第91話 マッチョの幽霊
「首だけでその端正な筋肉を感じ取らせるなんて、さっすがマッシヴの姉御!」
「そこ! 感心してる場合か!」
怒涛の勢いで廊下を走り、食堂に逃げ込んだヨルシャミとミュゲイラは肩で息をしながら次の手を考える。
静夏の首が見つかった瞬間、表情筋を引き攣らせて叫んだ男性は痛々しい音がするほどの勢いで尻もちをついた。
それを見た静夏がなにを思ったか隠遁魔法のベールをすべて自分の体に引き寄せ、男性に向かって走り始めたのである。
――予定していた通りの『見つかったら撹乱する』に則った行動だったが、間髪入れない行動にヨルシャミたちも仰天した。
「え、……っひ、ひいいいっ!」
動いたことによりベールは散り散りになり、静夏の首から下も徐々に露わになったが、それが余計に恐ろしく映ったのか男性は尻もちをついたまま両手で後退した。
そのスピードは覚束ない足取りで走るより早かったかもしれない。
目は完全に真顔の静夏に釘付け。
背後で座り込んだヨルシャミとミュゲイラを一瞥すらしない。
ただの侵入者だと気づかれる前に自分たちは離脱したほうがいい。
そう判断したヨルシャミは静夏の後を追いたがるミュゲイラを引っ張って食堂へと身を隠したのだった。
男性はその個性的な移動方法で私室の並ぶ廊下まで退き、再び「マッチョの幽霊が出た!!」と悲痛な声で叫んでいる。
なんだなんだとスタッフたちが部屋から出てきたのか廊下が騒がしくなった。
眠そうな顔で私室から顔を出した壮年の男性が廊下を這う同僚を見つけて声をかける。その顔は笑っていた。
「おいおい、凄い格好だな。こんな時間になに騒いでるんだよ」
「幽霊! 幽霊! マッチョの! なんだあれ!?」
「なんだって、そりゃお前が夢でも見て――」
視線を廊下の先に向ける。
なにもいない。
ほらやっぱり見間違いだ。
そう壮年の男性が言おうとしたところで、ゆらゆらと揺れる燭台の光に映し出された影の一部が歪な形をしていることに気がついた。
いつもの見慣れた廊下の雰囲気が異様なものに変わったのは、男性たちの心情を反映したからかもしれない。
恐る恐る視線を上げる。
そこには四肢を伸ばして天井に張りつき、じっとこちらを見下ろすマッシヴな女性の姿があった。慈愛に満ちた目だが、例えるなら天井に突然聖母像が現れたような強烈な違和感に男性たちは襲われる。
しかもただの女性ではない。
なぜか体のところどころが透き通って見えなくなっていた。
存在するはずのないものが実際に目に映っている、そのことを理解した脳が口を開かせたが、そこから飛び出した言葉は本人にとっても予想外のものだった。
「マッチョの幽霊じゃねぇか!!」
「言っただろ!!」
様子を窺いに廊下に出た他のスタッフも同じものを見つけて鋭く叫んだ。
叫びは人々の平常心を揺さぶり、冷静な判断を遅らせる。
――その時、狼狽えるスタッフたちは奥の食堂の扉の前に四つの炎がふわふわと浮いているのに気がついた。
よく見れば炎には人の顔が付いている。
この土地にも『生き物が死ねば幽霊になる』というオカルトめいた俗説があった。
ナレッジメカニクスは科学的な面が強い。そこに所属している下っ端研究員もそういった思考に偏ってはいるが、この俗説をまったく信じていないわけではないのだ。
そして彼らは研究のためだと割り切っている、もしくは開き直ってはいるが、他者の命を無下に扱っているという自覚はある。
あるからこそ、ここで瞬時に自分たちが犠牲にした者が化けて出たのではないかという恐ろしい考えに直結した。
