第920話 危なっかしい王様
リオニャは静夏よりパワーは劣るが機動性に優れ、加えて丈夫さと多少の傷では膝すらつかない自己治癒能力が飛び抜けていた。
この自己治癒能力は造血すら促すため、回復魔法の弱点である『失った血を元に戻すことはできない』ことによるデメリットがない。
まさに戦うことに特化した種族だった。
「せいッ!」
迷うことなく巨体に頭突きを食らわせる。
リオニャは額から流血しつつもシェミリザの髪を鷲摑み、二撃目を叩き込んだ。
ぐらりとシェミリザの上半身が俯き、リオニャは前のめりになった頭部へと足をかける。そうして間髪入れずに頭部を駆け上がってうなじに肘打ちを落とした。
ハーフドラゴニュートのリオニャによる肘打ちである。
地面が落ち窪むほどの威力をうなじに受けたシェミリザはそのまま叩きつけられたが――小さく笑うと広げた影の翼でリオニャを叩き飛ばした。
まるで幼子の投げた人形のように吹っ飛んだリオニャだったが、さしたるダメージも入っていない様子で着地すると足跡を残して駆け出す。
開いていたシェミリザとの距離は再びあっという間に詰められ、次は容赦なく己の心臓を狙う拳を避けながら、シェミリザは困ったように微笑んだ。
『怖いわ、緩い雰囲気に見えてはっきりとした殺意を持っているのね』
「そりゃあ、もうしっかりと殺すつもりですから!」
『わたしもあなた相手じゃ手加減していられなさそうだわ。……ねえ、ハーフドラゴニュートも過剰回復で酷いことになるの?』
ドラゴニュートは生命力の強さ故に、優れた回復能力が牙を剥いて過剰な再生を繰り返してしまうことがある。
様々なパーツを寄せ集めた肉塊になりながら死ねなくなった者もいるほどだ。
リオニャもかつてその危険を感じ取り悪寒が走ったことがあった。
実父アズハルとの闘いの時である。
つまりハーフでもリオニャの身に起こりえる害だった。
リオニャはその予想を口にしなかったものの、問い掛けておきながら答えを必要としていないのか、シェミリザは影の翼からぞろりと影の針を生み出すと羽ばたきに合わせて打ち出す。
己もそれに合わせて飛び出し、リオニャの骨を砕かんと黒い炎を纏った拳を繰り出した。
「っ……あなた達が父の体を弄ったんですよね?」
リオニャはすべての影の針の動きを認識するという離れ業を見せ、更にはそれに肉体もついてくるという離れ業の併用で踊るように針を避けながら問う。
燃える拳を蹴り飛ばし軌道を変えたリオニャにシェミリザは『そうね』と答えた。
『ふふ、わたしがシェミリザだと知ってるなんて耳が早いわ。聖女が報告したのね』
「はい」
『あなたの思っている通り、アズハルの処置はわたしたちによるものよ。なぁに、もしかして恨んでいるの?』
「発端を知っておきたかったっていうのが大きいです。弑逆を試みた時はあなたに直接会うことはありませんでしたから」
アズハルは本人の同意なくシェミリザたちに特殊な延命装置を埋め込まれ、自分の体を『呪われた肉体』と称していた。
その原因はアズハルの父とナレッジメカニクスの契約によるものであり、本人の意思によるものではない。
相次ぐ彼の子供の死は処置を施された肉体に起因したものだったのか今となってはわからないが、アズハル本人はそう考えていた。
だからこそ、そんな体にならなければ「生命力に溢れたドラゴニュートならもしかすると」とリオニャの母、リーネリレーヴァに子を生ませることはなかっただろう。
シェミリザたちがアズハルの肉体を弄ったからこそリオニャが生まれた。
見方によってはそう考えられる。
だからこそリオニャは原因となったナレッジメカニクスの行ないを嫌悪はしても、自らの手で鉄槌を下そうという正義感や復讐心は持っていなかった。
