第923話 父の迎え
多重契約結界やシェミリザに関する様々な情報。
それらは連絡用魔石を所有しているヨルシャミの元にも届いていた。
動揺を抑えるため伊織に詳しく伝えないという手段もあったが、いざという時に事前情報不足で動けなかった、などという事態になっては困る。
ヨルシャミが事の顛末を掻い摘んで話すと伊織は金の針と糸を操りながら唸るような声を漏らした。
「シェミリザ姉さん……生きてたんだ」
「しつこさだけはこの世で一番かもしれんな」
「怪我人は多いの?」
シェミリザによる被害は死傷者が多数出ている。
初めに魔獣として孵化した際に間近にいたニルヴァーレたち、シャリエト、ミュゲイラたち、リオニャたち、そして多重契約結界の防衛班たちだ。
幸いにもニルヴァーレは治療班であるセルジェスらと合流し事なきを得た。
ミュゲイラたちのもとにも静夏が駆けつけたそうだ。
リオニャたちも兵士らに大きな損害があったが、現在も交戦中のようである。
それらの報告を聞きながらナレーフカが心配げな声を出した。
「見つかりにくいよう場所を移すことはできない?」
「やぐらからやぐらなら可能だが……ここから遠く離れるわけにはいかん。それに逃げようが隠れようがシェミリザは我々の元へやって来るだろう」
魔法や目を駆使し、最大の障害である伊織を見つけ出すだろうとヨルシャミは確信していた。何度となくシェミリザとぶつかってきたからこその勘である。
一時中断という手もあるが、どのみち閉じた部分の保持のため伊織はミッケルバードから出られない。
シェミリザは予想外の大きな脅威と化していたが、現状それに自ら向かって行って足止めするしか手がないのだ。
伊織が歯を噛み締める。
「僕がもっと早く穴を閉じられれば……」
「馬鹿を言え、お前はよくやっている」
出来栄えも速度も上々、これ以上を求めるのは贅沢が過ぎるとヨルシャミは伊織の背を叩いた。
ここで焦って失敗してしまうほうが大問題だ。
伊織は集中し直すと再び何もない空間に針を刺し入れる。あともう少しで第四やぐらでの作業が終わる予定だった。
天を見上げながらヨルシャミは口を引き結ぶ。
(第五やぐらはこちらからシェミリザに近づく位置になるか。ネロやシァシァが居るとはいえ厄介だが――)
いざとなれば自分が戦闘に出るしかない、とヨルシャミは眉根を寄せた。
その際は事前に補給用の魔石へと魔力を込められるだけ込める形になるだろう。
穴を閉じきるまで足りるとは思えないが、底をつく前にヨルシャミ、ナレーフカの魔力の回復を祈るか、焼け石に水でも急いでペルシュシュカを連れて来るしかない。
(ナスカテスラは比較的近場にいるようだが……治療で引く手数多のようだな。予想通りではあるが。ニルヴァーレは……)
簡易連絡ではこちらへ向かっているようだ。
護衛が増えれば御の字だが、予想を覆されることの多い不安定な戦場である。
万一の事を考え対策を考えていると、遠くから白く大きなシルエットが近寄ってくるのが見えた。
「……! お父さん、ニーヴェオ!」
「ヘルベールたちか」
補充可能な魔力の無くなったナレーフカを迎えにきたヘルベールである。
道中でも魔獣を蹴散らしてきたのか、様々な汚れがニーヴェオの白い前足を彩っていた。
ヘルベールは跳躍したニーヴェオがやぐらの高さまで来たところで器用にジャンプして飛び移る。
「ナレーフカ、大丈夫か?」
「ええ、延命装置分の魔力は残してあるわ。お父さんは?」
即座に「大丈夫だ」と答えたヘルベールだったが、白衣やズボンの一部が破けて血が滲んでいた。
それを隠しながら娘を抱き寄せ、離脱しようとしたところでナレーフカが慌てて現状を伝える。そしてシェミリザに対抗する戦力がもっと欲しい、という願いも。