そんな人魂のような炎がスタッフたちに向かって飛びついたのと、静夏がドスンッと廊下に着地するなりノータイムで走り始めたのは同時だった。
老若男女様々な悲鳴が一斉に上がる。
「……ふふふ、追加演出は効いたようだな!」
うっすらと開いた食堂の扉から廊下を覗き、ヨルシャミは笑いを噛み殺しながら呟いた。
殺傷能力のない鬼火を召喚し、静夏の幽霊説を強化すべくけし掛けたのだ。
戦闘能力だけを見るなら鬼火は弱い。
しかし代わりに長時間呼び出しておくことができる。
ちなみに顔が浮かび上がっているのはデフォルトで、別段なにか恨みがあるわけではない。もちろん人間の魂が元になっていることもない。そういう種族だ。
視線の先ではパニックになったのか鬼火にコップの水をかけている者がいたが、あの程度で消火できるはずもなかった。
「ミュゲイラよ、今なら多少の物音では気づかれまい。撹乱はシズカに任せて我々は引き続き探索するぞ」
「わかった、……けど、さすがにここから外に出たら誰かに見られるんじゃね?」
先ほどは上手くいったが、人数が増えた後も通用するとは限らない。
静夏はその筋力を活かして人間とは思えない動きを披露しながら大暴れしているが、もし生身の人間やエルフだと知られれば場は一気に落ち着き、相応の対策を取られるだろう。
だが全員が見えない位置に逃げるのを待っている暇はない。
腰を抜かした研究員もいるため時間がかかりそうだ。
そうミュゲイラが眉を下げて言うと、ヨルシャミはにやりと笑って壁に設置された蓋付きの四角い穴を指した。
「さっき虫に隙間から探らせた。見ろ、あれは別の階にいる幹部が研究に没頭できるよう作られた……専用の食事用昇降機だ」
「食事用昇降機?」
「うむ、まあ今は魔力不足故に稼働はしていないようだが」
もちろん人間が乗り降りするためのエレベーターではなく、食事をのせて階下へと手早く届けるためのものだ。
ここを使用する幹部はひとりとは限らないため、一度に沢山運べるよう大型オーブンほどの大きさがある。これならミュゲイラでも詰まらずに穴として使えるだろう。
「……? でもこの建物、一階建てだろ?」
研究施設は木々の中に隠すためなのか、可能な限り背が低くなるよう作られており一階分しかない。そして屋上は上から確認した雰囲気では研究に没頭するのに向いてはいない様子だった。
ミュゲイラが不思議そうにしていると、ヨルシャミは人差し指で足元を指す。
「上ではない。下だ」
「……地下室?」
「その通り!」
幹部が使うような大仰な設備は地下にあるのだろう、とヨルシャミは踏んでいた。
施設の規模から予想はしていたが、確信を持ったのはこの昇降機を見てからだ。
「さあミュゲイラ、蓋をこじ開けて地下へ降りるぞ。起動は私の魔力で可能か試してみよう」
無理そうなら昇降機の台を捥いで直接下へ飛び降りよう、などとヨルシャミはさらりと言うが、恐らくその役目はミュゲイラに任されるのだろう。
本来なら静夏に任されるレベルの力技だ。
「……責任重大だな!」
しかしその分やり甲斐がある。
ミュゲイラは笑顔で拳を握ると、ぴったりと閉じられた昇降機の蓋に手をかけた。
蓋には鍵穴が見えるため施錠されているようだ。
音が一瞬で済むよう素早くやる。
ミュゲイラは腰を低く落として両足で体を支え、固定し、両腕に力を込め――
「ふんッ! ……ん、んっ!? んぇッ!?」
施錠されて――いなかった蓋はなんの抵抗もなく真上に跳ね上がって開く。
そのままガシャァンッ! と馬がシンバルを鳴らしながら窓に激突したような音を炸裂させて、勢いが余りに余ったミュゲイラは背中から床にひっくり返った。