「それに、母が殺されたのはあの人の問題ですから。それについてはもう結論を出しました。肉体についてあの人が解決したいと思えば可能な限り手を貸しますけどね」
『その考えは一国の王だから?』
「そのつもりですけどォ……」
望むなら手を貸す時点でちょっと甘いです、と言いながらリオニャはシェミリザの手首に回し蹴りを入れる。
血管を裂くように骨が折れたが、すぐに再生した手でシェミリザはリオニャの足を払った。
「っ……だから、今はあなたをより強く敵として認識するために質問しました」
『そんなことしなくっても最初から殺すべき敵でしょうに』
「わたしは多種族が助け合い暮らす国を目指してます。……魔獣も本当は文化や認識が異なるだけなんじゃないか、ってあなたの存在を知って思ったんです」
魔獣は生まれた時から世界の敵であり、対話の余地はない。
そう考えてきたが、知能の上がった魔獣が連携したり、シェミリザが魔獣となって蘇ったことでリオニャに新しい考えが生まれたのだ。
それは昔、もし魔獣をテイムできれば別の道があるのではないかと伊織が考えたのと似た思考だった。
しかし世界そのものが危機に瀕している今、魔獣との和解を試みる猶予はない。
可能性の残された種族を滅ぼすことになるかもしれない、そんな想いを捻じ伏せて戦うためにリオニャにとっては必要な質問だったのだ。
シェミリザは眉根を寄せて笑う。
『王にしては危うい思想ね。危なっかしいって言われない?』
「言いながらも支えてくれる人に恵まれています」
『羨ましいわ』
シェミリザは本心からそう思っているかのように呟いた。
そのままリオニャの周囲を囲むように土壁を出現させる。しかし元から使えはするが得意属性ではない土属性の魔法だ、ステラリカのものとは異なり脆い。
一撃でそれを粉砕したリオニャだったが、しかしほんの数秒でも視界が遮られた。
「……!!」
気づけば左右からシェミリザの手の平が迫っており、リオニャに逃げる間を与えず握り込む。
それはまるで小動物を捕まえた子供のような手つきだった。
「こんな拘束なんて、……!?」
すぐさま振りほどこうとしたリオニャは目を見開く。
万力で押し退けたシェミリザの指は折れたが、折れた先から回復していくのだ。
いくら切断しても自動で戻る檻のようだった。
『痛いけれど……これなら簡単には抜け出せないでしょう?』
目の前までリオニャを持ち上げたシェミリザは大きな瞳で見つめて微笑む。
そして指を折られながらもぎりぎりと締め上げ、リオニャが苦悶の声を漏らした。
「っぅぐ……」
『ハーフドラゴニュートは上下に分断したら絶命する? それとも再生する? 気になっていた暴走の有無も確かめられそうね』
研究対象を観察しているかのような声音でそう言い、シェミリザが更なる力を込めたところで――リオニャを握る両手に数種類の魔法が直撃する。
リオニャの攻撃のように傷は付かず、ただ振動だけが腕まで登ってきた。
シェミリザが死線を向けた先にいたのは数人の魔導師と兵士たち。
リオニャに同行していたが、シェミリザを見つけた彼女がいち早く動けるよう先行を促し、ようやく追いついたレプターラの精鋭たちだ。
しかし精鋭といえども数多くの魔獣を取り込んできたシェミリザには傷ひとつ付けられない。
『あらあら……危なっかしい王様についていく民は大変ね』
「……ッ! 皆さん、逃げてくださいッ!」
リオニャの鋭い声が飛ぶ。
それは肺にほとんど残っていない空気を使い、喉を炸裂させるように発された声だった。
そんな彼女の言葉を遮るようにシェミリザの周囲に浮かんだ炎の玉が轟音を立てて飛び、光の尾を引きながら魔導師たちへ向かっていく。
避けて。
逃げて。
しかし二度目の言葉を発することはできず、そのふたつはリオニャの胸の中に留まったまま弾けて消えてしまった。