「……連絡で聞いた。後方拠点や拠点船の奴らも一部こちらへ向かっているようだ」
「島外へ放たれた魔獣はどうなったのだ」
「討てるものは討ったが相当数が散っていったらしい。海に面した国にはすでに連絡が行っている。――だがそれ故に兵士にも動揺が広がっているな」
戦力としての質が落ちたかもしれない、と言いながらヘルベールは地上で待機しているニーヴェオへ指笛で指示を飛ばした。
早急に離れるのだろう。ヨルシャミはそう思っていたが、帰ってきたのはニーヴェオのニャアという返事だけだった。
「微力だがニーヴェオを置いていく。護衛に加えろ」
「お父さん……!」
「指示者不在ではあまり役に立たないかもしれないが。俺とナレーフカは転移魔石で後方拠点へ退く」
安全圏ではないのは戦えずともそこで出来る限りのことをしたいという意思の表れだった。
伊織は「ありがとう、じいちゃん」と声音を緩めて礼を言う。
「……じいちゃんはやめろ」
渋面を作ったヘルベールだったが、それ以上のことは言わずに転移魔石を取り出した。
ナレーフカは振り返れない伊織の背中に向かって声をかける。
「イオリ君、あなたはひとりじゃないわ。――どうか頑張って」
「うん、ナレーフカも気をつけて」
やり遂げてみせるよ。
そう伊織は頷き、ナレーフカはヘルベールと共にその場から姿を消した。
***
後方拠点へ転移したヘルベールたちはすぐに拠点のテント内へと退避する。
現状をもっと詳しく把握してから自分を活かせる持ち場を探そう、と人を探していると銃を手にしたオルバートの姿が見えた。
白衣をイスに掛け、ミッケルバードの施設で使用していたセトラスの拳銃、及びその後追加で作られたナイフや手榴弾といった細々とした武器をホルダーにしまって身に着けている。
「……まるでこれから前線へ出るかのようだな」
「やあ、ヘルベールか。その通り、これからシェミリザのところへ行ってくるよ」
「お前が行くことに意味はあるのか?」
ここにいる方が意味がなくてね。
そうオルバートは未だ隻眼のままの瞳を向けて言った。
戦闘でリータの盾になるなど多少の役には立てたが、しかしそれもたかが知れている。堰を切ったように溢れた魔獣にオルバートはなにもできなかった。
「とりあえず足止めなら頭数があった方が良いだろう。加えて僕は死んで失われることがない。戦闘能力は低いが武器で多少は賄える。そして一対一の方が戦闘慣れしてない僕でも動きやすいんだ」
ちょっとだけね、と言うオルバートにヘルベールは口角を下げた。
「――シェミリザによる被害に罪悪感があるのか」
「なにを今更」
罪悪感なら今起こっていることそのものにずっと抱いている。
そうオルバートは呟きながら白衣を羽織り直した。
「そういうわけだから行ってくるよ。丁度良いからノートパソコンは君が持っていてくれ、今現在の各所のデータを纏めてある」
「わかった」
ヘルベールにオルバートを止める気はない。
記憶を取り戻したことでまさに人が変わったような部分が散見され、それにより本人も思うところがあるようだが、深入りされることを好んでいないのは今も昔も同じに見えた。
このまま黙って送り出せばオルバートも気が楽だろう。
「……」
しかし、ナレーフカを抱いたまま卓上のパソコンへ近寄ったヘルベールはその足を途中で止める。
そして振り返ると一言だけオルバートへ投げ掛けた。
「お前に必要な言葉かはわからないが――必ず戻れ。イオリが悲しむ」
「……はは」
君からそういう言葉をかけられるとは思わなかったよ、と。
オルバートはそう言うと、
「わかった。ありがとう、ヘルベール」
今まで繰り返されてきた心にもない返事ではなく、心からの返事を返してその場から姿を消した。





