場で爆発が起こり、爆風に蛇の胴の一部を強く叩かれたシェミリザが体勢を崩す。
その刹那にシェミリザが視線をやると、オルバートがいた場所は大きく抉れ、本人はおろか黒い輪も見当たらない。
『捕まえても邪魔をしてくる羽虫ね』
苦々しげな感情を滲ませた声音。
唐突にそんな声を消し飛ばすような炸裂音が響いたが、地面を蹴った音であるそれが聞こえた時にはシェミリザの目の前に静夏の姿があった。
動きの速さが音を上回り、遅れて耳に届いたのだ。
常人なら目の前に迫った拳に気づくことすらできず、無音魔法を使われたと思っただろう。
シェミリザも防御が間に合わなかった。
隆々とした山のような筋肉から発された想像外の腕力により殴りつけられ、顔だけでなく首や鎖骨の骨が折れる音が重なって響く。
しかしこれまでで最大級の一撃は放った本人である静夏にも多大な反動をもたらし、シェミリザと同時に天と地がわからなくなるほど回転しながら吹き飛ばされた。
確実に上手く着地することは叶わない。
殴った腕もミシミシと悲鳴を上げている。まさに捨て身の攻撃だ。
そんな静夏を受け止めんと飛び出したのはオルバートだった。
爆発により全身が散り散りになったが、それにより黒い輪から抜け出した後に駆け出したのだ。しかし即動くには修復が足らず、途中で指が落ち右腕もくっついていない。
自分の体をクッションにするように静夏を抱いたオルバートは数十メートル転がり、ようやく止まったところで腕を力なく地面に落としたが――五秒と経たずにぴくりと動くと小さく咳き込んだ。
「受け止めるのって難しいものだね……」
「……! 無理をするな、私なら大丈夫だ」
「僕が支えたかっただけさ」
前の世界では満足にしてあげられなかったから、と呟き、オルバートは自分の上から立ち上がった静夏を見上げる。
オルバートはすでに回復しつつある。
それでも静夏は心配げに手を差し出した。
「……」
その光景は、前世で初めて静夏に声をかけられた時とそっくりだった。
以前も同じ錯覚をしたが、今回は記憶が戻りきり安定したおかげか当時のことをつぶさに思い出せる。
しかし、今はあの時のように自暴自棄な気持ちで横たわっていたわけではない。
オルバートは周囲は暗いというのに眩しそうに目を細めながら静夏の手を握ると立ち上がった。
長らく忘れていた光景だ。
その原因を作った元凶は未だ事切れず、曲がった首を修復しながらこちらを見ている。その顔は微笑んでいた。
「僕は大丈夫だよ、同じ轍は踏まないようにするから戦闘に集中しておくれ」
「しかし服がぼろぼろだ」
「これくらいよくあることさ、……」
オルバートたちの服はナレッジメカニクスの技術で作られた特殊なもので、通常の衣服よりは頑丈にできている。
それでも爆発で消し飛ばされたところは多々あった。
なんとか服という体裁は保っていたが、このタイミングでベルトが切れてズボンが落ちる。
ズボンそのものの生地も大分傷んでいたらしい。
「……」
「……」
オルバートとしては特に問題ない。むしろ想定内である。
しかし目の前にいるのが静夏だと再認識した瞬間、ここ数千年感じたことのない羞恥心が沸き上がり、茹ったタコのように赤くなったオルバートは素早くズボンを引き上げると無理やり腰の部分で縛った。
尚も慣れない様子で赤面したまま狼狽えるオルバートの肩を静夏が叩く。
「大丈夫だ。旅の道中で織人さん……バルドと風呂に入ったことがある」
「静夏!」
「直視しないようにしていたが、着替えも同室で行なったことがある」
「静夏! それは気遣いになっていないよ!」
はっとしたオルバートは頭を横に振ると拳銃を手に取った。
ここは戦場だともう一度頭に叩き込む。
そう強張ったオルバートの背中に静夏の手の平が添えられ、軽く抱き締められた。
「ありがとう、織人さん。私はこの戦場でずっと力んだ戦い方しかしていなかった」
「……それは不可避というものだよ」
「そうだろう。しかし時には力を緩めて緩急をつけた戦い方も良いと筋肉が言っている。――伊織が仕事を終えるまで持ち堪えるためにも必要なことだ」
静夏はにっこりと笑って体を離すと自身の腕を撫でる。
軋んでいた筋肉は解れ、柔軟に動いてくれると感じさせる状態になっていた。
固く強張らせるだけが筋肉の使い方ではない。
「さあ、続きをしよう」
「……そうだね」
ふたりは声を重ねるとシェミリザを見据えた。
「――伊織のために」





